第4話 オタク

「ひえ!!」声にならない悲鳴が口からもれる。


 そのまぬけなうめき声を聞いて、島崎先生はやっとわたしに気がついた。先生はテニス部顧問なのに、こんな時間に教室にいる意味がわからない。


 ちらりと窓の外を見ると、日はとっぷりと暮れていた。ネームを描くのに夢中で、クラブ終了の時間に気がつかなかった。


 そうだった。先生はクラブが終わればカギを閉めるため教室にくるのだ。

 動揺しまくるわたしに先生は持っていたプリント裏を見せると、垂れた目をさらに下げてニコリと笑った。


「これ、原田さんが描いたの?」


 先生の屈託のないセリフに、思わず首を縦にふっていた。


 うわーーー! バカバカバカ!


 なんでうまくごまかせないのよ、わたし。人から預かったとか言えばよかった。もっとネームを簡単に書けば、BLってばれなかったかもしれない。調子に乗って、下絵ぐらい丁寧に書くんじゃなかった。


 いやそもそも、ネームは机の中に入れとくべきだった。というか、なんでわざわざ普通のプリントなのに、見てるの先生!


「あ、あのなんで、それ、読んでるんですか?」


 いまさらそんなことを訊いても、先生の中のネームの記憶が消えるわけもない。だけど、訊かずにはおられなかった。


「だってこれ、進路調査の紙でしょ。大事なプリントなのに、机の上に出しっぱなしっておかしいなと思って。普通のプリントだったらそのままにしてたけど」


 わたしはプリントの内容なんて見ていなかった。まさか、裏返した一番上のプリントが進路調査だったなんて……。


「置いてある席が、原田さんのところだったから、何か進路に悩んでるのかなって。明日、相談にのろうと思ってプリントを取り上げたら、裏に漫画が描いてあってついつい読んじゃった」


 読んじゃった……じゃねえよ!


 たしかに進路には悩んでますけど、そんな悩みは先生にネームを見られて吹っ飛びました。


「あ、あの全部読みました?」


 せ、せめて前半だけにして。後半はがっつり保健室のベッドでのエロシーンなんだから。


 あれっ? そんな卑猥なものを見つけられた時点で、わたしの高校生活は完全に終わったんじゃなかろうか。


 ひょっとして、退学? 校則にBL漫画執筆禁止って書いてあったっけ? 


 というか、このネームが忍ちゃんと晶くんをモデルにしてるって、先生にはわかったかな。いちおう名前なんかは全部かえてあるけど、キャラの見た目はかなりふたりによせている。


 もし、ふたりをモデルにしてるって先生にバレたら、いじめを疑われるかもしれない。だって、ふたりの裸体を漫画の中で晒してるんだから! 


 裸体どころか、あんなことやこんなこともさせている! これって完全に人権の蹂躙、いじめ案件に該当しそうだよ!


 でも、違うんです。いじめじゃなくて、推しを自分の作品の中で愛でているだけなんです。オタクの妄想の発露なんです。夢の世界なんです。どうか許してください!!


 ……って、オタクの性癖を熱く語られても、体育会系の島崎先生には、理解不能だろう。もうだめだ。死んだ……。


 教室の暖房はとっくに切れていて、足元からしんしんと冷気が漂っている。わたしは全身で汗をダラダラと垂らし、先生の口から死刑宣告を受けるのを待っていた。


「もちろん、読んだよ!」


 チーン……終わった……。


「これって、下書きだよね」


「下書きっていうかネーム……」


「ネームっていうんだ! じゃあ、完成した原稿もあるってこと?」


 そのネームの完成原稿は、まだない。でも、他の完成原稿はある。


 先生のいう完成原稿がどちらを指しているか、わからない。わからないけど、先生の声に非難が含まれていないような気がして、わたしは上目遣いでうなずいた。


 すると先生は、ものすごくキラキラした目で信じられないことを口にした。


「読みたいんだけど」


「いやいやいや! これ、BL、なんですけど……」


 あっ、言っちゃった。自らカミングアウトしてしまった。わたしって、バカだ。でも先生は怒るどころが、かわいい恥じらいの表情を浮かべた。


「わかってるよ。僕、実は少女漫画とかBL好きなんだ……」


 ふ、腐男子だ……。かの有名なまぼろしの腐男子が、今わたしの目の前で乙女みたいに恥じらってこちらを見ている。マジか!!


 ちなみに、腐男子とは、BL漫画を好んで読む男性のことである。そもそもBLとは女性が読む、男性同士のアツい関係性――エロを含む――の物語のことである。


 あくまでも、対象読者は女性であった。それが、近年男性も読むようになってきているそうだ。噂でその存在を認識していたが、都会ならいざ知らず田舎でその生態を目撃することはなかった。


 なかったんだけど、とっても身近な先生として顕現したわけである。


 体育教師がBL愛好家という事実を、もっとつっこんで訊きたい。すごく興味がある。なんなら、お友達になりたい……。って、そんなことをしている場合じゃない。

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