SideC エピローグ ー 最強にして最弱なもの ー

〈俺はこんな小さな村の歯車で終わらねぇぞ……〉


 どいつもこいつもどうにかしてやがる。このセリスの村の連中に自我というものはないのか。


「おいアンティ、サボってないで早いとこお前も運ぶのを手伝ってくれ」


 背後から聞こえる少し苛立ったような声がさらに俺の苛立ちを増長する。俺は聞こえぬように小さく舌打ちをし、足元に束ねられた麦を手に荷台へと向かう。


 この村の特産でもある麦。この国の中でも一、二を争う品質だとか言われているが、それを育てる俺たちはというと結局その辺の農村と変わらない暮らし。はは、そうだ。すごいのは麦であってそれを育てる俺たちじゃない。


 王都のお偉いさん連中からも麦の生産を期待され、それに応えることで喜んでる連中ばかり。どうにかしている。


〈俺は……俺たちはこの国にとって麦以下の価値なんだぞ?〉


 荷台に徐々に積みあがっていく麦の束。他の連中もあくせくと汗まみれになりながら麦を収穫し、束ね、この荷台へと運んでくる。見事な連携。見事な連帯感。まるで十数人で一つの大きな生物のような……。


 俺はふと周りを見回し、誰も見ていないのを確認し、麦を荷台にたたきつけるように投げ捨てる。くそっ、腹が立つ。


 辺りは一面の麦畑。どこを見ても麦、麦、麦! 鬱陶しい! 俺を馬鹿にするように風に揺れかさかさと小気味悪い音を立てていやがる。


 視線は麦から逃げるようにあちこちをさまよい、丘に建つ大きな木へと流れつく。ああ、麦と違ってあの木は大きい。この村の中でも頭一つ抜けて大きなあの木は麦しかないこの村でもちょっとした有名な木だ。


 なんでもこの村ができたころからずっとあの木だけはあそこに残り続けているとか。いまではあの丘はこの村の墓地として使用されているが、なんでもあの木が死んだ者たちが安らかに眠り続けれるように見守っているのだとか。


 まるで天人族セインレイスが崇めるなんとかといった神のような存在……人を超越した存在。はは、あんな木がそんな存在なわけがない。それは……"そこ"は俺が成り上がる存在だ。


「おい、サボるなといってるだろう! アンティ! ったく、ほんと何考えてるかわかんねぇやつだな」


 俺はため息をつき、観念して仕事に戻ろうと視線を木がある丘から現実の待つ麦畑に戻そうかと……そう思った瞬間だった。


 いつのまにいたのか。丘の木の下に立つ一人の人影。全身を黒いフードで覆っているが、あの身の丈とフード越しでもわかる細身。そして何よりフードに隠されていない足元の華奢とも可憐とも思える肉付きから女性だと察する。


「あ……」


 思わず声が漏れだした。木からふと俺たちへと……いや、俺へとむけられた彼女の視線、そしてその奇麗な人形のような整った顔立ちが遠くにいてなお俺の心臓を鷲掴みにした。


 彼女はにっこりと微笑んですぐフードを深くかぶる。そしてすっと天を指さし、何かをなぞるようにすっと指を動かし、その後今度は指を自身の足元に向け何度かつんつんと動かした。


〈見つけた……他とは違う存在を……〉


 幻聴……いや、きっと彼女の声だ。俺への呼びかけ。まるで何もわからないことにこれだけ自信を持ったことなどない。だが、これは妄想ではない事実だ。


 俺は彼女にこくりとうなずくと、彼女はすっと背を向けて俺たちとは反対の方角へと歩いて行った。


* * * * * *


がやがやとした人の声もカチャカチャと鳴る食器の音もやかましいこの食堂にも正直うんざりとはしている。だが、まともな娯楽も夜の時間をつぶす場所もないこの村ではどうしようもない。


 手にしたコップに入ったエールを口に含み、そのまま前で大声で喚きあっている連中に目を向ける。それと同時に口内に広がるエールの苦みに顔をしかめ、すぐさま喉へと流す。


「見てろよ、俺んところの組の麦の収穫量が一番ってことを教えてやるよ」

「何言ってんだ、俺んところの組が一番に決まっているだろう」

「ああん?」


 酔いの陽気で言葉こそ荒いがその顔はこの言い合いを娯楽として甘受しているつらだ。あほらしい。


 俺は椅子に座ったままカウンターに背を預け、どうせ酒を飲む以外にやることもないので暇つぶしにさらに連中の会話に耳を傾ける。


「数ばっか多くても結局は味だろう。なあ?」

「はは、実りが少ない奴の言い訳か?」

「言ってくれたなこの野郎? 勝負するか?」

「これでか?」


 言い争っていた男たちが手にしたコップに入った酒をグイっと飲み干し、新しい酒を注いではバカ顔ででかい声で笑いあっている。本当に陽気で、酒さえあれば幸せといった連中だ。


「おいおい、あまり飲みすぎるな。明日もまた収穫作業が待っているんだぞ」

「お、クレイさん。お疲れ様です!」


 クレイと呼ばれた男は駆け寄ってきた連中からコップを渡され、注がれた酒に軽く口をつける。姿こそ農作業をする農夫そのものだが、その顔つきは緩みきった村の連中とは違い知性を感じさせ、どこか育ちの良さを感じさせる品格がある。


「適度な会話と酒を楽しむのもいいが、あまり議論に熱中して和を乱すのだけはやめてくれよ」

「はは、わかってますって。なあ?」

「おう。結局どこの組の麦もこの村の自慢と誇りには変わりねえからな」


 今までの陽気が拍車をかけて増したかのような笑い声が店内に響く。その人と音の波をかき分けるように、クレイは群れから抜け出し、ふと視線が合った俺のほうに小さく会釈をするとそのまま近づいてくる。


「お前も飲んでいたのか、アンティ」

「あ、ああ……」

「小耳にはさんだが、最近作業に身が入ってないんだってな」

「……別にそんなことは」

「まあ、そういうときもあるさ。俺だってお前くらいの時は農作業ばかりで嫌になったことはある」

「え? クレイさん……が?」


 思わずクレイさん「も」と言いそうになったが、とっさに言葉を飲み込んだ。俺のような少し浮いたやつとは真逆で村の連中にも慕われるこのクレイという男は実のところ苦手だ。


 ただの頭の悪い連中と違い、俺の心を探り、どんどん中に入ってこようとしている気がする。まあなにかと気配りができるやつだと俺も多少は評価しているが、それでも俺の心を見透かすような余裕に満ちた態度はいやでも俺の警戒心をあおる。


「この村の連中は良くも悪くも群れを成している。あそこにいる連中も好き勝手互いに言いあっているが、たとえ争いになってもいつでも元の仲に戻れるとわかっているのだろう」

「……」

「まあ仲がいいに越したことはないが。それでもただ右に習えな生き方じゃ退屈だろう」


 クレイの最後の言葉に俺は思わず驚き、はっとその表情を察して口元を緩ませるクレイの反応にコホンと咳うち慌てて表情を戻す。


「あなたがそんなことをいうのは意外ですね」

「何を言う、俺だってたまに一人でいたいとは思うし、今のような暮らし以外にも生き方があったんじゃないかって思えるんだ」

「……」

「でも、今の生き方でいいと思える理由ができてしまったんだ」


 俺はそこまで聞いてふとあたりを見回し、まだ中身の残っている酒瓶を手に自分のコップに酒を注ごうとするが……いつのまにかクレイもまた近くの酒瓶を手にしたようで、俺のほうにグラスの口を向けている。


 俺は黙ってコップを瓶に近づけるとクレイは笑みを浮かべ、俺の空いたグラスに酒を注ぐ。


「娘さん、今年でもう5歳ぐらいでしたっけ?」

「ああ、まったく子供の成長は早いし、見ていて飽きが来ないさ。俺にとって、たった一人の家族だからな、クーラは」

「……」

「ふふ、すまないな。少し酒のせいで愚痴っぽくなったか」

「いえ……奥さんが亡くなってからももう5年ですか」

「ああ……そうだな」


 クレイの手にしたコップが空になっていたのに気づき、俺は手にしたままだった酒瓶をクレイに向ける。クレイは少し驚いたような顔をしていたが、俺が酒を注ぐと一気に飲み干し、空いたコップをテーブルに置いた。


「俺たちがやっている農作業は誰でもできる仕事だろう」

「え?」

「だが、誰でもできる仕事に身を置くこともまた勇気のいることだ」

「……そうでしょうか?」

「ああ、自分がいなくなってもすぐに変わりが見つかる。そんなことにどうしてやりがいや個性といったものを維持できる」

「……」

「だが、誰でもできるからと言って誰もやらなくていいわけではない。誰かがやらないといけないことだ。でないと、国から食い扶持である麦が消えるんだぞ」

「……説教ですか?」

「いや、俺なりのこの仕事へのモチベーション維持のアドバイスだ。俺は結局娘の面倒しか見てやれないからな」


 クレイは背を向けたまま手をひらつかせて俺に別れを告げるとそのまま店の出口へと向かい、店をあとにした。どうしてだか、俺はしばらくクレイが去った店の出口から目が離せなかった。


* * * * * *


 少々あの後飲みすぎたかもしれないな。クレイとのやり取りのせいでどうも頭の中がふわふわとしている。だがそれでも、俺の今晩の最後の仕事、いや、約束のことだけはしっかりと覚えている。


 店を出た後、俺が向かって歩いているのはあの丘。ひんやりとした外気にぶるっと身を震わせたが、慣れてしまえばこのぐらいの気温は酔いで火照った体を覚ますのにはちょうどいい。


 人間同様、寝静まったようにどこか昼間とは違う面を見せる麦畑。その中をかき分けるように伸びる丘への道。なんだか今まで飲んだ後はまっすぐうちに帰っていたからか、歩きなれない夜のこの道を歩くのが新鮮でどこか心躍る。


 昼間見たあの光景、丘の上の女性がとった仕草が脳裏によみがえる。


〈今晩陽が落ちたらまたここで〉


 事前にいい合わせをしたわけでもないのに俺にはあの時彼女が伝えようとしたことがわかった。そしてそのことがなんだか俺が選ばれたものだという不思議な感覚をもたらした。


「彼女は……彼女はあの時どうして俺を見たんだろう」


 気が付けば丘の上、大きな木、並ぶ多くの墓標。目的の場所にたどり着いたか。そして……どうやら本当に俺は彼女の伝えたかったことをわかっていたようだ。


「……来てくれたんですね?」


 墓標の間から見える大樹のふもとに彼女はいた。俺への艶の入った挨拶とともにすっと立ち上がり、俺へと笑みを向ける。


 燃え尽きた灰のような、それでいて艶のあるきれいな髪。そして……夜に光る月のような金色の瞳がどこか危険を感じさせるが、その美しさになぜか視線を外せない。


「……どうして俺なんだ」


 なぜその言葉が出たのか自分のことながらわからない。だが、これだけは聞いておくべきことだ。そうでないと俺がここに来た意味がない。


「あなたしか……私を見てくれませんでした。他のものは……ただ目の前の現実にしか目を向けようとしていませんでした」

「なんだよそれ。それじゃああんたは非現実だとでもいうのか?」

「ええ……そうですね」


 俺の皮肉交じりの冗談もまるで意に介さず、むしろただ事実だと受け入れるようなそぶりに思わずごくりと喉を鳴らす。


「あなたは、特別な存在になりえる素質をお持ちです」

「なんだと?」

「言ったとおりです。大切なのは自分が他と違う意識、願望。それこそが起源オリジナルに至る資格、条件」

「……」


 なんだか冬でもないのにひどく悪寒がしてきた。それなのに体は嫌に汗ばんでいる。その異常の原因は間違いなく目の前の異常。そう、この女性だ。


 俺の心の奥底に今日ここに来たことへの後悔の念が生まれた。だが、それでもなお目の前の女性はなぜか俺の心をひきつける。


 女はすっとまとっているフードの前を開く。その瞬間目の前に映る露出度の高い妖艶な軽鎧ライトアーマー。俺は思わず頬の紅潮を感じながら目をそらす。女はというとそんな俺に目もくれず、腰に下げた袋から小瓶を取り出し、俺へと差し出してくる。


「私の名は"アナザー・レゾン"。ですが……恐れ多いのでアナザーとお呼びください」

 

 俺の手はまるで光に集う虫のようにふらふらと、だが確実に彼女の差し出した小瓶に触れていた。


「この薬はなんだ?」


 最初に浮かんだ感想は異常。だってそうだろう? ただの液体のはずが仄かに青い光を放っているんだ。見ている分にはきれいだが……まさかこれを飲めというのか。


「それは……あなたを希少にして起源となる存在へと昇華させる薬、"オリジンバース"。あなたにはそれを飲む資格があります」

「の、飲めって言うのかよこの怪しい薬を」


 俺は目の前まで持ち上げたその小瓶を軽く振る。中で青く光る液体がちゃぷちゃぷと揺れる。


「飲まないのでしたらどうぞお捨て下さい……でも……」


 気が付けばアナザーは俺の手にしていた小瓶をそっと奪い取り、蓋を開けて瓶に口をつける。そのまま躊躇う様子もなく、中身を口に含むとすっと月を見上げる。


 月に照らされたその横顔はとても奇麗だった。ごくりという小さな音とともに液体が流れるその喉の曲線美すら芸術だと思えてしまう。


「ふふ……美味しいですよ?」


 アナザーは再度小瓶を俺に差し出す。そこからの記憶というか俺の体の感覚はなかった。小瓶を再度持った手が俺の口元へとゆっくりと近づく。


ごくりっ


 美味しいといわれたが味わうこともせずただ喉へと液体を流す。ひんやりとした感覚が喉をたどる。そして……。


ドクンッ


 心臓が今までに聞いたことがないような鼓動を鳴らした。俺は……倒れているのか? 眼前に広がっているのは……地面。さっきまで俺が立っていた……場所が……なんで?


「ふふ、態度や口ぶりの割には"小さいお方"でしたのね。まあそれでも……無事あなたは"特別な存在"になれました」


 何を……言ってるんだ……。この女……は。


「それでは……ともに勤しみましょう。我らが創造主様のために。ふふふっ」


何を……言って……。

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