第3話 家ではスケバン解除令

「すごかったですね……午後の授業」

「あの程度で戦意喪失だなんて、軟弱ですわね」

「護衛の方、どうして居ないのかと疑問だったんですが、あの強さなら納得です」


 カナンが更衣室で話しかけてきた。他の生徒は怯えて話しかけて来ないのに、彼女は平然と話しかけるのを見て、結構肝が据わっているのだな。と考えた。


「カナンさんは実技は苦手なのね」

「ええ、魔法なら得意なんですが」


 カナンは木刀を持つのはいいが振りかぶろうとしたら手からすり抜けて飛んでいってしまっていた。ちょっと可愛いと思ったのは内緒である。


「そういえば婚約者の方も通っているんですよね。皇太子殿下」

「ええ、ひとつ上の学年に在籍していらっしゃいますわよ」


 私は皇太子妃になる未来が決まっていた。本当は、そんなの無視してしまいたい気持ちはあった。だが決まってしまったことに異論を唱えられる立場ではないのだ。いっそ主人公が彼と結ばれて、私は婚約破棄になれば自由の身にはなれる。しかし両親の面子を潰すわけにはいかない。


 両親もそれを理解してくれているのだろう。だから私の奇行にも目を瞑ってくれている。嫁ぐまでは、出来るだけ自由にと。


 私の実力なら、遠い地へ逃げることは可能かもしれない。けれどこの世界の両親を私は愛してしまっていた。だからこそそんなことは夢物語なのだ。


「放課後はどうなさるんですか? 私、お茶会に誘われているのですが、よければ」

「わたくしは参りませんわ。……カナンさん。あまりわたくしに近づきすぎてはいけませんよ。わたくしが避けられるのはいいですが、あなたを巻き込むのは忍びないですから」

「私は好きでアリシアさんに接しているんです。だから、お友達になりましょう」


 カナンは柔らかく微笑んでくれた。……巻き込みたくはなかったが、彼女の意思を拒絶してまでの言葉は出なかった。


 放課後になりカナンと別れた。厩舎を探すために途中別クラスの生徒に尋ねたが、噂が広がるのは早いらしく怯えた表情だった。場所を聞き出して向かうと、厩務員だろう男性が蹄の削蹄をしている最中だった。


「もし、よろしいでしょうか」

「ん? どうかしましたか?」

「ここに馬を預けてもらったのですが、青鹿毛の馬で……」

「あー、先生が預けに来てた。鞍とハミ外してありますけど自分で付けれますか?」

「ええ、中に入っても?」

「どうぞ連れてってください。馬で今後も登校するんですか?」

「お世話になってもよろしいかしら」

「構わないですよ。あの馬、いい馬ですねえ。名前は?」

「スズキと言います」

「へえ、不思議な名前ですねえ」


 よく可愛がられている。と厩務員の男性はにこりと笑う。礼を言って厩舎に入ると、一番奥にスズキが馬房に入れられていた。


「スズキ、帰りましょうね」


 ぶるる、と返事をするように鳴いたスズキにまず顔についている頭絡にロープを付ける。馬房の外に出して仮繋ぎの場所に繋いで鞍とハミを手綱を付ける。

 ロープを外してから先程の厩務員にロープを返して鞍に横乗りをする。


「気を付けてくださいね」

「ええ、ではこれにて」


 スズキの腹を軽く蹴ると歩き出す。軽い走りから始まり、校門へと向かう道を進んでゆく。徐々にペースを上げて帰宅するであろう生徒に向かって叫ぶ。


「おどきになりまして〜!」


 全速力では無いがそこそこのスピード故、生徒が避けてゆく。あれローズレッドだろ。との声が聞こえたが無視をして家路を進む。街に入り、坂を駆け降りてゆく。


 今日はどんな作戦でエンリケに挑もうかと考えていると、おい! アリシア! と声がかかった。手綱を引いて止まるとタルガが駆けて近づいてきた。


「あら、名前の知らない誰かさん」

「タルガだっての! ……その、ごめん」

「何に対しての謝罪かしら」

「昼飯の時、馬鹿にしたことだよ!」

「別に気にしておりませんわよそんなこと。ただまあ、弱いくせに挑んできて最後には泣き出す。無様で高笑いをしたかったですよ」

「お前性格最悪だな……」

「なんとでも。謝罪だけがご用だったのかしら?」

「……熊」

「はい?」

「熊倒せるようになってやるよ!」

「ふふ、土台無理な話かと」


 では、ごきげんよう。

 そう告げてスズキの腹を蹴る。進み出したスズキの上から遠ざかってゆくタルガを見て、私には誰かと恋に落ちる権利はないだろう。と考えた。


 皇太子だって政略結婚のようなものだ。たまたま私に白羽の矢が立った。公爵家の娘で、自分で言うのはあれだが見目も良くて。まあ性格は野蛮人極まりない自覚はある。


 私は結局どれだけ奇行を犯そうが籠の鳥だ。せめて嫁ぐまでは自由でありたい。じゃじゃ馬などと言われようとも。


「スズキ、自由ってどんなものなのかしらね」


 語りかけても返事が返ってくることはない。分かってはいてもどうしようもない無力感が襲ってきた。


 街の郊外に私の屋敷がある。小鳥の囀りを聞きながら、スズキを走らせ屋敷の門の警備兵が門を開けてくれた。厩舎に向かい、鞍やハミを外して馬房に入れて厩務員に世話を頼む。


 屋敷の中に入ると居合わせたメイドがお帰りなさいませ。と礼をした。バスケットを預け、真っ先に向かったのは母の居室だった。ノックをして返事を待って入る。


「お母様〜! 疲れましたわ〜!」

「あらあら、お疲れ様。アリシア」


 ソファに座る母の膝に縋り付く。床に座って今日の出来事を話した。すると母はくすくすと笑いながら私の頭を撫ぜてくれた。


「熊を素手で倒す目標がある女の子なんて、あなたぐらいよね」

「だってだってわたくしの初恋はエンリケですのよ! エンリケより強い方がいい!」

「あなたはもう嫁ぎ先は決まっているでしょう」

「……わたくし、嫁いだらもうエンリケには挑めないのね」

「竹刀を振り回すのも無理ね」

「もー! どうして大人は勝手に決めてしまうの! 家出でもしようかしら!」

「まああなたなら旅人になっても生きていけるでしょうからねえ。本当に嫌だったのならそうすればいいわ」


 母の柔らかな言葉は、私の選択肢を否定はしない。いつだって母は私に味方してくれる。その優しさが辛い時もある。選択肢が増えても選べるのはたったひとつだ。


「エンリケに挑んでくる! 嫁ぐまでにもう百回は!」

「はいはい、行ってらっしゃい」


 立ち上がって母に夕食になったら会いましょうと告げて部屋を後にした。通りすがりのメイドにエンリケを知らぬかと聞けば、自室に入るのを見かけた。と教えられる。バトラーの部屋へと向かい、竹刀を抜きながら思い切り扉を蹴破った。


「覚悟オオオォォォ!」


 こちらに気が付いたエンリケは瞬時に身を動かし、はっしと片手で竹刀を受け止められてびくともしない。むしろ思い切り引っ張られて竹刀がすっぽ抜けた。


「ウエーン! 今日も負けですわあ〜!」

「お嬢様、いつも言っているでしょう。声を上げずに参ってください」

「声を上げたほうが威力が増しますわ〜!」


 実際声を上げると驚いた相手が思考停止状態になる場合もある。まあエンリケは最早慣れっこだから意味がないにも等しいのだが。


「おかえりなさいませ、お嬢様」

「ええ、ただいま。今日は忙しいかしら、稽古をしたいのだけれど」

「少々細々としたものがありますので、明後日にでもどうでしょうか。学園も休日でしょう」

「分かりましたわ。明後日、約束ですわよ!」

「ええ。ああそれと、新しい竹刀になさったほうがよろしいかと。少し割れています」

「そうですわね。ん〜、今までありがとう竹刀ちゃん」


 竹刀に頬擦りをするとエンリケは呆れた表情をしていた。狼の顔ではあるが長年の付き合いで表情は理解出来るようになった。


「今日はお疲れでしたでしょう。夕食が終わりましたら、早めに就寝した方がよろしいですよ」

「そうしますわ。エンリケ、お仕事頑張ってね」

「ええ、ありがとうございます」


 エンリケの部屋を後にして自室へと向かう。そういや置き勉してきちゃったな。と思い出したがまだ宿題などは出てはいないので良しとした。自室へ着けば帯刀ベルトを外してソファに置く。しゃがみ込んで、この竹刀ともお別れか。と撫でてみる。


「竹刀ちゃん。お疲れ様でした」


 予備の竹刀は壁にかけてある。なんとなく今までお世話になった竹刀は取っているが、この子も仲間入りだ。

 ノックの音がして、どうぞと告げると入ってきたのはサバタだった。


「お嬢様、着替えなさってください。もうそろそろ夕食ですよ」

「このままでは駄目かしら」

「数着ありますから構いませんが、旦那様に何を言われても知りませんよ」

「着替えますわ〜」


 スケバンモードは家では発動するのはやめておこう。あくまでも学園内でだけにとどめ、父母の前くらいはたまに奇行に走る娘であろう。

 ……大分嫌な娘だな。と他人事のように思った。


 その後夕食時、父によっても登下校時以外ではあの制服を着るなとスケバン解除令が下されるのだった。お慈悲を〜!

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