エピソード3

SideA 愛国正義の階級制度01

 風に揺れるカーテンの隙間から差し込む太陽の光がベッドに眠る二人の女性に向かって伸びていく。光を受けてきらめく銀髪の少女と艶やかな翡翠の長い髪の女性はチカチカと照らす光に小さく不満げな声を漏らす。


「うーん……もう朝かぁ」


 先に起きたのは翡翠の髪の女性、エメル。乱れたネグリジェの肩紐を直しながら眠たげに大きな欠伸をかく。その横でなおも眠り続けるあどけない寝顔のシーアを見てすっと頭を撫でる。


「やれやれ……相変わらず可愛い顔してくれちゃって」


 半身を起こした自身の足に抱き着くようにして顔をうずめるシーアにエメルは少し意地悪な笑みを浮かべ、シーアの頬をつんつんとつつき始める。


 つつかれるたびにまだ夢から覚めたくないと不機嫌そうに口をピクリと動かすその反応が楽しくなったのか、エメルもシーアを起こさないように、少しついてはまたその反応を見て、そしてまたつつくをしばらく繰り返していた。


 だが、何度目かの頬に触れようとしたタイミングでシーアの目ははっと開かれ、そのまま機敏に身を起こすと布団をエメルに向かって包み隠すように投げる。エメルは何がなにやらと「うわっ」と驚いた声でもたもたと布団を掴み、顔を出す。


「ど、どうしたのシーア?」

「……誰か来る」


 シーアの寝起き早々の険しい表情にエメルは布団ではだけた胸元を隠すように纏い、耳を澄ます。たしかにシーアの言うように複数の足音がこちらへと近づいてくるのが聞こえる。その中に何やら怒りを露に、地面を踏みつけるような足音が混じっているようだ。音が近づくにつれエメルの表情が不安げに変わっていく。


「おい客人。いるんだろ、話がある」

「その声……"レングス"か」


 ドア越しに聞こえた若い男性のどすのきいた声に口の端を緩めるシーア。

 

「レングスさん、落ち着いて下さい! 仮にも女性の寝室ですよ! そこに押し掛けるような真似は許されませんよ」


 宥めようと割って入る幼さを感じさせる声。それがアリスのものだと察したエメルは少し安心からかほっと一息つく……が、ドアに向かっていこうとするシーアを見てすぐ様ぎょっとした顔で息をのむ。


「し、シーア! ちょっと待って! あなたその恰好じゃ……」


ガチャッ!


 ドアの開く音とともに姿を現した金髪の男性は真っ向から対峙する形で待ち構えていた。シーアよりも頭一つ分ほど高いその男性にシーアはドアから手を放し、腰に手を当て仁王立ちでそれを迎えうつ。


「し、シーアさんその恰好!? ふ、服を着て下さい!」

「ふふ、お忙しい巡回騎兵クルーラーの"第一位"様をお待たせしたら悪いでしょ、アリス?」


 胸当てとパンツのみの下着姿で堂々とした笑みを浮かべるシーア。側近と思しき使徒や付き添いの兵たちは反射的に目を背ける。だが、対するレングスはそんな身なりなど意に介さずといった様子でシーアを睨み、口を開く。


「殊勝な心掛けじゃねぇか。ならこちらも時間をかけるつもりはない。単刀直入に言おう。カルレウムでうちのもんがやられた。何か心当たりはないか」

「れ、レングスさん! なに普通に会話を始めてるんですか! だめですって……ば!」


 アリスはレングスの腕をつかみ、この場からいったん離れようと引っ張る。だが鍛錬の賜物であるその引き締まった細身はまるで地面に突き刺さる杭のようにびくともしない。


「その"心当たり"ってのは犯人と思しき奴に使う言葉じゃないのか?」

「おう、だからお前さんに聞いてるんだよ。何か間違っているのか」

「そうだな、少なくともそう聞かれて『私が犯人です』と答えてくれるだろうという読みが間違いだろう」

「俺の問いに否定しないのか」

「わざわざ答える必要もない稚拙な問いだったからな。まあ答えが欲しいなら答えてあげる。ワタシハハンニンジャナイデスヨー」


 煽るような棒読みにレングスは頭一つ低いシーアの眼前に屈むようにして顔を近づける。その表情はそれだけで相手を殺せるのではと思えるほどの怒りと殺意、憎悪に満ちており、後ろに付き添う兵士すら気圧けおされて息を呑んだ。


「アグロの旦那からはお前がアリス様と旦那の話を盗み聞いたと聞いてるぜ。それに……カルレウムに行ったともな」

「おい、盗み聞きとはなんだ。ただ私がセリスの村から帰ってきたところで場所も考えずぺらぺら機密事項をしゃべっていた奴が悪いんだろう」

「ここは本来一般人は入れぬ聖教の本拠点でもあるトリニティア大聖堂だ。それを聖女様の客人だからと我が家感覚でうろうろと出入りするほうにも問題はあると思うがな」

「我が家とは程遠い腹黒連中が居座るこの場所を家とは呼びたくないな。"エメルの件"とアリスがいなければこんなとこ来るのも嫌だ。うるさく吠えるだけの犬みたいなのもいるしね……目の前に」

「この野郎……」

「失礼、女性でしてよ?」


 戦場で剣を振る兵士でさえも委縮しそうな威嚇と怒りに満ちたレングスの表情にまるで臆することもなく、嘲るような笑みを浮かべるシーア。


「お前は腹黒連中とは違い物事をなんでもストレートに言う。その点だけは評価しよう。だがそれだけだ。今のお前の心証は最悪だ。相手の真意を問いただすつもりならもう少し礼節というものを学んでからこい」

「お、おい! 話はまだ……」

「これから着替えだ。それが終わったらエメルの朝食。私もここで出されたものを口にするつもりはないし外に食べに行かないといけないしな。悪いけど相手をする時間もいわれもない」


 横にいるアリスにバイバイと手を振り、有無を言わさずドアを閉めたシーア。ドア越しに聞こえるズドンという音とかすかな地鳴り。それが苛立ちから地面を踏みしめたものだと察するのは簡単だ。


「……シーアが礼節って言葉を言うのもどうかと思うよ?」

「え!? このタイミングでそれを言うの?」


 振り返りざま、それまでの落ち着いた表情から一転し、動揺というか心外だという不満に満ちた表情を浮かべるシーアを見てエメルはくすくすと笑う。


「とりあえずシーアちゃんはそろそろ淑女の嗜みというか恥じらいというものを学ばないとね」

「は、裸じゃないしいいじゃない」

「シーアも来年で二十歳でしょ……その基準は十年前には卒業しないと……」

「むぅ……」


 その後も笑いながら続くエメルの教育的指導に生返事で答えながらシーアは着替えを済ませていった。


* * * * * * *


「活気があって美味しい食べ物が多いのはいいけど……やっぱり王都は人が多いな」


 綺麗な石のレンガの建物が道沿いに並ぶどこか芸術品ともいえる美しい街並み。そこを覆い隠すように行きかう人の波。その中をフードを目元までかぶり、さらに顔を隠す鉄製の仮面までつけて歩くシーア。


 手にした何枚かの銅貨をジャラジャラと鳴らし、眼前に並ぶ露店を物色する。野菜や肉そのものといった食べるには加工が必要なものをよそ目に、すぐにありつける品々をうきうきした表情で見て回っている。


 そんな楽しげなシーアとは対照的に、露店の売り子や行きかう客達は明らかに身分を隠している身なりのシーアを怪訝な表情で見ている。ひそひそと声を潜ませ会話を始める者もおり、それに気づいてかシーアはやれやれと小さくため息をつき、手にしたサンドイッチを売り子に見せ、銅貨を指ではじいて渡す。


「ま、まいどあり……」


 売り子が会計だと察したのを確認し、シーアは人の波をかき分けとにかく人が少ない方へと進んでいく。


 道すがら目に入ってくるのは露店の前や道端で笑いながら話す王都の人たち。中には親子や恋人同士と思しき者たちもおり、この賑やかな空間の幸福な時間を彩っている。


 それらを決して見ることなく、まるで逃げるかのように足を速めるシーア。力を込めた拳に握られた朝食予定のサンドイッチがひしゃげていくが、それよりもこの場に……この人族ヒューマンレイスの幸福に満ちた場にいることがシーアにとっていたたまれないのだろう。シーアは唇を噛みしめ、人から隠れるように路地裏へと入った。


「……ここまでくればもういいだろう」


 辺りに人がいないことを確認し、仮面を外したシーアは建物横に積みあがっている木箱に腰掛け、崩れたサンドイッチを口へと運ぶ。だが空腹度合いに対し明らかに手にしている少量は不釣り合いだったようで、ぺロペロと手についたパンくずや具材の破片を舐め、空になった手を睨む。


「カルレウムから戻ってまだ三日なんだけどな……はは、明らかに人族の反応が悪くなるのが早くなっている」


 誰に愚痴るでもなく、独りつぶやく声は陽気さを取り繕おうとはしているがその表情はもの悲しい。


「はぁ、エメルには悪いけど、少し王都の外で食べ物でも探すか。迂闊にうろうろしていると何もせずとも戒律等兵プライアの連中にでも目を付けられそうだしな」


 重い腰を上げるように立ち上がったシーアはぐっと体を伸ばし、脇に置いていた仮面を着ける。


「そこで何をしているんすか、お嬢さん? 不審な場所に不審な身なり。これじゃあ言い訳ができないっすよ」


 疑惑に満ちた台詞に込められた愛想混じりの挨拶。シーアは仮面の下でげんなりとした表情を浮かべ、路地への入り口に立つ3人の人影へと視線を向ける。3人は一様に黒いマントをまとっており、胸元には書物とナイフが乗せられ均等に保たれた天秤の紋章が刻まれている。


「まったく、組織の"第一位"様は一日で何度もお目にかかれるほど暇な存在なのか?」


 シーアの言葉に緩みきった表情・身なりの男性が「げっ」と困った声を漏らす。

一応巻いてあるだけのネクタイをひらひらと手でいじりながらあいた手でぽりぽりと頭をかく。


「もしかしてもう"ラグーン"の旦那とも会ったんすか? てか俺たちもしかして最後っすか? うへぇ、早めに"聖堂"に着いて少しでも威厳を見せよう作戦が台無しじゃねぇっすか」

〈ふふ、そうですねぇ、威厳を示すならまずはその小物じみた話し方を直すところから始めたほうがいいんじゃないですか?〉


 ちょうどシーアと対峙する3人組との中間あたりから聞こえる女性の声。それに続いて3人組の一人であるおっとりとした女性はくすくすと笑い、シーアへと視線を向けてくる。だがシーアは女性ではなくその横、まだ一言も発せずにずっとシーアを無表情で見るもう一人の男性へと目を向ける。


 今日出会った者の中で間違いなくもっとも大柄な男性。優に二メートルはあろうか。その他の色を感じさせない漆黒の髪、そして感情を見せない無表情も相まってただそこにいるだけでどこか威圧的だ。


「おい待て"ルーカス"……いまラグーンって言ったか? あのじいさんも来てるのか、この王都に?」

「いや、あのじいさんはそもそも本来は王都所属っすからね? まあでも、普段は西の"城塞都市"の方にいてこの聖堂近くにはなかなか来ることはないっすけどね」

「おいルーカス。さっさといかないと早く着くどころか遅刻するぞ」


 ようやく口を開いた男性は呆れた様子で身をひるがえし、すたすたとこの場を離れていく。


「あ、ま、待ってくれっすよスティル! てか歩くのほんと早いっすねお前! そ、それじゃあお嬢さんご機嫌よう。それと、"足元"にはご用心を」

「足元? あ、おい」


 歩くというよりかは小走りでスティルと呼ばれた男性の後を追うルーカス。スティルが巨躯ということもあり並の男性では比べると小さく見えるが、それでもルーカスの身長はその並の男性よりも少し見劣りがする。


 慌てて駆け出したルーカスの背中を見て依然くすくすと笑っていた女性もはっと自分だけが残されたことに気付いたのか、シーアのほうを見てぺこりとお辞儀をする。


〈それではごきげんよう、シーアさん。ああ、偶然お会いしてこんなことをお願いするのも厚かましいのですが、もし"カグラ"を見かけたら"シルビア"が探してましたよとお伝え願えますか。あと、怒ってましたよ……とも。ふふ、覚えていたらでかまいませんので〉


 シーアの耳元で囁くような女性の声が響く。


「相変わらずその話し方しかできないのか。まあ、あなたが殺意びんびんで血眼になって探していたと伝えておこう。それと代わりと言っては何だけど、ラグーンには私が王都にいることは内緒にしてくれ、シルビア」


 シルビアは最後までくすくすと笑ったままシーアに背を向けた。


 三人の姿が消え、また一人となったシーアは腰かけている木箱の上にごろんと仰向けになり、頭を抱える。


戒律等兵プライア……それに門番重兵ガドナーの第一位が聖堂に用事? うわぁ、めんどくさっ!」


 シーアは足をじたばたとさせ、大きくため息をついた。

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