第39話 嘘八百
「あのっ、次代様!」
「……? わたくしのことかしら」
後ろから声をかけられた。振り返れば以前部屋を覗き込んでいたあの少女の姿。恐らく今代の女巫と従者らしい女性の姿があった。
何か御用が? と聞けば、少々話をしたいとのことで談話室らしき一室に案内された。そこにはメルケルもおり、何かしら今後の予定でも説明を受けるのかと予想する。
「アリシア様、突然お呼び出しいたしまして申し訳ありません」
今代の女巫の少女が申し訳なさげにお辞儀をする。ソファに座るよう促され座ると机越しにメルケルと今代の女巫が座った。後ろには従者の女性が控えている。
メルケルが口を開く。
「ここの生活には慣れてきましたでしょうか」
「ええ、お陰様で」
「そうですか。お呼び出しいたしましたのは、今後の予定についてお話しをと思いまして」
ガルシアには手紙を書いたが返事はまだ返ってきてはいない。私の処遇はまだ宙ぶらりんなままな訳だが、彼らは私をここに留める前提での話をしたいらしい。まあ別に構いはしないのだが、少しだけ不審は芽生えた。
「今代の女巫、ヴェルヘルミナより、年の初めまでに女巫の神事を学んでいただきたいのです。ヴェルヘルミナは今年の末に役目を終えますので、約半年間学んでいただくことになります。と言っても神託を受けるのは夢の中ですので、神事と言っても多いものではありません」
「寝ることが仕事というのも不思議なものですのね」
「細々とした職務はありますが、負担になるほどのものではございません。異国の民である次代のアリシア様でも勤まるものです」
「そうですわね……わたくしはヒティリアの常識なども知ってゆかねば、生活に根付く文化など理解し難いものもあるかもしれませんね。そう言ったものも学ばねば女巫は勤まらないかもしれないわ」
私はヒティリアの常識をまだほとんど知らぬ身だ。生活に生きづく神々の在り方や神がいるということを前提とした暮らし。そう言ったものを知ってゆかねばならないだろう。
ヴェルヘルミナが話出す。
「半年の間、よろしくお願いします。アリシア様」
「ヴェルヘルミナ様、無知の身故ご迷惑をおかけしてしまうかもしれませんが、よろしくお願いいたしますね」
私と同じ色の見目に親近感を覚える。銀に近い白髪に褐色の肌。瞳は青く、唇は薔薇色に色付いている。可愛らしい顔立ちの女性だ。後ろに控える従者の女性はマレイケと同じ白髪に白い肌。少し神経質そうな顔立ちだが美しい女性だ。
「では私はこれで。ヴェルヘルミナから話しがあるそうなので私は邪魔でしょう。失礼いたします」
メルケルが部屋を出てゆくと少しばかり沈黙が流れた。あのっ、とヴェルヘルミナが声を上げた。
「ガルシア王国って、どのような場所なのですか?」
「ガルシア、ですか?」
てっきり女巫の職務について話されると思っていたので拍子抜けした。少し考えて、茶目っ気が発動してしまうのだった。
「ガルシアでは相撲という国技があるのです。体のみを使い、ぶつかり合い地に伏した方が負けという国技……譲れないことがある時、人は相撲によって男性だろうが女性だろうが性別問わずその国技で勝負をするのです」
「ええっ! そうなんですか!?」
「アリシア様、胡乱なことを申さないでください」
「あら、アドネスから出たこともないあなたが真偽が分かるの? 歴とした正式な国技よ?」
「…………」
マレイケの目が絶対こいつからかっているだろうと告げている。私は怯むことなく続ける。
「ガルシアの学生の間では魔法は剣技でも決闘、即ちタイマンとしてその国技が行われているのです」
「タイマン、とは?」
「一対一の勝負のことですわ。タイマンを受けたからには挑まねば負け犬と謗られ、それはもう惨めな人という烙印を押されるのです。よって誰しもがタイマンを断ることなく、己の身ひとつで矜持を守る……気高き精神を持っているのです」
「ははあ……タイマンというのは奥深いのですね!」
ヴェルヘルミナ、思っていた通りかなりの箱入りだ。私の嘘を疑いもしない。しかし後ろの従者の彼女は胡乱な目を私に向けているのだった。
「ガルシアでは今何が流行っているのですか?」
「氷菓が流行っておりますわ。なんでも恒久的に氷魔法を付与する魔道具が安価で手に入るようになったとのことで流行っているのです」
「氷菓……! そういえば、宮使えの者も噂をしておりました! 冷たくて甘い食べ物なのですよね!」
これは嘘ではない。真実と嘘を混ぜこぜにすればそれは真実とも取れると誰かが言っていた。
「ところで何故ガルシアのことをお聞きになりたくなりましたの? いくらでもお話しはいたしますが」
「あ、そうですね。理由は、役目を終えた後の居住地をどこにしようかと思っていまして。候補にガルシアも入れていたので……私、十歳からこの神殿に住んでいるので」
十歳から女巫の神託を受けていたのか。と少々驚いた。私は結構歳が行っている方なのでは? と聞いてみる。
「そうなのですか。一般的に何歳ほどの女性が女巫に選ばれるのですか?」
「八から十二までの女が選ばれることが多いのです。確か、次代様は今年で十六でしたか。珍しい部類だとは思いますが、確か過去には二十で選ばれた方も居たと聞いているので、様々ではありますね」
「そうなのですか。やはり夢で神託を受けて選ばれるのですよね」
「はい、その年の神が選ぶのです。今年の神は鼠ですが、いらっしゃいましたか?」
「ええ、夢でお会いいたしましたわ」
あのハムスターがやってきた時の夢は朧げではあったが、今年の神があのハムスターだったのか。エーヴァにお手玉にはされたのだろうか? あまり乱暴をしていなければいいが。
「女巫の役目を終えたのなら、その後の生活はどのように?」
「役目を終えた女巫はその後の生活は一生保障されていますので、今までの方々も自由に土地を選んで住んでいらっしゃいますね。多くは初めて選んでくれた柱の育んだ土地に住んでいるそうです」
今は人身御供は行っていないようで安堵した。一生面倒を見てくれるのならば、案外悪い役目でもないのだろう。
「ガルシアにご興味があるのは、何故ですの?」
「ガルシアとヒティリアの橋渡しが出来ないかと考えておりまして。元女巫にはなりますが、神殿の中枢に位置する役割です。私がガルシアへと移住することで何か変わらないかと考え」
「……良い志ですのね」
実際、元女巫がガルシアへと住まうことになったとして、ガルシアにとってはヒティリアの民は異教徒だ。受け入れてくれるかどうかは、博打に近いところがあるだろう。少々夢見がちなところがある気がする。
しかし国の問題を真摯に考えている点においては彼女は私を誘拐したような国の上層部よりはまともと見ていいだろう。
「ガルシアにゆくのでしたら、何かしらの体技や剣術の習得をおすすめいたしますね。異国の民がガルシアで生きるには、困難もありましょう」
「う、やっぱり危険でしょうか?」
「覚悟は必要ではあるでしょう。なんなら今から鍛錬場に参りませんか? 手本でもお見せして差し上げますが?」
「……アリシア様」
「ふふ、マレイケ。利用しない手はないでしょう?」
マレイケがヴェルヘルミナをダシにして暴れたいだけだと勘付いている。声色に呆れが滲んでいるが、さあさ! 行きましょうよ! とヴェルヘルミナと従者の女性を連れて四人で廊下へと出た。
「ヴェルヘルミナ様、従者の方のお名前はなんと?」
「私めはロウシェと」
「ロウシェさんは何か護身術はお持ちなの?」
「ロウシェは強いのですよ! 男性をぽいぽい投げてしまうんです!」
やはり従者には武術の心得はあるらしい。とするとやはりマレイケも何かしらあるのだろう。出張ることをしないために見る機会は今後あるかどうかは分からないが。
鍛錬場に着くと私に気が付いた守衛から悲鳴が上がった。にっこりと悪魔がやって来たぞと微笑む。
「じ、次代様。今日はその」
「ヴェルヘルミナ様に護身術でも教えようかと思いまして、大丈夫ですよ。今回はお邪魔はしないから」
「今回は……」
守衛の顔が青ざめている。よっぱど私が入り浸るのが恐怖らしい。ふ、恐怖されてこそのワルだわ。とほくそ笑む。
「まあ今回はちょっと手を貸していただけると助かります。大丈夫です。擦り切れたボロ雑巾にはしないから」
「は、はひぃ」
ひとりふたり連行して、鍛錬場の地面に木の枝で丸を描く。簡単な相撲のルールを説明して取っ組み合いを開始する。
「行きますわよ。さあマレイケ! 開始の合図を!」
呆れ顔のマレイケが呆れた声ではっきよいのこった……。と宣言して守衛に私は突っ込んでゆく。足払いをしてあっさり一人目は沈むのだった。どんよりと背を向けて縁の外へと去って行ったのを見て二人目と取っ組み合い。縁の外へと押し出してあっさりと方がつく。
「もう少しあなた方体幹を鍛える訓練をした方がよろしくてよ?」
「はい、次代様……」
ヴェルヘルミナに取り組みをしてみるかと聞くと嬉々としてやってみたいと声を上げた。
「はい、はっきよいのこった……」
「マレイケもっと元気よく出来ませんの?」
「……これが呆れられずにいられますか?」
ぶつかってきたヴェルヘルミナを押し倒しながらマレイケに抗議するが心の底から呆れているという顔だ。
とりあえず相撲は脇に置いておき、ヴェルヘルミナに簡単な護身術を教えることになる。抱きつかれたら小指を折れ、だとか、アームロックの仕方などを守衛を交えながら教え、鍛錬場に来たついでだしやっぱり守衛相手に挑もうかなと思っているとマレイケと協力してくれた守衛たちに必死に阻止されるのだった。
いじけていると、終始無言で見ていたロウシェが相手をしてくれると言うので竹刀と木刀でタイマンすることになった。
結果としてはそれなりの実力はあるが私には及ばなかった。しかしごろつき程度の輩には充分負かせられるほどの実力はあり、女性の従者としては充分すぎるほどだと言えるだろう。
夕暮れが空を包み始めた頃、解放された守衛たちは切り上げ帰ってゆき、ヴェルヘルミナたちとも別れの挨拶を交わす。
「今日はありがとうございます。次代様! 今後ともよろしくお願いします!」
「ええ、わたくしこそ今後学ばせていただくことが多いでしょうから、お役に立てることならば」
「はい! ロウシェ、行きましょ!」
「はい、女巫様」
去ってゆくヴェルヘルミナたちの背を見て、夕暮れの空を見上げた。カラスの群れが森へと帰ってきた。私は、自分の巣に帰ることはできるものなのか。
「マレイケ、あなたって実家に帰る時はあるの?」
「いえ、あなた様の従者ですので、帰るのはあなた様が役目を勤め終えた後でしょう」
「そう……。あなたはわたくしと共にあるのね。一蓮托生ね」
「下手な真似をなさると一生帰れないかもしれませんよ」
「それならそれでも別にいいわよ」
「……、そうですか」
何かを言おうとしたようだが、それだけ言うとマレイケは黙った。空を見上げるといつも郷愁が襲う。それに気付かない振りをして、夜の帳が下りる空を背にマレイケと共に自室へと向かった。
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