第7話 蒼天
「こんなとこで何してるの。学校は休校になったよ」
見あげると、コートを着込んだ晶が寒そうに立っていた。周りは、騒々しい駅の構内。早朝に積もった雪のため、電車が遅延している。電光掲示板を見あげる乗客たちは、スマホ片手に足早に通りすぎるスーツ姿のサラリーマンが多い。そんな中俺一人、カバンをかかえてベンチに座っていた。
晶が言うには、朝練のため学校に行くと北から乗り入れる路線が運休となり、一部の生徒が登校できず、休校になったとのことだ。
「休校のメールなかった?」
と訊かれても早朝からずっとこのベンチに座っていて、メールなんてチェックしていない。
朝、父と顔を合わす前に家を出た。学校に行く気にもなれず、かと言って行きたいところもなく。ここで行き先を見失い、身をすくめていた。
俺を見つけるのは、なんでいつも晶なんだろう。
小さい頃晶の家からの帰路、迷子になったのは、わざと姿を隠したんだ。あの家に帰りたくなかったから。
婆さんは離れに住んでいるとはいえ、食事はいっしょ。食事のたび、箸の持ち方が悪いやら食べ残すなとしかられた。
母さんはそんな不器用で不出来な俺に興味がなく、趣味のお茶やお花の稽古に夢中になり留守がちだった。
迷子になるまで何度も、晶の家へ遊びに行っていた。でもあの日初めて、晶の家と俺の家の温度差に気づいてしまった。気づく年齢に俺はなっていた。
子供の世話をやく、お母さん。会話がはずむ、楽しい食卓。明るい家庭の雰囲気。なにもかも、うちとは違った。
すねて庭の植え込みにかくれた俺は、母さんに見つけてほしかった。そして心配してもらいたかった。それでも、隠れて数分たったころから、見つけてもらえなかったらどうしよう。このまま夜になって、暗闇の中からおばけが出てきたら……。
心細く体を縮こまらせていた俺を、見つけたのは晶だった。がっかりするやら、安心するやら、泣き笑いの顔をして晶が差し出した手を掴んだのを覚えている。
今目の前で晶は「帰ろう」と言って、手を差し出す。俺は晶の手を迷いながらも握った。晶の手はあたたかく、俺の冷え切った手に熱が伝わりだんだんと体中に染み渡る。
「帰らない。海を見にいく」
立ち上がりながら、青春ど真ん中の台詞を恥ずかしげもなく口にした。カバンを持ち、南へ向かうホームへ行こうとすると、晶に肩をつかまれた。
「俺も行く。今日暇だし。どこの海に行きたいの?」
晶は海に行きたい理由ではなく、行き先を訊いた。
「いや別に、海ならどこでもいいけど……」
あいまいな返答に晶はくしゃりと笑って、俺の知らない駅名を言った。
「海のすぐそばにある駅で、前から行ってみたかった場所なんだ」
子供みたいに、目を輝かせている。そういえば、晶は電車のおもちゃが好きだったことを思い出す。今でも、好きなんだろうか。
お互い成長して心も体もすっかり変わったと思っていても、あのころとあまり変わってないのかもしれない。
返事の代わりにこくんとうなずくと、晶は子供の頃と何も変わらない無邪気な笑顔で宣言した。
「よし、出発」
*
まずは、県内最大のターミナル駅を目指して、十五分遅れてホームに入ってきた電車に乗り込んだ。南へ向かう車窓からは次第に雪景色はなくなり、一時間半かけて到着したターミナル駅の上空には、青空が広がっていた。
そこから、海へ向かう路線に乗り換え、県を越えて数駅乗ると降車する。そこには最終目的地の駅があるローカル線が、乗り入れている。もう、この時点で時刻は正午を過ぎていた。
ホームの立ち食いソバを食べてから一時間待つと、ようやく、一両編成のワンマン列車がやってきた。クリーム色に青いラインの入った列車は、緩慢な動きで海を目指し走り出した。
街中を走っていた列車は、しばらくすると海沿いに出た。進行方向左手には冬枯れの山がせまり、右手には柔らかな陽光をうけ、どこまでも青い海が広がっている。
まもなく、列車は小さな駅で停車した。幅の狭いコンクリートのホームに、俺と晶が降り立つと、鼻先に潮の香がただよう。すでに太陽は西に傾きかけていた。
列車が走り去ると視界が開けた。目の前に蓋の開いた蒼天と、海岸沿いから沖に向かい青が藍色に代わる海がどこまでも続いている。海と空の境界に、まっすぐ伸びた水平線が横たわっていた。驚くことにこの駅には空と海しかない。
だいぶ南にやってきたので雪の気配は微塵もなく、気温も暖かい。時折海からの風が強く吹き付けるが、あまり寒いとは思わなかった。
ホームには三本足で支えられたトタンの屋根と青いベンチが二つだけおかれている。平日の昼間に、乗降客は誰もいない。晶がベンチに座り腕と足を投げ出し、大きく伸びをした。
「やっとついた。昔海に一番近い駅って聞いて行ってみたかったんだ。本当に海が目の前だ」
単線の線路の向こうは崖になっていて、すぐ下は波打ち際だ。俺は晶の隣に腰をおろす。波の音が耳に心地よく、しばらく二人でだまって海を眺めていた。すると、晶が大きなあくびをしてごろんとベンチの上で横になった。
「眠くなってきた。帰りたくなったら起こしてよ」
晶の上半身で三人掛けのベンチはいっぱいになり、あいつは俺の膝の上に頭を乗せてあっという間に寝息をたてはじめた。
あまりにも子供っぽい行動にあきれたけれど、膝の上の頭はそのままにした。ここに連れてきてもらった礼として、起きるまでの間膝を貸してやろう。
それほど、この景色は価値あるものだった。
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