第31話 切り替えは大事

 

ちち、と小鳥の囀りと朝の冷えで薄らと意識が浮上してゆく。体が痛い。硬い木の床で眠るだなんて、この世に生を受けてからは一度も無かったのを思い出した。あの夢は今日は見なかったな。とぼんやりと天幕を眺める。


 外からはラウレンスとミリアの話し声が聞こえてきた。じゅうじゅうと何か料理でもしているのか焼ける音がする。


 荷馬車から出ると、ディーデリックが声をかけてきた。


「おはよう。アリシア」

「……おはようございます」

「顔を洗ってくるといい。母をつける」


 ディーデリックがミリアを呼ぶと作業を交代し、ミリアがやって来た。挨拶を交わしたのち顔を洗いに小川に向かう。身支度を軽く整えて戻ると、良い匂いが漂ってきていた。腹が空いた。


 無言のまま朝食を取り終え、三人が撤収作業をしているのを荷馬車に乗ってぼんやりと膝を抱え眺めていた。荷物を乗せた後、御者席にはミリアとラウレンスが座り、荷台には私とディーデリックが乗る。荷馬車が動き出す。あまり乗り心地はいいものではない。まだスズキの方がマシだ。


 荷馬車の中は無言だった。御者席の二人は何か話しているのが聞こえたが内容までは聞き取れない。ディーデリックと二人で遠ざかってゆく外の景色を眺め続けていた。


「……君さ」

「……はい」


 ディーデリックが呟くように言葉を紡ぐ。


「俺らのこと、責めないんだな」

「……やったところで無駄なだけよ」

「意外だな。君の噂を聞いていた身でしかないが、もっと暴れるのかと思ったのに、何か諦めが見えるのが」

「……今ここで逃げたところで、遭難するだけだもの。逃げるのならば機会を窺うわ」

「俺にそんなこと言ってもいいのか?」

「……あなたこそ、諦めているように見える。親にも逆らえずに従って」


 そう呟くと、ディーデリックは無言になった。しばらく二人して再び外に視線を向ける。


「……俺には、夢なんて特に無い」

「……そう」

「だから、流されるように生きるんだろうと思っていた。父母の店を継いで、誰かと結婚して、子供が出来て、……そんな未来しか思い浮かばなかった。……だから二人の正体を知った時は、そんな未来になるくらいなら、従って別の未来を見るのもいいかと思っただけだ」

「流される先が変わっただけじゃない」

「でも、非日常をたまには味わいたいもんだろ?」

「……わたくしは日々が非日常だから、気持ちは理解出来ないですわね。学園の生活を捨ててまで得たい非日常なんてわたくしにはないもの」

「……羨ましいこって」


 吐き捨てるようにディーデリックが言う。彼の身の上は理解したが、だからと言って私の身に降りかかった不条理を認めるつもりはない。ただ、今は機を見計らっているに過ぎない。闇雲に動いたところで不利になるのは目に見えている。自分の利になるのならば今は彼らに従う他ない。


 ヒティリアまでどれほどかかるのかと聞けば、足がつかぬよう行動するらしく、荷馬車を乗り捨てたり歩きだったりもあり、三週間はかかるとのことだった。


 ……足がつかぬようにと言っても、母ならば私がどこへと攫われたのか、恐らく分かることだろう。だからこそ追手に用心して迂回などをしながら目的地に向かうつもりらしい。


 手慰みにエルマから貰ったネックレスを弄る。腰にいつも帯刀していた竹刀と精霊の剣は取り上げられているのもあり手が寂しい。エーヴァが出てこないのを見るに、彼らが居る手前出て来れないのだろうか。と考える。呼べばもしかすれば応えてくれる可能性はあったが、精霊の存在を悟られるのは得策ではないだろう。


 昼休憩を挟み、夕暮れに近づくとひとつの街へと入る。小さな宿場町のようだった。ディーデリックと共に荷馬車を降りると、ミリアが先導して宿らしき建物へと連れられた。今日は野宿では無いらしい。


「ツインふた部屋空いていますか? 四人なの」

「ああ、空いてるよ。お代は銀貨一枚、大銅貨五枚。飯食うなら夜と朝で追加で銅貨四枚」


 ミリアがお代を払い、鍵を受け取るとディーデリックにひとつ鍵を預けて先に私を部屋へと案内した。見張りも兼ねてミリアと同室らしい。


「申し訳ありませんアリシア様。しばらく寝泊まりする時は私と一緒の部屋になってしまうのですが」

「見張りも兼ねてでしょう。別に逃げる気はありません。土地勘も無しに逃げたところで追い詰められるだけだもの」

「……申し訳、ありません」


 食事はどうなさいますか。と聞かれ、部屋でも食べれるかと問うと持ってくると言い部屋を出て行った。

 ……私はこれから旅をするのか。この街の名前さえも知らされていない。恐らく行く先々でも街の名前は教えてはくれないだろう。一応まだガルシア国内ではあるとは思うが、知らぬ土地を丸腰の小娘が歩いていたら恰好のカモだ。自分の身を守るためにも、彼らに従う他ない。


 ああ、なんだかずっと気が沈んでいる。バーサーカーとか言われてはしゃいでいた頃が懐かしい。不名誉な名前だろうが、私にとってはワルの証だと嬉しかったのだ。


 もう開き直って旅行だと楽しんだ方がいいかもしれない。別に死ぬ訳でもないだろう。気持ちを入れ替えて、そう、私はアリシア・ローズレッドで、お転婆でお気楽なお嬢様なんだから。


「……よし!」


 ばちん、と自分の頬を張って気持ちを切り替える。今更起こったことにぐだぐだと考えて沈んでいても事態が好転する訳でもなし。ふふん、私はどこでだって生きていける雑草になるわよ。なんて考えているとミリアが食事の乗ったトレイを手に戻ってきた。


 笑顔を浮かべ、ありがとうと礼を言えば、驚いたように目を見張るミリアだった。ミリアは目つけの役割があるのもあり共に食事を摂る。幾つか質問を投げた。


「ミリアさん、ヒティリアに向かっているのなら、今南下中なのよね。日数的にヒリア辺りかしら」

「え、あ、はい」

「足が付かぬよう移動するなら乗合の馬車にでも乗るの? だとすれば次はシャクシュミかリンドウムが行き先かしら」

「ガルシアの地理、頭に入っていらっしゃるんですね。行き先は言えませんが、乗合の馬車に乗るのは確かです」


 私の変化に戸惑いながらも答えられることにはミリアは答えてくれた。ヒティリア国はガルシア王国の南に位置している。早急に出国するにしても時間はかかるだろう。追手を巻きながらと言うのならば最短距離で向かうのは得策では無い。しかし正規の手段で国境を越えるとなると私の存在で引っかかる可能性がある。抜け道があるのかもしれない。


 食事を終えて寝支度を整え、自分はもう寝ると言いベッドに入った。……実家のベッドが恋しい硬さであった。


 ……正直、今のところ味方になり得そうなのはエーヴァだったが、剣を取り上げられている手前会うことは叶わない。夢にでも出てきてくれやしないだろうか。と思いつつ眠るのだった。

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