第29話 言っただろう。君は選ばれてしまったのだと

 次の休み、出かける準備をサバタに手伝ってもらいながら着替えをしていると、サバタがそちらのあざはどうなさったのですか? と問うてきた。


「あざ?」

「その左の脇腹にあるあざです」


 左脇腹を見てみると、確かに青あざが出来ていた。ルーザーに入れられたのは腹の真正面だったし、特にぶつけた記憶もなくなんだろうかと思っていると、お嬢様。とサバタが呼んだ。


「その……やはり今日の外出はおやめになっていただけませんか」

「え? 何故かしら」

「確か、ヒティリアの方の店を訪ねるのですよね。……あまり、いい予感がしないもので」

「大丈夫よ。だってエルマ様もご一緒なのだから。護衛の方だってつくのですもの」

「なら、ベニグノも連れて行ってください」

「ええ? ベニグノなんて連れていっても他の護衛の方のご迷惑になるだけよ。あの人いざとなれば確かに心強いけれど、そんな心配無いだろうし。だってエルマ様の護衛だって腕利きよ?」


 やけに心配しているサバタだったが、大丈夫だと笑顔を向ければ、そうですか。と素直に引き下がった。だが浮かない顔のままだ。珍しいこともあるものだと着替えをして化粧をしてもらい身支度を整え終える。


 ソファに座って帯刀ベルトにつけている精霊の剣を撫ぜた。エーヴァは呼びかけてもしばらく姿を現さなかった。まあ精霊なんて気まぐれなものと聞くし。と気には留めていなかった。


 エルマの来客を告げられ、帯刀ベルトを帯びて玄関へと向かう。私服の姿のエルマの姿を認めて駆け寄るとエルマが笑顔を見せた。


「今日も美しいね。アリシア」

「エルマ様も見目麗しいわ」

「そんな、照れてしまうね」


 くすくすと二人笑い合い、行こうか。とエルマに手を差し出されその手を掴む。エスコートされながら外に出て馬車に乗り込む。向かい合って座り、今日はありがとう。とエルマが礼を言った。


「わたくし特に礼を言われるようなことは」

「いや、君が自身のルーツを知りたいと思わなければ、僕はヒティリア国のことを知ろうとも思わなかったのではと考えてね。君がいい機会をくれたのだと」

「……ふふ、お役に立てたのなら、素直に受け取っておきます」

「どんな話が聞けるのだろうね。楽しみだ」

「わたくしもですわ」


 馬車に揺られながら市街地へと入ってゆく。しばらく進むと異国情緒佇む店構えの建物の前で馬車が止まった。どうやらここがディーデリックの両親の営む店らしい。


 御者が扉を開け、エルマが先に出ると振り返って手を差し出された。その手を掴んで馬車を降りる。店構えは若干だが和風テイストに感じられた。入ろうか。とエルマと共に戸を開けると貸切らしく客は居なかった。店の奥からディーデリックに似た髪色の女性が現れた。


「お待ちしておりました。ディーデの母です」

「僕はエルマ・ガルシアと。この度は無理を言ってしまってすまないね」

「いえいえ! とんでもございません! ディーデから話を伺った時は驚きましたが、皇太子殿下に謁見することができて恐悦至極でございます」

「わたくしはアリシア・ローズレッドと申します。お招きいただきありがとうございます」

「アリシア様、同じヒティリアの血を引く者としてお会いでき嬉しゅうございます」

「わたくしもですわ」


 席にお付きになってお待ちください。とディーデリックの母が告げる。エルマが椅子を引いてくれたので素直に座れば向かいの席にエルマが腰掛けた。


「どんな食事が出てくるのだろうね」

「楽しみですわね」

「あ、来てたんだ」

「ディーデリック、今日はありがとう」


 厨房の奥から顔を見せたディーデリックは出てくると近くまでやってきた。


「今日は何を食べれるのだい?」

「魚の煮付けにお造り、揚げ物とかもある。父が張り切っていたよ」

「お刺身が食べれるの?」

「刺身って……生魚を食べるんだったか」

「カトラリー、一応ナイフとフォークで食べれるけれども、希望するなら箸も出す」

「じゃあわたくし箸にしますわ」

「箸ってなんだい?」


 ディーデリックがエルマに箸の説明をしているのを聞いて、もしやヒティリアって和食に似た料理があるのだろうか。煮付けにお造りと言っていたしあり得なくはない。ああ十数年ぶりに刺身を食べれるのか。と思うと少しそわそわとしてしまった。


「アリシア、随分と楽しみにしていたのだね」

「だって母の故郷の料理ですもの。やはり興味はありますから」

「食べ終わったら父母が話してくれるらしいから、二人とも楽しんで」


 それだけ言うとディーデリックは奥に引っ込んでいった。エルマと雑談をしながら待っていると、ディーデリックと彼の母が料理をどんどん運んできた。並べられた料理は旅館にでも出てきそうな料理たちだ。小さな卓上コンロに火をつけると、しばらくして煮えたら食べてほしいとのことだ。


 メインは魚の煮付けにお造り、今鍋に煮え始めた恐らく肉料理に小鉢や煮物など、久々の和食にテンションが上がった。


「では、いただこうか」

「ええ、いただきましょう」


 エルマはナイフとフォークで食べ始めたが、私は箸を久々に使って煮付けに箸を入れる。ほろ、と柔らかく煮込んである。口に入れれば醤油の風味と味が広がって、なんだか懐かしくて少し涙が出そうだった。


「君、箸を使えるんだね。器用なものだな」

「幼い頃、母に教えられたのです」


 ああ、どの料理も懐かしさを誘う。郷愁に浸るなど前世を思い出した幼い頃以来だった。美味しいですね。これは面白い味だね。なんて会話をしながら食べ終え、食後の一杯にと緑茶をもらった。懐かしすぎる。


「お口に合いましたか?」

「ええ、どれもとても美味しゅうございました」

「初めて食べる物もあったが、とても美味だったよ」

「ああ、安心しました」


 なんだか腹が膨れたのか少々眠くなってきた。ディーデリックが片付け始め、卓上が広くなる。話を聞いてもいいかとディーデリックに問うと、父も呼んでくる。と奥に下がっていった。


 しばらくすると男性が姿を現した。ディーデリックと同じ褐色の肌に、青みがかった髪色の壮年の男性だった。


「ディーデリックの父です。食事はいかがでしたか」

「とても美味だった。異国の料理なんて食べる機会がなかったから、今日は良き日だよ」

「それはよかった。……殿下、アリシア嬢、この度はお会いできて光栄です。まさかこんな場末の店に高貴な方が来るだなんて、ディーデに聞いた時は驚きましたよ」

「突然の訪問、どうか許してくれ。今日はあなた方の故郷の話を聞きたくて伺ったんだ」

「なんでもお聞きください」


 ディーデリックは奥で洗い物でもしているのか、この場にはディーデリックの両親だけが居る。店の外には護衛が見張っているが、時たま中の様子を伺っているようだった。エルマが学友の店だから心配は無いだろうと外で待機させているのだ。


「ヒティリアでは、アリシアのような見目の女性は珍しいのかい?」

「白や銀の髪色の女性は珍しいものですよ。神からの祝福を受けた、星に愛された証です」

「褐色の肌は太陽に愛された証、とお聞きしたのですが」

「ええ、褐色の肌はとても多いですが、皆太陽に等しく愛されているのだと言い伝えられております」

「僕のような肌の人間も居るのかい?」

「ええ、白い肌は夜に愛された証と言われています」

「どんな人間も愛されて居るのだね。なんだか素敵だ」


 ……何だろうか。エルマにどこか違和感を感じた。眠そうなとろんとした目になっている気がする。


「ヒティリアの食事は独特だね。なんだかお腹が一杯で幸せだ」

「ええ、わたくしも初めて食べるものも多く……行ったこともないのに懐かしくなってしまいましたわ」

「それはよかったです。……時に、アリシア嬢にお聞きしたいのですが」

「何かしら」

「体のどこかにあざがありませんか?」

「あら……そうね。脇腹にぶつけた記憶のないものが」

「そうですかそうですか……。ミリア、ディーデに用件を伝えてきてくれないか?」

「ええ、待っていて」


 ディーデリックの母は奥に引っ込んで彼の父だけになる。どうしたのだろうか。と考えていると、がたん、とエルマが机に頭をぶつけて伏せてしまった。


「エルマ様!?」

「あ、アリ、シア……」

「どうしたのですか!? ご、護衛の方を」


 立ち上がったものの、ふら、と立ちくらみのように視界が黒く色づく。椅子に戻って収まるのを待つが一向に治らない。何が、起こっていると言うの。


「……お許しください」


 ディーデリックの父が私を抱き上げる。力が戻らない。脱力したまま身を任せるほか無く、弱々しくエルマの名を呼んだ。


「エ、ルマ、様」

「ア、リシア……!」


 ディーデリックの父の歩みが止まる。弱々しい動きでエルマを見れば、ディーデリックの父の足にエルマが縋り付いていた。服を掴みながらどうにか立ちあがろうとしていたが、いともたやすく振り払われ、私は奥へと運ばれて行った。意識が遠のき始め、エルマ様と呟くのを最後に意識が途切れた。


『だから行くべきじゃあ無いと言ったのにね』


 微かにエーヴァの声が聞こえた気がした。

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