第20話 相撲を取らなきゃ始まらない

「スズキ、今日もあなたは美しくて可愛らしいわね」


 謹慎中真っ只中、庭でスズキを走らせていた。たまに走らせてやらなければストレスが溜まってしまうのもあり、走らせた後は体を洗ってやろうとたてがみを撫ぜる。


 郊外にある屋敷は長閑なものだ。鳥の囀りや葉の擦れるさわさわとした音が辺りを包んでいる。もうそろそろ謹慎は明ける。そうしたらまたスズキで爆走してやーろう。と馬上でほくそ笑んだ。


 お嬢様。と声がした。見れば少し遠くにエンリケの姿を認めた。スズキで近くに寄れば、父から話があるとのことだった。


「急ぎかしら? スズキを洗ってやりたいのだけれど」

「いえ、三時ごろまでにお越しいただければいいとのことです」

「そう。じゃあ世話を終えたら向かうと伝えておいて」

「はい。かしこまりました」


 エンリケの用はそれだけのようですぐに去って行った。もうしばらくスズキを走らせた後洗い場に向かって紐を繋ぐ。足元から水をかけてゆき、体や尻尾、たてがみを洗ってから蹄の隙間の汚れを掻き出す。最後に蹄に油を塗って、体の水気を切ってから馬房にスズキを戻す。しばらく撫でてやってから厩舎を出て、父に会うために乗馬服のまま書斎へと向かう。扉を叩けば声が聞こえ扉を開いた。


「アリシアか」

「お呼びでしょうか。お父様」


 執務机の前で立ち止まり、父の言葉を待つ。キリのいいところで書類に目を通し終えたのか、父が顔を上げた。


「お前、そろそろ謹慎は解いてもいいと思っているが、少々聞きたいことがあってな」

「何でしょうか」

「……学園の寮には入るつもりはないのか?」

「どういうことでしょうか」


 父の話はこうだ。学園の寮に入れば寮母や寮父の監視の目、また護衛や侍女などに監視を頼めることや、他の貴族生徒たちとの交流など家から通わせるよりも都合が良いらしく、そうしてほしいとのことだ。


 ……絶対に嫌だ。家以上に苦痛な空間だろう。しかもアリシア殺人事件に発展する可能性が高まる。そんなのゲロが詰まりますわ〜とふざけながら父に返せば顔を顰める。


「お前は少々甘やかしすぎたきらいがある。団体行動などの規律など叩き込めば下手な手は打たないと思ってな。エンリケに挑むことも無くなってこちらとしては時間を奪われずに済む」

「お父様……わたくしのことがお嫌い……?」

「そうは言っていない。ただ、お前もそのうち家を出るのだから、親離れはしてくれなければ困る」

「……分かりましたわ。お父様相撲をとりましょう!!! それの勝敗で決めましょう! 寮に入るかどうか!」

「…………は? スモウ?」


 ぱあんと勢いよく尻を叩くと父は目を点にして私を見ている。高笑いしたくなりながら、相撲についての説明をする。脳内で何故か太鼓の音が鳴り始める。


「相撲とはある国の武芸です。身ひとつでぶつかり合い、神に安泰や五穀豊穣、行動などの安全を祈願する神事。神聖な武芸なのですよ」

「そ、そうか。……それで、なぜそれを?」

「わたくしの寮生活、お父様が勝てば寮が安泰、わたくしが勝てばこの家が安泰と言うことにいたしましょう。さあさ、準備なさって」

「準備と言われてもな……具体的にどんな武芸なんだ」

「四メートル半ほどの円の中で勝負し、相手の背を地面につけるか外へと押し出した方が勝ち、と言う大変シンプルな勝負です。お父様ならわたくしに勝てますよねえ」


 わざと父を煽る。呆れつつも、父はそれで潔く寮に入るのならば、と庭に向かうぞ。と私に告げた。


 ククク、計画通り……! なんせ前世では私は祖父と共に相撲を観戦していたガキンチョ。技の事ならば知り尽くしている。体格差があろうがこちらの利は決まっている。卑怯だろうが寮には絶対に入りたくない。使える手は使うのだ。


 庭に向かって暇にしていたベニグノを見つけて縄を持ってくるように父が指示をする。空は青々と晴れ渡っている。ふ、いい勝利日和ね。とにやけながら目を細めた。


 ベニグノが戻ってきてロープで芝生の上に円を作る。父と向かい合い、構えはこうですわよ。としゃがみ込んで向かい合う。


「ベニグノ、はっきよいのこった、と言いながら合図をなさい。円から出たか背中を地面へついた方が負けですわ。あなたは審判です」

「何の勝負してるんです? 旦那様」

「アリシアが寮に入るかどうかだ」

「……ははあ」


 ベニグノには話は見えたらしく私にちらりと目を向けた。それに笑みを返して、構えてくださいな。と父に告げる。


「あい、両者いいね。……はっきよいのこった!」


 一気に立ち上がって飛び込んできた父の目の前で、私は思い切りばちん! と手を張った。所謂猫騙しだ。びくりと目を瞑って反応した父の腰ベルトを思い切り掴んで横に引っ張る。体制を崩したが父は踏ん張って体制を立て直した。


 猫騙しは多少は効いたようだが、男女の力の差は歴然だ。土俵際まで押し込まれたが、私は踏ん張って耐え、片足を父の足に引っ掛けて共に倒れるように体重をかけた。


 ぐるんと遠心力で私は父の上に回り、背中をついた父の上に倒れ込んだ。


「あはははははは! わたくしの勝ち!」

「お嬢の勝ちだねえ。旦那様」

「くう……お前は本当に……悪知恵が働くというか」


 父の上で笑っていると父が上体を起こす。私は父の膝の上で笑い続けた。ふ、と父も笑みを浮かべた。呆れたような。


「寮に入ったらお父様と会えなくなるのは寂しいですわ。だっていずれほとんど会えなくなるのですもの。今くらいのわがまま、良いではありませんか。可愛い娘のわがままですわよ」

「……はあ。娘には弱いものだ」


 父は立ち上がると私を抱き上げてぐるぐると回った。子供の頃に戻ったようで、きゃらきゃらと笑い声を上げた。


 降ろされると父と同じ色の髪は乱れていたが、父が手櫛ですいてくれる。頭を撫でられて、顎に手が回る。


「イリスに似て美しくなったが、中身も昔のイリスにそっくりだな」

「お母様とはどこで出会ったの?」

「……旦那様」

「……ヒティリアの田舎街だったよ。サバタとベニグノともそこで」

「お母様、どんな方だったのかしら。今とは違うの?」

「……いずれ話すさ」


 必ず話す。待っていてくれ。

 そう言う父の目には、懐古の色が見て取れた。ベニグノはほっとしたように胸に手を当てていた。そのいつかは、一体どれほど先なのだろうか。


「絶対よ。お父様」

「約束するよ」


 マイディアー。そう言えば父は服についた草を払いながら帰って行った。私はベニグノに向かって、相撲を取らない? と持ちかけて断られるのだった。それならばエンリケに頼もうか。と告げると、あの人相手は肉弾戦では絶対に勝てないだろうから辞めておけ。と言われた。そして下手をすれば死ぬとも言われ、想像してあり得そうだと恐ろしくなる。


 昼行灯に戻るよ〜と言うベニグノと別れ、自室に帰ってサバタに相撲をけしかけると思い切りぶん投げられてベッドに沈められるのだった。


「サバタの意地悪! 手加減くらいしなさいな!」

「お嬢様、サバタはお父上より優しくはないのですよ」

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