第二章

第30話 新たな女巫

『お話してくれるひと、来てくれる。みんなみんな喜んでる』

「…………あなた、前、夢で」


 白く霞んだ視界の中、ちち、と鳴き声が聞こえる。以前見た夢で出会ったあのハムスターの声に思えた。寝転んだまま声のする方に顔だけ向ければ、あのハムスターの姿があった。


『お話きいてくれるひと。ありがとう。ありがとう』

「……お話、聞いてあげるけれど、ここはどこなの?」

『とくべつな夢。みんなとお話できる場所。太陽と星に愛されたひとしか来れない場所』


 霧に包まれたこの場所は神秘的とも思える場所だった。しかし同時に不気味でもあった。私は何をしていたんだったか。確かエルマと共に食事をして、その後は……。


「思い出せない、わね」

『ねえ。今度みんなであそぼうねえ。あそぼうねえ。かみさまに近いところ着いたらあそぼうねえ』


 それだけ言うとハムスターはちち、と鳴きながら霧の向こうへと消えてしまった。脱力しながら目を空へと向ける。眠気が襲ってきて、目を閉じた。何も考えられない。眠ってしまおう。


 …………。


 がたがたと体全体が揺れている。薄らいでいる意識の中、体が硬い床で寝ているように痛い気がした。目を開ければ、布張りらしき天井が目に入る。


「知らない天井、ね……」

「起きた?」

「……ディーデリック、さん」


 ディーデリックが横に座り込んでいた。状況を確認しようと寝たままではあったが見回してみる。どうやら荷馬車のようだ。そこまで大きなものではないが、馬の蹄も音も聞こえてくる。上体を起こすが、頭が重く感じる。頭痛までは行かないが、少しばかり不調気味だ。


「わたくし、何故……」

「……俺も、昨日初めて事情を知ったんだけれど、説明するよ」


 状況を把握したいだろう。そうディーデリックが呟く。荷馬車の音にかき消され気味だがかろうじて聞き取れた。


「まず、この荷馬車はヒティリア国に向かっている。俺も昨日母から聞かされて、急遽王都から出ることになった」

「何故わたくしを?」

「……君が、女巫に選ばれてしまったからだ」


 私が、女巫。何故私が選ばれてしまったのだろうか。何故そうだと分かるのかと聞けば、あざがあったんだろう。と言われる。


「多分、もう聖痕が現れている頃だろう。母が腹を確認した際には既に薄く浮かび上がっていたそうだ」

「……聖痕。それが、女巫の証なの?」

「そうらしい。歴代の女巫も体のどこかに浮かび上がっていたそうだ。……すまない。俺は、父母を止めるべきだったのだと思う。けれど……父母は君を探すためにガルシア王国に移住していたらしい」

「わたくしを探すため?」

「予言が、確か君が産まれる前にあったそうだ。ガルシアで女巫が生まれると。だから、君の母君が身を寄せていた王都に居を構えたそうだ」


 ディーデリックの両親は、女巫が住まうことになる神殿の神官だったのだそうだ。二人の姿は見えないが御者席に居るのだろうか。ここからは確認出来なかった。


「知らなかったとは言え、父母の計画に気がつくべきだった。止めるべきだった」

「わたくし何故眠ってしまったの。食事に何か……」

「ああ。食事に睡眠薬を混ぜていたそうだ。父母の目的を知っていたのならば君らを招待なんざするべきじゃあなかった。君だけでなく、エルマも巻き込んでしまった。……すまない」


 ディーデリックは消沈しているように見受けられた。ディーデリックは何も知らなかったのだ。彼とて被害者のようなものだろう。謝らなくていいと言ったが、再び、すまない、と呟いた。


 身を起こしてディーデリックと向かい合うように座った。会話は無く、ただ時が過ぎるのを待っていた。外が夕焼け色に色付いて来た辺りで荷馬車は止まった。今日は野宿をするそうだ。


「アリシア様、起きていらっしゃったのね」

「あなたは……」

「ディーデの母のミリアです。夫の名はラウレンスと申します。……突然のことで驚いたと思います。お許しください」


 荷馬車から降りるようにと手を差し出されてその手を取った。周りは森のようだ。開けた場所で、川が近いから顔を洗いに行きましょう。とミリアに連れられて川へと向かった。


 小川が流れており、そこで顔を洗う。タオルを受け取り顔を拭いて、少しばかり思考がすっきりとした。途中用を足してから野営地へと戻れば、ディーデリックの父、ラウレンスが焚き火を起こしていた。


「アリシア様。お腹は空いていますか?」

「……ええ」


 座るように促され、簡易的な椅子に座らせられる。ディーデリックとラウレンスが夕食の準備をしているのをぼう、と眺めていた。


「大丈夫ですか。薬が強すぎたのかもしれないですね」

「……わたくしの剣はどこに?」

「荷馬車に積んであります。申し訳ありませんが、しばらくは預からせていただくことに」

「そう……」


 調理風景を眺め続ける。手際がいいものだ。味噌の懐かしい香りが漂って来た。味噌汁を作っているらしい。それに加えて、恐らく米も炊いているようだ。懐かしい食事だが、今は味わって食べれる自信はなかった。


 エルマから貰ったネックレスを無意識に掴んだ。……害意あるものから守ってくれるらしいが、彼らには害意は無かったのだろう。魔力は確かに感じたし、発動した様子は無かった。


 ゲームではこんな展開は無かった。最後までエリンの邪魔をする悪役令嬢がアリシアの役割だったのだし、途中退場が無かった訳では無いが、誘拐されるイベントは存在しなかった。何か、違うことがあったのならば、……ダンジョン攻略くらいしか思い浮かばない。あそこがターニングポイントだった可能性がある。いや、そもそもゲームとはアリシアの在り方が大分違っている。何が起こっても不思議では無かったのかもしれない。


「アリシア様、食事をどうぞ。食欲はありますか?」

「……ありがとう。いただくわ」


 こんな森の中、場所も何処だか分からないのに丸腰で逃げるのは危険すぎる。……ヒティリアに着くまでに街に寄る機会に逃げるべきか。いや、それでも私の見目は目立つそうだし、危険な賭けだろう。大人しくしているべきか。


 味噌汁を飲むと腹から暖まってゆく。おにぎりを貰って食べれば塩気が効いていて美味しい。……懐かしいな。なんて考える。涙が溢れそうになった。


 エルマは無事だろうか。両親は、サバタは心配しているだろうか。……こんなことになるのならば、サバタの言葉を聞いておくべきだったか。彼女は勘が鋭い女性だと思っていたが侮れない勘だな。


「お口に合いましたか?」

「ええ、美味しいですわ」


 今は無理矢理にでも笑っておこう。そうしなければ泣き出してしまう気がした。


 食事を終えてお茶を貰う。三人も食事を終えたが、しばらく無が辺りを包んでいた。私から話題を振ることにした。


「ミリアさん、女巫のことなのですが」

「はい、お聞きしたいことは多くあると思います。答えられることならばお答えします」

「……どうして、わたくしだったのかしら」

「神々が決めることですから、私共からはなんとも」

「そうよね。ごめんなさい。……予言があったと、ディーデリックさんからはお聞きしたのですが、具体的にはどのような?」

「太陽と星に愛された女性がガルシアで生を受けると、そうしてその女性は、元女巫であった女性の娘だと」

「元、女巫……」

「あなたの母君のイリス様です」


 やはり母は、この国の根幹に関わっていた人間だったのか。何故その元女巫がガルシア国に居たのか。それを聞けば、ミリアは口籠る。聞かれたくない話題らしく、言える時が来たのならば言ってほしいと頼む。

 ラウレンスが口を開いた。


「あなたは日常を奪われた被害者です。こちらの事情に巻き込んでしまって申し訳ない。しかし、我らには女巫様が必要なのです。どうか、ご理解ください」

「……理解だなんて、出来っこないわ……。少なくとも今は」


 腹の底から憤りが湧いてきた。この状態ではディーデリックの両親に当たってしまいそうだと考え、頭を冷やすのも兼ねて今日はもう休みます。と告げる。


 ミリアとラウレンスも理解しているのだろう。踏み入っては来なかった。荷馬車で寝るようにと言われ、毛布を貰い、寝転んで包まった。


 エルマは、無事だろうか。母は、父はとぐるぐると頭の中で考えながら、不安を抱きつつ眠りについた。

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