第52話 信じてついて来てくれた人々だから

 宿場町を数ヶ所通り過ぎ旅は順調に進んでいた。野営も慣れてきたのもありすぐに寝付くことが出来るようになってきていた。今日は不寝番は私の番であり、焚き火を前にぼう、としていた。もう少しすれば交代のディーデリックを起こさなければならないだろう。頭上には月が浮いている。下弦の三日月は夜を照らし明かりをもたらしてくれた。


 焚き火の灯りで地図を眺める。もう少しすれば巳の土地の地方都市へとたどり着くことだろう。そこで一旦冒険者として地盤を固めて行かねばならない。


 年明けからひと月は経っただろうか。夢に猫が出てくることは一切なく、本当に何か用がある時でなければ現れないのか。それとも猫らしく気まぐれな神であるだけなのか。


 ぱちぱちと爆ぜる炎を眺め、エーヴァを呼んでみる。


「エーヴァ様、いらっしゃいますか」

『どうしたんだ?』


 エーヴァはすぐに応えてくれた。姿は見せなかったが、足元に置いた剣が淡く光った気がした。


「女巫は、必ず神々に応じねばならぬものなのでしょうか」

『……君の母君のように逃げ出す者も居たが、大抵神々はそんな女巫の良心を利用して何かしら奪ってゆくよ。君の母君も、失ったものは多かろう』

「……そうですか」

『恐ろしいかい』

「神々だなんて実力行使が通じぬ手合いでしょう。逃れるために暴力を振るったところで嵐や飢饉を起こされては堪りませんからね。恐ろしいと言えば恐ろしいです」

『はは、神々に暴力で対抗しようとする女巫は初めてだ。……しかし、そうだね。従わねばあいつらは人間なんざ塵芥のように扱う。……逃れる術を探すのは難しいよ』

「……わたくし、ずっと、平凡に生きてゆくのかと思って参りました」

『うん』


 エーヴァが突っ込みもせずに素直に聞きに回ってくれる。それに応じるように私も言葉を紡ぐ。


「公爵家の令嬢で、未来の国母となれと生き方を決められ、それに従うのが嫌で好き勝手して参りましたわ。せめて自由な時だけでも好きに生きさせて欲しいと願って」

『君はダンジョンなんぞに潜る物好き令嬢だ。そりゃあ周りは大変だっただろうな』

「ふふ、まあ、そうですわね。周りを巻き込んで馬鹿を出来るのも、十八までと決められていたのですもの。そりゃあ手当たり次第巻き込んで叩きのめして、両親は気が気ではなかったでしょうけれど、楽しかったですわ」

『だが君は俺を手に入れたことで、十二柱とヒティリア国に目をつけられちまったって訳だ』

「まさか誘拐されるだなんて、ちょっとだけわくわくしたのは内緒ですけれど」

『言っちゃってるぞ〜』


 くすくすと声を殺して笑い、薪木を追加して話を続ける。


「女巫になったり、これから冒険者にもなれるのでしょう? わたくし、今もわくわくしていますの」

『……この先死ぬ定めが待っていても?』

「ええ、それでもいいの。わたくし、細く長くなんて生きたいと思ってはいなかったので。大きく燃え上がって、周りにも燃え移らせて楽しく生きれるのならそれでいいのです」

『周り巻き込む気満々だなあ』

「……でも、そうね。あの三人には生きていて欲しいですね。わたくしを、最期まで覚えていて欲しいから、懐かしいと子供の寝物語に語らって欲しいから」


 それは本心だった。周りを巻き込んでめちゃくちゃにするような自分が、何を今更と思わないことはなかったが、大して長い付き合いでもなくても私に付いてきてくれた人たちだったから。それが例え、ただの保身だったとしても、それでも良かった。


「ねえエーヴァ様、わたくし料理出来るようになって来ましたのよ。まあ最初はキャンプファイヤーみたいに燃え上がらせてしまったけれど……」

『うん、それ見てた。ディーデリックと一緒になってはしゃいでたな。クンラートはブチギレてたけど』


 先日ディーデリックに料理を教わっている際、鍋に油を注ぐはずが焚き火に多量にぶち撒けキャンプファイヤーのような轟々とした炎が上がったのだった。それを見て私は大笑いではしゃぎ、ディーデリックもぼんやりと見つめながら、燃える焚き火の前でディーデリックの手を掴んで踊っていたのだった。当然クンラートにはキレられ、マレイケには呆れられた。ディーデリックは案外ノリがいい。


『ディーデリックは予想外すぎて思考どっか行っていただろ。阿呆らしくなって一緒にはしゃいでくれたんだろうよ。いい仲間さ』

「そうですね」

『クンラートとマレイケにはこの前、また馬鹿みたいな服買ってくれって強請ってたな。君の感性どうなってる?』


 クンラートとマレイケには先日宿場町で履き物を新調した方がいいと言われて靴屋に向かったのだった。そこには服も売ってあり、そこで私は再び運命の出会いを果たしたのだった。豹柄、というか豹の毛皮で作られた大阪のおばちゃんが愛用していそうなアウターであった。


 それを試着して遊んでいたら、絶対に買わんから戻せとクンラートにキレられ、欲しいと駄々を捏ねてマレイケに呆れられるのだった。


 クンラートはキレすぎて血管が切れないか心配であるし、マレイケも呆れすぎてそのうち愛想を尽かされないかと今更ながら不安になった。


「いいパーティになるとは思いませんか? わたくしたち」

『はは、なるようにしかならんさね。まあ、女巫を信じてついて来た者たちだ。きっといい旅になる』


 そろそろディーデリックを起こしてやるといい。そう言ったが最後、エーヴァの声は聞こえなくなった。


 エーヴァの言葉通りディーデリックを起こせば、眠そうではあったが焚き火の前に向かって薪木を追加し始める。私はもう少しだけ起きていようかと隣に座り込んだ。


「ディーデリック」

「……ディーデでもいいよ。長いし」

「あらそう? じゃあディーデ。また料理を教えて欲しいのだけれど」

「もう油火に注がないでくれよ」

「わたくしを誰だと思っているのよ」

「……暴走振り回し女巫」

「酷いですわあ」


 くすくすと笑うとディーデリックの笑い声も聞こえて来た。大分距離は縮められているだろう。この旅も悪いものではないな。最期に待ち受けるのが死だとしても、今を精一杯生きるしかない。


 全てを焼き尽くさんとする炎のように生きれたのなら、それで満足に死ねるだろうか。


「朝食、そろそろ食料少なくなって来たから質素になるけれど、巳の都市に着いたらクンラートにいいもの食べさせてもらおう。俺も研究したいし」

「そうね。クンラートの懐が寒くなってもわたくしにはマレイケが居るからいいわ」

「……クンラートちょっと可哀想だな」

「あなたが言い出したのに」


 そろそろ寝て明日に備えた方がいい。そう告げられてディーデリックに従う。寝支度を整えて毛布を被り、遠くに聞こえる焚き火の音を聞きながら目を閉じた。


 あの霧の匂いがした。


 …………。


 目を開ければ久方ぶりのあの夢の中。私の顔を覗き込む三毛猫が居た。


「あら……お久しぶりです」

『久しぶり。ようく楽しめているかい? 旅』

「ええ、巳の土地へ向かっております」

『どうせなら猫にしときゃいいものをねえ。猫だって美味いもんは多いのに』

「そのうち参ります。十二年もありますからね」

『そうかい。早々だが神託を授けようじゃあないの』


 起き上がり猫の真正面に正座をして座る。猫は毛繕いをしながら私を待っており、私の体制が整ったのを見て神託を告げた。


『今年は北の方で雪害が起きるよ。備えておくように神殿に伝えなさい』

「北はガルシアに近いですものね。ガルシアも雪深い土地ですが、ヒティリアの北も?」

『うぬん。特に子は注意した方がいいよ。あっこは鉱山が多いからね。採掘中の爆発の振動なんかありゃあ、雪崩が起こってもおかしくないからね』

「冬も採掘を……」

『冬が長いとどうしても資源採掘くらいしか産業がないんだよ。巳みたいに年中草木が生えてる訳じゃないからね』

「分かりました。神殿へは伝えておきます」

『ん、じゃあそろそろ起きなさいよ。朝だよう』


 霧が深くなってゆく。猫の姿が見えなくなって行き、私にも強い眠気が訪れる。地面に体を横にして目を瞑る。


 …………。


「ユウキ様、朝です」

「マレイケ……」


 体が揺り動かされる感覚に目を開ければマレイケの姿が視界の隅にあった。起き上がって、マレイケに神託の件を告げた。


「そうですか……。巳に着き次第、鳩便を送りましょう。……大丈夫ですか?」

「ええ、少し頭が重いだけだから」

「ご無理はなさらず。朝食をお持ちいたしましょうか?」

「いいえ、皆でいただきましょう」


 巳にたどり着き次第神殿へと手紙を送ることを決め、その日の夕方、無事巳の都市部へとたどり着いた。ディーデリックに手紙を任せ、巳の都市に何故か懐かしい気持ちが芽生えるのだった。

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