SideA 不透明に澄んだ心04

「アノ! アノ! どこにいるんだ!」


 イグルは何度も何度も少女の名を叫んだ。だがどれだけその名を呼んでも姿をあらわさず、返事の声も返ってはこない。そんな時間が数分経ったところでシーアがイグルに叫ぶのを止めるよう手で合図する。


「な、なんで止めるんだよ! それに、なんで剣をしまってるんだよ。まだ辺りに何か得体のしれない奴がいるかもしれないんだろ!?」


 イグルの怒声が響き渡り、風もなく穏やかだった水面に微かな振動の波が描かれる。その様子を眺めるシーアはイグルに視線を向けることなく首を横に振る。


「あなたが言う得体のしれない奴はここにいないし、アノもどうやら近くにはいない」

「な、なんでそんなことわかるんだよ!」

「理由は言えないけど確信に足る信頼がある。あなたが信じられないなら好きな結論を出せばいい。けれども私の中では少なくともこの近くにいた何かは私たちじゃなくアノを襲ったという結論が変わることはない」


 シーアの表情から冗談や憶測でものを言っているわけではないことを悟ったのか、イグルはその場に力なく崩れる。


「そんな、そんなのって……じゃあアノのことは諦めろっていうのかよ」

「は? 何を言っている少年」

「え?」


 イグルは今にも泣きだしそうだった瞳のまま驚きの表情を浮かべシーアを見上げる。


「私がいつアノが死んだといった? それともあなたはアノが殺されるところでも見たのか?」


 イグルに背を向け、はるか遠方にそびえる険しい山々を見ながらシーアは力強い声でイグルに問いかける。


「たしかここから上流だって言ってたよね。ハビグマ湖とかいう今回の毒が発見された水源地帯は。あと……その近くに遺跡があるのよね」

「ま、まさかそこにアノがいるってのか?」

「もしもアノの生死が一刻を争うとしたら……アノを連れ去った何かがいると賭けるならそこだと思ってるわ。だからその遺跡に通じる地下道の場所、教えてくれる?」


 先ほど険しいといったばかりの道に恐れる様子もなく立ち向かおうとするシーアにイグルはぎゅっと拳を握る。イグルは何かを決意したのかすっと小さく息を吐き、口を開こうとした……が。


「そんないたいけな少年に危険な場所への道案内を頼むのはよろしくないのではありませんか?」


 どこかからかう様な口調の女性にシーアはふと口の端を緩ませる。


「そうだな。まあ危険が予想されるからできれば危険な目にあわせても寝覚めが悪くならない奴のほうが都合はいい」

「あなた……その台詞を聞いてついていく方がいると思ってますの?」

「ついてきてもらうんじゃない、連れていくのよ。ねえ、レイア?」


 レイアと呼ばれた女性はくすりと笑い、手にした扇でパタパタと優雅に仰ぎ始める。


 シーアが羽織る丈夫さが売りのような皮マントと異なり、不思議な黒い布でできたマントに身を包むレイア。その下に着込んだ深緑を基調とした動きやすさ重視のドレスがどこか彼女の気品の高さを象徴している。


「だ、誰だよあんた。ここらじゃ見かけない顔だな」

「ぷっ……だってさレイア?」


 イグルは訳が分からないといった様子でレイアとシーアを交互に見て困惑している。シーアの揶揄に表情一つ変えず優雅にたたずんでいるレイア。その背後から根を渡り現れるもう一人の人影。


 レイアよりも小柄ではあるが彼女以上に気品を感じさせる雰囲気。そして大自然に流れる穢れなき清水を彷彿とさせる青い髪が特徴的な女性は小さく畏まり、イグルに笑みを浮かべる。


「私ならわかりますか? 小さき同胞」

「あんたは……あ、いや、あなたはヴァイアス様!?」


 レイアの後ろからひょこっと姿を見せた女性の登場はイグルをさらに慌てふためかせる。そしてふと思い出したかのようにイグルがその場に跪いたところで今度はヴァイアスが困惑しだした。


 先ほどのイグルとシーアの立場がきれいに逆転したようで、状況がわからないシーアはヴァイアスと呼ばれた女性とイグルを見て首をかしげる。


「ねえ、イグル。あれ誰よ?」


 半ばパニック状態のイグルの頭をグイっとつかみ耳元で囁くシーア。突然の接近に顔を真っ赤にしぽかぽかとシーアを小突き距離をとる。


「お、お前知らないのかよ!? この水の都カルレウムの領主にしてこの国の第二王女、ヴァイアス様だぞ!」

「え? そうなの? 私もあいさつしたほうがいい? あ、でも私別に精霊族じゃないしいいかそこまでかしこまらなくても」

「あなた内緒話ならもう少し声の音量を抑えなさいな。ばっちり私にもヴィア姉さまにも聞こえてましてよ?」

「し、しーっ! レイアちゃん! 別にいいからそういうのは! 恥ずかしいから!」

「あ、姉? え……えぇ?」

「あー、そろそろ落ち着いてくださいますか? えっと、お名前は?」


 先ほどの移動で少し乱れた前髪をかき分け、ヴァイアスはなおも混乱の一途をたどるイグルの前に立ちすっと覗き込むように顔を近づける。


「い、イグルと申します」

「あー、あまりかしこまらないでね。それよりも今はあなたのお友達の危機なのでしょう? そちらを優先しませんか?」


 「おー、いい貴族だ」とわざとらしく感嘆の声を漏らすと同時に拍手をするシーア……の横腹をレイアが小突く。


「あなた、来るなら来るで連絡ぐらいよこしなさいな。アリスさんからあなたが来るから活動しやすいように支援してほしいって依頼が来てなかったら知らずじまいでしたわよ」

「アリスめ……私を信じてないな」

「大丈夫、私もあなたがただおとなしく事件を解決しないであろうことには自信を持っていますから」

「どういう意味よ」

「だって……ねぇ?」

「むぅ……」


 レイアは呆れた様子で首を振り、イグルに情報を聞き出しているヴァイアスを見つめる。


「まあ、どの道私はヴィア姉さまに呼ばれていたのでこの都には来る予定でしたのであなたのことはついでですけどね」


 レイアは顎でくいっとシーアを促す。その先でイグルとのやり取りを終えたようで、ヴァイアスはシーアにすっと小さく会釈すると笑みを浮かべる。


「あ、えーっと、あなたがレイアちゃんのお友達のシーアちゃんですね?」

「……できればシーアでお願いしたい」

「同じく。ちゃん付けはやめてくださいとあれほど言ったでしょう、ヴィア姉さま」


 どうやら"ヴィア姉さま"がレイアのヴァイアスの呼称である。だが、姉と言われるもヴァイアスの仕草や口ぶりはどこか幼さを感じさせ、レイアの憮然とした態度の方が見るものに姉らしさを感じさせる。


「ふふ、レイアちゃんはいつまでもレイアちゃんですよ。だって私はあなたのお姉ちゃんなんですからね。ふふっ」

「まったく……ヴィア姉さまはほんと変わってますわね」


 くすくすと笑うヴァイアスを前にレイアはため息交じりに息を吐く。


「あー、姉妹仲良しのところ申し訳ないんだけどレイアちゃんさん?」

「"ブラスト系"の術式をぶっぱなしますわよ?」

「"精霊術式"の最強術式をツッコミで撃つってどうなのよ? それよりも、早くいかない? ここに来たってことは案内くらいしてくれるのよね?」


 レイアは先ほど以上に大きくため息をつき、手にした扇をしまうとついてくるよう手で促す。それを見てヴァイアスはシーアに小さくお辞儀をし、先を行くレイアの方へと駆けていった。


「ほんと素直じゃないわね、精霊族スピレイスは」


 小さく漏れるように出た言葉に思わず表情を緩めるシーア。そしてすぐ横で戸惑った様子で先を行く2人の王女を見つめたまま立ち尽くしていたイグルに気づきいよいよその表情は楽しげなものに変わっていく。


「ほら、ぼさっとしない、少年」

「うわっ!? な、なにすんだよ!」


 ぽんっとイグルの背中を小突くとイグルは思わず前に倒れまいとその場に慌てて踏みとどまる。その横を通り抜け前へと歩き出すシーアの足取りはどこか軽快に見えた。


* * * * * *


「な、なあシーア?」

「ん? なに?」


 シーアの後方で木の根を飛んで渡りながらついてくるイグル。他の3人の移動のペースが上がっているため遅れまいと必死に何とか食らいついてきているが額にはすでに疲れと緊張で汗が浮かんでいる。


「あんた、ヴァイアス様や第三王女のレイア様と知り合いなのか?」

「んー、ヴァイアスとははじめまして、だね。レイアはまあ知り合いというか一緒に戦った仲かしらね」

「一緒に戦った?」


 シーアはふと何かを思い出したのか、何かを懐かしむように笑みを浮かべる。だが、ふと視線を前に向けたところですっと目を細める。


 少し先の開けた小島でヴァイアスとレイアが何やら神妙な面持ちで話している。その手にはいつの間にとりだしたのか地図が握られている。よくは見えないがいくつか印のようなものがつけられている。


「ねえレイア? 今回の件、何か犯人のめどはついているの?」

「そうですわね。すくなくともカルレウムの民でも、アンチギアの人族ヒューマンレイスが犯人でもなさそうといったところですわね」

「その地図の印、もしかして今回の件、既に毒が別の場所で確認されたんじゃないのか?」

「……さて、どうでしょうね」


 レイアは少し意地悪な笑みを浮かべ手にしていた地図を閉じる。ヴァイアスはどこか気まずそうにシーアから目をそらすと少し早歩きで水面に浮かぶ木を我先にと渡っていく。


「あなたはこの国の最高戦力。それがいくら聖女様のお願いといえどわざわざ一人のお守りのために来るとは思えないし。見当がついてるんでしょ? そしてそれを倒すために来たんでしょ? ねえ、レイア?」

「さあ、どうかしら。まあ、私はあなたのお守りに来たわけでなくてよ? というか不要でしょあなたには。それよりも……」


 レイアはシーアの横で息を切らし汗をぬぐっているイグルを見つめる。その瞳はどこか少年を突き放すように冷たい。


「あなた、帰るならまだ間に合いますわよ? 非力な身で危険を冒す勇気には生憎と何の見返りもありませんわよ?」

「……覚悟の上です。邪魔と判断したら捨て置いていただいて構いません」

「まあ勝手についてくるというのなら遠慮なく邪魔になったら置いていかせていただきますわ。ただ、聞かせなさいな」


 レイアは腰に手を当てびっとイグルを指さす。イグルはごくりと息をのみ、次の言葉を待つ。


「あなたが命を張るに足る存在ですの? あなたのお友達である人族のお友達とやらは」

「……俺の命じゃ足りないぐらいには俺よりも生きる価値がある奴ですよ、アノは」

「ふむ……」


 王族特有の威厳とでもいうべきか。イグルから見てレイアは異様に大きな存在として目に映っているかもしれない。蛇ににらまれた蛙の心境を味わいつつもイグルはぐっと顎に力を入れ、レイアをまっすぐに見つめる。


「あいつは……あいつはアンチギアの孤児なんだ」

「孤児? アノが?」


 思わずシーアは口をはさんでしまい、すっとレイアの睨むような視線に苦笑いを浮かべつつそっと後ずさっていく。


「一緒に過ごしててわかったんだ。あいつは精神……そして感情に異常をきたしている。特に喜怒哀楽の怒りと哀しみ、その2つの負の感情が明らかに欠落しているんだ」

「そうですの……でもそれがあなたにどういった関係が?」

「関係あるさ……俺も……俺ももう父さんと母さんに会えない。家族なんていない孤児みたいなものなんだから」


 イグルの告白にレイアは少しいたたまれなさを感じたのか、イグルの今にも泣きそうな瞳から避けるようにふと顔を俯ける。


「俺の父さんと母さんが死んだのは3か月ほど前。狩りの最中、正体不明の巨大な化け物にやられたって大人たちは言ってた」

「巨大な化け物……?」

「ええ……なんでもこの世のものとは思えないほどに大きな鳥の化け物だとか。はは、そんなのがこの世界にいるかよって……大方両親が死んだ日は狩りの最中にひどく天気が荒れだしたみたいで、たぶん森で他の連中とはぐれたんじゃないかなって思ってます。それで、俺が勝手に一人で探しに行かないようちゃちなおとぎ話でごまかそうとして……俺は"お子様"だからさ」


 イグルは目のやり場に困った様子で、曇った表情をなんとか笑顔で取り繕おうとしてはいるが、それがかえって彼の悲しみを強調してしまう。


「それからだ。他の大人たちがなんだか信じられなくなってさ。まあ、一人でこの水没林の人気がないところで過ごすようになったのは」

「……そこでアノと出会ったのか?」


 レイアが再度口をはさんできたシーアに少し苛立ったような瞳を向けるも今度はレイアが思わずぎょっとした表情で慄き後ずさる。別段シーアの表情は怒った様子もなく無表情そのもの。だがその瞳はたしかに見るものを黙らせる威圧と力に満ちていた。


 イグルは無言で小さく頷く。その際、数粒の涙がこらえきれず雨のように木の根に打ち付けられはじける。


「アノのいる孤児院はさ、たぶんだけど孤児の面倒なんざろくに見ていないんだ」

「……どうしてそう言える?」

「簡単だ。初めて会ったときのあいつのやつれた姿……あれを見たら誰でも何か異常だって考えるさ」


 孤児院は本来国からの支援金をもとに孤児たちを保護し、養うものとされている。そしてやがて成長した孤児たちが労働者として国の財産となり、彼らがもたらす財がまた孤児院の運営を支えていく……はずなのだが。


「国の支援金を着服するだけのゴミがいるということか……」


 ぽつりとつぶやくシーアが、そしてイグルが奇しくも揃ってどこか呆れたような笑みを浮かべる。


「それに……おかしいだろ。あんな小さな子が孤児院を毎日毎日抜け出しているっていうのに、誰も止めないんだぞ?」


 先で待っていたヴァイアスは悲しみのあまりすっとイグルに背を向け、レイアもまた天を仰ぎ見るようにしてイグルから視線を逸らす。そんな中シーアだけがなおもイグルの真正面に立ち、彼の悲壮感と向き合おうとしていた。


「あいつは俺よりもずっと辛いはずなんだ。それなのに俺を見ると馬鹿みたいにはしゃぎ、笑い、喜びやがってさ……。何度追い払っても聞きやしない。むしろそんな俺をずっと探してるみたいでさ……そんなの見せられたらふてくされてもられないだろ」


 そこまでいってイグルは力強い表情でシーアを、そしてレイアやヴァイアスを順に見やる。


「あいつの前じゃ俺は"お兄さん"でいたいんだ。あいつが人族だろうがなんだろうが関係ない。あいつは今の俺にとって唯一家族と言える……いや、家族でありたいと思える存在だ」


 そう言い終わったタイミングでぽんとイグルの頭を柔らかな感触、そして温もりが包む。イグルは自身の頭を撫でるシーアを反射的に突き放そうとするもすぐに思いとどまり、途中まで降り上げた腕をすっとおろす。


「イグル……あなたがどれだけ否定しようともあなたはまだ少年。あなたがいうとおり"お子様"だ。だがそれでもあなたは腐った大人よりも子供じゃない」

「ふん……結局お荷物を抱えたままの探索になりそうですわね。ほら、休憩はもういいでしょう。行きますわよ、イグル」


 レイアが移動を始めるとヴァイアスは刹那、イグルに笑みを浮かべる。そしてすぐに表情を引き締めレイアの後をついていった。


 その様子を呆然と見て立ち尽くしていたイグルの背をパチンと小気味よくシーアがはたく。


「ほら、またぼーっとして。いくよイグル。あなたはレイアのお荷物様なんだからね」

「な、なんだよ……それ」

「あらわからない? この世界のどこに自分の荷物を好んで捨てる奴がいるのかしら?」

「え?」

「レイアはあなたを見捨てないってさ。まあ、レイアがあなたを認めたってことよ。無論、私もね」


 そう言って再度イグルの頭をやさしく何度か撫で、前を行く2人についていくよう促した。

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