第53話 古馴染みの宿屋

 巳の都市、エナメナは海に程近い場所に位置している。運河が発達しており、海産物や別大陸の他国との物流の拠点ともなっている。内陸に位置するガルシア王国への陸路も整備されているらしく、私たちが今まで通って来た道は冒険者やはぐれ者が通る道だったのだそうだ。


 ガルシア王国からヒティリア国へと入る際にも裏ルートを通って来たが、私はとことん隠れなければいけない存在のようだ。まあ立場上仕方がないが、大手を振って歩けないのは少々気分は良くはなかった。


 ヒティリア国の首都は木造建築が多かったと記憶していたが、エナメナは石造りや煉瓦などの建築物が多く見てとれた。クンラートに聞けば、立地上嵐に見舞われることが多いらしく、そのため首都とは違った街づくりとなっているらしい。地下に放水路も整備されているそうで、この世界に置いても先人の知恵は馬鹿には出来ないなと考えた。


 石造りの街並みは意外と色彩豊かな色味をしている。白や橙以外にも黄色や青や緑など華やかな街並みだ。人も活気に溢れ、市場街に繋がっているだろう道は多くの往来が見てとれる。


「まず宿の確保だな。親父の古馴染みの宿に行く。明日にでもギルドに行くぞ」

「わたくしたちの冒険者人生もやっと始まりますのね〜」

「ああ、そうだ。お前の無茶で俺たちは冒険者に身をやつすんだよ」

「ふふ、可愛らしい皮肉だこと」

「いけすかねえ女巫様だ」


 ち、とクンラートは舌打ちをしたが、宿に向かうぞ。との言葉と共に先導を始める。四人で街並みを眺めながらクンラートに続いて行けば、少々人波から外れた場所に宿があった。厩があるらしくディーデリックに厩へと連れて行ってくれとカワサキを頼み、クンラートとマレイケと共に宿の中へと入る。入り口の目の前にある受付では主人らしき老年の男性が椅子に腰掛け書籍に目を通していた。受付に近づいたクンラートは、書籍を取り上げると頭上に遠ざけ、男性に向かって声をかける。


「ヨォ〜、ガントのおんちゃん」

「……その呼び方、お前、クンラートか!?」


 古馴染みと言うのは嘘では無かったらしく、ガントと呼ばれた男性は椅子から立ち上がりクンラートを見て目を見開いていた。


「その毛皮の模様に耳、いやあ、ガキだったお前に大人になってから会えるだなんてなあ。どうした! 親父さんも一緒か!?」

「親父はひとりで放浪中だよ。手紙も寄越さねえ。今回は別件だ」

「……後ろのお嬢さん方は?」

「俺のパーティだ。あとひとり男のガキ」

「おお……冒険者を嫌っていたお前がまさかの……やっぱり親の背中ってのは偉大だな」

「なりたくてなってんじゃねえんだよ俺は。ふた部屋借りたい。厩も使わせてくれ。しばらく滞在する」

「おお、おお、いいとも! なあクンラート。今日は酒でも飲みながら話さないか! そちらのお嬢さん方やもうひとりの子供も共にでも構わんよ!」

「あ〜、こいつらは」

「構いませんわよ。おじさま」


 クンラートがガントの反応に鬱陶しげにしていたが、私は笑みを向けて構わないと伝える。ゲェ、とこちらをみながら舌を出して苦々しい顔をしたクンラートに、今日の飯代はタダで構わないと嬉々としてガントが告げる。


 ディーデリックが戻ってくるのを待ち、一旦荷物を置いてくると部屋へと向かう。


「おいユウキ。お前、あのおっさんかなりうるせえんだぞ。おっさんの長話毎日聞かされてた俺の身にもなれよ。また同じ目に合う」

「いいではないの。ここを拠点とするのならば現在の状況を把握しておくべきだわ」

「それは最もだがなあ」

「それに食事代もタダになりました」

「……マレイケ、お前意外に守銭奴か?」

「倹約しておいて損はありませんから」


 部屋で一旦休憩をすることとなり、マレイケと同室の私はカワサキに乗せていた荷物を部屋の隅に置き、ベッドへと腰掛けた。古い宿ではあるが広さはそこそこある。トイレやシャワーなどは共用だそうだが構わないだろう。なんだか閑古鳥が鳴いていそうだったので。


 外套を脱げばマレイケが腕を差し出した。外套を預けて靴も脱いでベッドに寝っ転がった。


「ああ〜硬いベッドだわ。でも硬い方が好きなのよね」

「まあここは安宿でしょう。クンラートが父親と滞在していたそうですから、それ相応ですね」

「しばらくここを拠点とするのよね。いいわ〜これぞ冒険者という感じで」

「……まあ不満が無いのはこちらとしてもありがたいですが」


 マレイケにとって私はお嬢様と映っているのだろう。ここまで野営も多かったのだし慣れもする。文句を言ったところで変わるわけでも無いのだから言うだけ無駄である。素直に喜んでいた方が得することもある。


 部屋の外からクンラート! と呼ぶガントの声が聞こえてくる。石造りではあるが防音性は皆無だな。恐らくクンラートは今から夜中まで構われるのではなかろうか。私たちは食事時だけで済むだろうが、まあクンラートの尊い犠牲のお陰でこの宿の主とはいい関係を築けそうだ。


「食事の時にでもクンラートの幼い頃の話でも聞き出しましょう? からかうネタが増えるのはいいことね」

「そうですね。しばらくはそれを擦り続けてクンラートを強請れます」

「あら、じゃあ素敵な服があったらわたくしもクンラートを強請ろうかしら」

「……ユウキ様の言葉は聞かぬように言っておきます」


 信用ないわねえ。とくすくすと笑ってしばらく体を休める。ふと、窓の前に移動して街並みを眺める。ここは少し小高い丘の上にある。家々の煙突から飯を煮炊きしているであろう煙が多く上がっている。人の営みはどこへ行ったとて変わるわけではないのだ。人間が人間である以上、腹が減れば飯を作り喰らい、夜は灯した火を消して眠りにつき、朝起きれば再び飯を作る。どこだって、見た目に差異があろうが人である以上本能に従うしかない。


 遠くに沈む夕日が見える。水平線に日が近づいてゆく。夕日は海を輝かせ、煌めきは潰える。そうして朝日に輝く時、人はまた何かを築き始めるだろう。


 どれだけ眺めていただろう。日が沈めば、どんどん、と扉を乱暴気味に叩く音がした。声は知らぬしゃがれた女性の声だった。


「お嬢様方、夕食ですよ〜」

「今ゆきます。ユウキ様」

「ええ、行きましょうか」


 認識阻害の魔法具が付いているのを確認しマレイケと共に部屋を出る。外には少々腰の曲がった老女の姿があった。


「あらあら、可愛らしい女の子たちだこと」

「お初にお目にかかります。わたくし共は」

「あらあら、それは夕食を食べながら聞きましょうね。クンラートのお仲間なんでしょう? 落ち着いて聞きたいですからね」


 食堂へ行きましょうね。と老女は先をゆく。見た目に似合わず足取りはしっかりとしたもので、恐らくガントの妻かと想像する。


 行きましょう。とマレイケの言葉に頷き足を動かした。


 着いたのは食堂と言うには少々こぢんまりとした場所だ。机は四つ並んでいたが、ひとつの机の上以外には食事は置かれてはいない。私たち以外の客は居ないらしい。それか外で食べているかのどちらかか。


 先に来ていたクンラートはガントに絡み酒をされているようで、ガントのしゃがれた笑い声が響いていた。


「すみませんねえ。主人がうるさくって。あんた! うるさいよ!」

「なんだよミリー! 久々の古い馴染みに会ったんだ。それもガキだったクンラートだぞ! こーんな小さかったクンラートだ!」

「おっちゃんやめろよ」

「おいおい、昔はおんちゃんだっただろうが。その呼び方してくれねえのかよ! 寂しいなあミリー。お前だってクンラート可愛がってたじゃねえか」

「すみませんねえ。うるさい主人は無視してちょうだいよ。ささ、席にどうぞ、お嬢様方」


 老女、ミリーに座るように促され席に着く。うまそうな匂いが漂っている。海が近いからだろう海鮮料理が並んでいる。客が入っているようには見えなかったが、私たちがここへ辿り着いてから買ってきたのだろうか? 豪勢な食事に、クンラートは随分と可愛がられていたのだろうと想像をする。


「じゃあ、頂こうか」


 ディーデリックがそう言い、この場の面々は手を組んで女神イリアドネスへ感謝を捧げる。私は神殿で習ったのが初めてだったが、ヒティリアとガルシアでは感謝の祈りの言葉は多少ながら違うものだ。ただ、元は同じものだったのだろうと分かるくらいには原型はある。


 感謝を捧げ終えて食事を始める。並んでいた食事の中からパエリアに似た料理を取り分けて食べてみる。貝や海老などから出た出汁に香辛料の辛味を感じるものだ。美味しい。と溢すとミリーが嬉々として声を上げた。


「よかったよ! お口にあったみたいだね」

「ミリーさんでよろしかったかしら。とても美味です」

「ありがとう。お二人の名前は? ディーデリックくんには聞いたからさ」

「この方はユウキ、私はマレイケと」

「そうかいそうかい。可愛いねえ。孫娘も可愛いけれど、美しい見目をしているね。二人とも星に愛された髪をしているんだね。姉妹かい?」

「いいえ、いとこです」


 認識阻害の魔法具は髪色はそのまま映るようだが、肌の色は違うように認識されるらしい。褐色の肌に関しては言及されなかった。


 太陽と星に愛された組み合わせを見て何も言わないはずがなかった。まあマレイケのように夜と星に愛された見目も目立つ組み合わせではあるが。


 ガントとミリーは古くからこの宿を営んでいるらしく、話はクンラートの子供時代の話に変わるのだった。

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