第19話 ベニグノと言う男
「お母様〜! ずっと屋敷で引きこもるなんて暇だわ!」
母の自室に突撃して泣きつくと、母はあらあらまあまあ、と穏やかに声を上げた。隣にお座りなさいな。と告げられのろのろとソファに座る母の隣に腰掛けた。
「聞いてくださるお母様! エンリケ、謹慎が終わるまで手合わせしてくれないって言うのよ! そこまでする!?」
「あなた、やったことの大きさは理解しているの?」
「していますわ〜! でも好奇心には抗えなかったというかあ」
「あなたのお転婆は底が知れないわねえ」
くすくすと笑う母の反応にぶすくれる。
「サバタだって冷たいのよ! わたくしのこと冷ややかな目で見てくるのですもの。怖くて仕方がないわ」
「サバタはあなたを大切に思っているのだから、心配をかけた分受け入れなさいな」
「でもお〜! 腕相撲勝負もしてくれないの。素振りでもしていればいいのでは? って冷たいの。遊んでくれるくらい、いいじゃない」
刺繍を進めている母の手元を見ながら、謹慎いつ解けるのかしらん。とぶつくさ文句を言いながら母の腹に抱きつく。
「お母様〜、サバタにちょっとだけでいいからもう少し緩くしてと言ってくださいな」
「サバタはあなたを思ってああしているの。私の言葉でもテコでも動きませんよ」
そんなあ〜、と泣き言を漏らすと抱きついている腹が揺れる。笑っているのだ。それにへそを曲げいじけると母は手を止めて私の頭を撫ぜた。
「いいですか? アリシア。あなたは多くの人に愛されているのよ。私にもお父様にも、サバタやエンリケやベニグノだってね」
「むう」
それは理解している。私が奇行に及ぼうとも抑圧するなんてことをしてこなかった人ばかりだ。エンリケなんて幼い頃はとても甘かったし、サバタだってよくよく私に優しげに接してくれた。今この状況においても謹慎だけで学園を退学しろなんて言う人は誰ひとりとして居なかった。
ベニグノも今は謹慎中だ。私の命令に逆らえなかったのだと言えと言い含めておいたのもあったが、ベニグノは暇でいいわな。と笑って私を責めることはしなかった。
母も父も、叱れはすれどそれまでだ。私に何かをやめろなどと強制することもない。恵まれているだろう。
ゲーム内のアリシアは、悪役として出て来はしたがエルマに近づくエリンや他攻略対象に妨害行為を行うのは、自由であるエリンへの妬みなどそう言った感情から来るものだったはずだ。アリシアの家庭内での立場は現状の私と大差なかったのではと思う。
けれど、それはそれとして暇なのだ。暇ですわ〜とわあわあと喚いていると扉を叩く音。母が入りなさいと言えば、入って来たのはベニグノだった。
「ベニグノ、久しいですね」
「いやあ、イリス様。確かに久しい」
「どうしたのよベニグノ」
「お嬢暇してるとかでイリス様に泣きつきに言ったってサバタさんが言ってたからさ」
探しに来たのさ。とベニグノは笑みを浮かべながら告げる。何か用があったのかと聞けば、暇なら手合わせでもどう? とのことで私は飛びついた。
「やりましょう行きましょう!」
「エンリケにも相手されてないの流石に可哀想でさあ。バーサーカーなんだし」
「バーサーカーとは何かしら」
「お嬢のあだ名だよ。学園での」
それを聞いた母は大笑いし始める。そんなに笑わないでくださいまし! と母に言うが、きゃらきゃらと笑って心底可笑しいと言わんばかりだ。
「あなた愉快ねえ本当に」
「わたくしは気に入っていますわ。面白いから」
「イリス様とそこまで理由変わらなくない?」
ま、行きましょうベニグノ。と母に別れを告げ部屋を出た。着替えてくるから庭に行って居て。とベニグノと一旦別れ自室に戻る。自室ではサバタが掃除をしていた。着替えを手伝ってほしいと言えば、サバタは目を細めた。
「謹慎中のはずですが?」
「屋敷の中なら何をやったっていいでしょう? ちょっとベニグノと遊ぶだけよ」
「……もう少し自分のなさったことをよくお考えいただきたいですねえ」
「分かった上でよ。愚かなことはしたけれども、だからって部屋で腐っているより健全だと思わない?」
「……はあ。服をお脱ぎください。用意しますから」
渋々と言った風に身軽な服を用意し始めたサバタの背にほくそ笑む。やはり私は大層甘やかされているな。と。
やっては駄目なことへの線引きは理解しているが、だからって従う女ではないとサバタは理解している。甘やかしと言うより諦めとも言える。
サバタの手伝いを受けながら服を着替え、竹刀片手に部屋を飛び出して庭へと向かった。ベニグノは庭の真ん中で寝っ転がって空を見上げている。覗き込んで微笑むとベニグノは眩しげに目を細めた。
「ベニグノ、準備出来てよ」
「思ったより早かったね。ひと眠りとでも思っていたんだが」
「男を待たせるだけの女じゃないの」
ま、多少準備は要るけれどね。と上体を起こしたベニグノに片手を差し出す。その手を取ったベニグノを引っ張って立ち上がらせた。
「謹慎って言っても、お嬢は大人しくしていられない女の子だからねえ。じゃじゃ馬お転婆娘だし」
「ベニグノなんか昼行灯じゃない」
「くく、ま、そうだわな」
ベニグノは木刀を拾い上げると、ちょっとした遊びをしよう。と告げた。
「何かしら」
「刀地面につけてぐるぐる三十周して、平衡感覚を無くしてから手合わせ開始してみよう。混乱状態に陥らせるモンスターなんかも居るからな。似たようにふらつくこともあるから訓練にはなるよ」
「まあ。まるでわたくしがまたダンジョンにでも潜ろうとしているように言うのね」
「もし機会が巡ってきたら、お嬢、やんだろ?」
「ふふ……さあ、どうかしらね」
やってみましょうか。と竹刀を地面につけて、始め! とベニグノの声と共にぐるぐると回る。三十周した頃には視界があっちこっちにぐらつき、平衡感覚が馬鹿になっている。ベニグノも同様のようで向かい合ったものの、目標とずれた場所に竹刀が空を切る。
「あははっははは! これ気持ち悪いわ!」
「うわー、三半規管馬鹿になってるよ。久々にやったら」
よろよろと外野から見たら老人たちの手合わせかと思われそうな光景であった。
が、次第に感覚が戻ってくる。ベニグノに一太刀入れようとすれば木刀で防がれる。治ってきたのはベニグノも同様だ。二人して徐々に普通の立ち回りが出来る様になってくる。下段から振り上げてベニグノの顎を掠める。上段から肩に向かって叩き込もうとすれば防がれた。
「混乱状態からの復帰の仕方の練習にはなるから、たまにやるといい!」
「そうするわ! 遊びとしても面白いものね!」
喉元に突きの攻撃を繰り出すと上体を捻ってベニグノが避ける。ベニグノの攻撃もこちらへと向かってくる。
今まではベニグノとこうして手合わせをすることは多くはなかった。精々エンリケが不在だった時の代わりだ。しかしながらベニグノもかなり腕はある。面倒とかどうとか言ってやってくれないことは多かったが、今後はもう少し世話になろうか。
ベニグノとの手合わせは夕刻まで続き、腕に疲労が溜まってきた頃、ベニグノから終了〜と声が上がる。
「流石に疲れた。歳だわ〜」
「これからたまに手合わせしてくれないかしら」
「気が向いたら」
「じゃあ明日もやりましょう!」
「やだよ〜だ。昼行灯のベニグノさんは昼行灯に忙しいから」
「意地悪!」
ベニグノは、そろそろ夕食の時間だろう。と私を屋敷まで戻すとどこかへと消えていった。何というか、どこまでも掴みどころのない男だ。だが実力は確かではある。
いつか、母やサバタのことと共にベニグノの過去も聞ける時が来ればいいが。
自室に戻って着替えた後、夕食の席で父に小声を言われたが言うならベニグノにも言ってほしいものだと思考を遠くに飛ばし、から返事がばれて怒られるのだった。
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