第38話 神のお暇
「ねえ! 今日も鍛錬場行ってもいいかしら」
「お控えください」
マレイケに冷たく返される。神殿へとやって来て一週間は経っただろう。いーきーたーいー! と畳でばたばたと暴れていると冷たい目を返された。だがそれで怯む私ではないのだ。マレイケは正座で何か繕いものをしていたが、腹に抱きついて行きたいと懇願する。
「どうして駄目なのよ〜!」
「ここに来てからと言うもの、あなた様は鍛錬場に通い詰めておりますね」
「何か悪いの」
「守衛たちが疲弊しています。せめて週一、二回に抑えるよう守衛長よりのお申し付けです」
「たるんでいるわね〜。わたくしは毎日鍛錬しなければ気が済まないのよ」
マレイケ、相手をしてちょうだいよ。と笑みを向けると、今は繕いの最中だから嫌だそうだ。何を作っているのか問うと私の着物らしい。
「わたくしにはこのセーラー服があるわ!」
「一応何着か同じものを作っておくようには頼んでおきましたが、あなた様が暴れれば暴れるだけ服は痛みます。これは予備です」
「わたくしが負けて地に伏して服を汚すような真似はしないわ」
「……大層な自信で」
呆れたような口振りだが手は止まらない。じゃあ腕相撲で負けたらあなたの話を聞くわ。とマレイケに告げると一回こっきりですよ。と繕いの手を止めた。
ちゃぶ台を前にマレイケと手を組む。始め! と宣言をして力を込めると私の腕がマレイケの腕を押し込んでゆく。こりゃあ余裕だな。とほくそ笑んだが、次の瞬間には私の手の甲がついていた。
「あ、あなた……」
「はい、これで大人しくなさってくださいますね」
「ちょ、ちょちょちょっとお待ちなさいな! 何今のは! 一瞬で負けたわ!」
「…………」
「返事をしなさーい!」
マレイケ、サバタの血縁なのもあるのかもしれないが、もしや何か一族由来の体技でも持っているのでは!? と疑いが向いた。がマレイケは私を無視し続ける。
「納得がいかないわ……! もう一度してくれない!?」
「一回こっきりとの約束ですので」
「くうっ、約束してしまった自分が憎いわ!」
もうマレイケを無視して鍛錬場に行ってしまうか? とも考えたがマレイケに滅多撃ちにされそうな気配がして思い留まる。マレイケの実力が未知数過ぎる。下手を打つと再起不能にされやしないかと考えてしまう。
というかそもそも約束を違えるのは私の美学として美しくない。今日くらい大人しく休息日にするか……。とごろんと転がった。実家よりも寛いでいる今の状況何なのだろう。
「何か役立つ話でもしてくれない?」
「……アリシア様はこの国の地域は大きく何個に分けられるか、ご存知ですか」
「知らないわ。ガルシアではヒティリアの情報はほとんど無いのよ」
「ヒティリアは大まかに十三の地域に分けられています」
十三の地域。それは神話にあった主神イリアドネスと大樹の花から産まれた十二柱の神々が守り育んだ地域に分けられているのだそうだ。
イリアドネスが司るのは今居る首都アドネス、大樹が古くは存在していた地域。
他の十二柱が育んだ地域は、それぞれの神の名前を語源とした名前を名付けられているのだそうだ。
「ヒティリアは割と温暖ですから、水害などが古くからありました。ですので十二柱の神々は皆泳ぎが得意だとか」
「あら、猫も居なかった?」
「猫の柱も泳げるのだそうですよ。ですので水を怖がらない猫は神の写身と可愛がられる傾向が多いのです」
「水を怖がらない猫は珍しいものねえ」
うさぎも泳げるのだろうか。ウサギが泳ぐなど聞いたこともなかったが。鳥は……泳ぐよりも空を飛んで回避しそうなものだな。
「あなたはどちらの出身なの?」
「首都アドネスです」
「他の地域に行ったことはあるの?」
「ありません」
「箱入り娘ねえ」
「あなた様に言われたくはないのですが……」
それはそうね。ふふ、と笑うとマレイケは手を止めて私を見る。
「あなた様は何故、そこまで平然となさっているのですか? 帰れるかも、分からないのに……」
少しだけマレイケの顔が陰る。
「あなただったのならどうするかしら?」
「私、ですか。……無理矢理にでも抜け出そうとするかもしれません」
「わたくしもそうしたって構わないわよ。けれど、逃げ出してガルシアに助けを求めたところで事態は好転しないのよ。あなたにように一般の出ではないですからね」
「……以前言っていた国のために、ですか」
「町娘だったのならひとり消えたところでガルシアは手を差し伸べはしないでしょうね。これ以上、国の関係を悪化させるかもしれない行為だもの。黙殺するでしょう。わたくしはそうはいかない立場。今は周りに身を任せる他ないわね」
「今はですか」
「ええ、今は。言ったでしょう? ただで起きるつもりはないと。わたくしが大人しい人間だと刷り込む他今は手段はない。まあ、その段階が終わったのなら好き勝手させていただくけれどね」
「……守衛を疲弊させる方を大人しく人間だと思ってくださるといいですね」
「あらやだ! 守衛がだらしないだけではなくって?」
ふふふ、と笑うとマレイケはしばらく私を見つめていた。手元の繕いものに視線を戻すが顔は陰っている。……本来はお優しい人間なのだろう。マレイケは。
突き放したような態度。距離を取っているとも取れる冷徹さを見せてはいたが、私の身の上が特殊なあまりどこか心配を滲ませている。利用しない手はない。懐柔することくらい私ならば簡単に行えるよう思えた。そう、無理矢理攫われてきた次期女巫の立場ならば。
マレイケの立場なぞ私に取っては重要ではない。女巫の従者。しかもサバタに似た人間の扱いなら手に取るように分かる。同一人物ではないが、気を引くことは可能だろう。
「ねえ、マレイケ」
「何でしょう」
「わたくし、首都を歩いてみたいわ。そのうち出かけることは出来るかしら」
「申し訳ありませんが、あなた様の立場では……」
「こっそりと行くくらいいいじゃない。いつかあなたの育った街を案内して? あなたのこともっと知りたいの。だってあなたは私の従者なのですからね」
そう、母の従者だったサバタではない。
私だけの従者のマレイケを知りたい。その言葉に嘘は無かった。例え今はそれが彼女を利用するだけの言葉であっても。
「……いつか、ご案内いたします」
「楽しみにしているわね。マレイケ」
寝転がって頬杖をつきながらマレイケに笑みを向けた。マレイケはその私を一瞥したのち、手元の繕いものに目を落とした。
少しだけ眠らせてもらうわ。と仰向けに横になる。マレイケの微かな息遣いと繕いものの布擦れだけが部屋の中で聞こえていた。意識が遠くなり、すう、と落ちてゆく。
…………。
微かに霧の匂いがする。目を開けると白んだ視界が広がっている。横から草の匂いが香ってきた。顔だけ動かせば、あぐらをかいて頬杖をついているエーヴァがいた。
『君、結構腹黒い人間だねえ』
「手段は選んではいられませんから」
誘拐なんざされたのだからこちらとて悪どい手段を使おうが構わないだろう。
恐らく先程までのマレイケとの会話を聞いていたのだろう。眠った私の夢に入り込んで内緒話でもしたかったのか。
『君、ずっとこの神殿に居るつもり無いんだろう?』
「ふふ、……そのうち旅でもと思っておりますわ。ガルシアから一時解放されたのなら楽しまなくては損だと思わなくて?」
『まあヒティリアに居るんなら、女巫がどこに居ようが本来関係無いんだよなあ。ガルシアに居た君が選ばれたのは、俺っちの入った剣を手に取っちゃったから目を付けられたってところ、あるからねえ』
「あら……やはりそうでしたのね」
『君がダンジョンなんぞに潜らなきゃ、そもそも君候補者外だった訳だし。好奇心は猫をも殺すとなんとやら』
「少しは責任を感じているようですわね。負い目があるのならばいつかご協力願いますわ」
『それで君の気が済むのなら、多少は手を貸そう』
やはりダンジョンに潜ったことがターニングポイントだったらしい。原作ゲームではそもそもダンジョンなんざ出ては来なかったのだから。ダンジョンの種を植えた人物が最初のイレギュラーと言うことになる。
誰が仕向けたものかは現時点では不明だ。そもそもアリシアが潜ること自体が二つ目のイレギュラーだ。植えた人物も想定していなかった可能性が高い。
騎士団が調べてはいるだろうが、犯人特定までは行かないだろう。
「ところでエーヴァ様。イリアドネス様にはお会いになりましたの?」
『いんや。会っていないよ』
「あら、何故?」
『今はお休みになられているらしい。他の神々に追っ払われちまったよ』
ただ休んでいるだけなのか? もしやイリアドネスに何か起こっている? と考えたがエーヴァが話を続ける。
『大樹が燃やされてから不安定になることが多かったんだが、今は随分長い間休んでいると他の精霊が言っていた。十二柱以外に近づけるやつは居ないらしい。その十二柱も信用出来るかと言われると出来かねる』
「……エーヴァ様、十二柱の神々のこと、あまりよくは思われていないのですよね。それは何故?」
以前の夢でぼ鼠の件から感じていたが、あまり心象はよくは無さそうだ。聞いてみれば、あいつらは神故に純粋だ。と告げた。
『神故に純粋。純粋故に悪辣。子供が虫を切り刻むように、他の者を淘汰する。あいつらはイリアドネスを崇める心は本物だが、それ以外についてはいい加減だ。心を許しきってはならないよ』
「……覚えておきましょう」
結構神っていうものは碌でもないものなのかもしれない。結構ざっくりした説明ではあるが、エーヴァの言葉は心に留めておこう。
そろそろ夕食の時間だから起きたら。とエーヴァが告げた。もう夢の外はそんなに時間が経っていたのか。
『夢ってのは長くも短くもなる。あんまり入り浸り過ぎると時間感覚馬鹿になるぞ』
「そうですね。そろそろ起きます。それでは」
『ああ、じゃあまたね』
エーヴァとはその言葉を最後に別れる。夢から出ようと目を瞑り、霧の匂いが遠ざかっていった。
…………。
目を開けるとマレイケが驚いた顔をして私の顔を覗き込んでいた。
「あらマレイケ。どうしたの驚いた顔をして」
「いえ、起こそうとした瞬間に目が開いたものですから」
そろそろ夕食ですよ。との言葉に起き上がって今日は何かしら! とうきうきを演じながらマレイケに尋ねた。
「魚の煮付けにラムの焼き串だそうです」
「あら、わたくしラム好きなのよね」
「そうですか。お持ちいたしますので、少々お待ちください」
マレイケを見送って床の間に置かれた竹刀と精霊の剣を見つめた。
エーヴァの言葉を忘れぬよう。努めて神々に会おう。そのうち、会わねばなるまい。私が本当に次期女巫になると言うのならば。
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