SideA プロローグのプロローグ07

「お、おい見ろ! 倉庫の鍵が破られてるぞ!」


 興奮した様子の男性が指さす先。ドアが開かれた倉庫とその入り口に無造作に散らばる鍵の残骸。十人はいようかという男性たちの熱気が異様に高まっていくのを少女は感じていた。


 男性たちは急いで倉庫へと走り、まだ中にいるかもしれぬ侵入者を追い込もうとしている。その手には照明の松明のほか、斧やすきなど、普段の道具にして武器にもなりえるものばかりが握られている。


〈お姉さん……〉


 怒声にも近い掛け声と共に倉庫の中へと入っていく男性達。その背を見つめながら少女の手はいつの間にか顔の前で祈るように組まれた。


「おい、どこにもいないぞ!」

「見ろ! この松明! きっとあいつのもんだぞ」

「どこか荒らされたものはないか!」


 怖くてその場を動けぬ少女、クーラはただ倉庫の中から聞こえる会話に震えあがっている。


「待て、何かいるぞ! 物音が聞こえたぞ!」


 クーラはハッとして顔を上げ、倉庫の入口を見つめる。それまで恐怖に震えていただけの少女の足は気が付けば一歩、また一歩とゆっくりではあるが倉庫へと向かい動き出していた。


 距離にしてほんの10数メートルほどだろうか。それでも倉庫の入り口にたどり着くまでにだいぶ長い時が流れたように少女には感じられた。そして開いたドアのすぐ傍に着く頃には少女には別の不安、いや、疑念が芽生えていた。


〈すごい静かになった……〉


 倉庫に入っていった男性たちの声が聞こえない。いや、それどころか物音すら聞こえないのだ。少女は恐る恐る倉庫の中を覗き見る。


「だ、誰もいない……の?」


 どうして? この倉庫にはまともな出口はこのドアしかない。では中に入っていった男性たちはどこに。倉庫の中では一本の松明だけが床に刺さり静かに燃えている。


 その場で異常を察知し逃げるという選択も少女の脳裏によぎっただろう。だが、少女の足はただただ前へと、倉庫の中へと歩みだす。好奇心が恐怖を振り払ったのかもしれない。いや……振り払ってしまったのだ。


 倉庫の奥、地面に突き立てられた揺らめく松明の炎が倉庫内に赤と黒の幻想的なコントラストを作り出している。その光に導かれるように少女が近寄ったとき……異変は起こった。


「え、な、なに!?」


 突然少女を襲う立ち眩みのような感覚。目の前を覆う暗闇。少女はゆっくりと瞳を開ける。


「こ、こっちにくるなぁ!化け物ぉ!」


 突如響く男性の悲痛な叫び。ふと振り向いた先の光景に少女は思わず口に手を当てる。


 何から状況を考えればいいのか。今自分が立っているのは倉庫の中、冷たい土の上のはず。そしてそこには麦とともに保管される藁の屑があちこちに散らばっているのだが、目の前のそれは少女の足首ほどの高さまであるのだ。


「こ、これ……夢?」


 少女が見上げる先にそびえたつ大きな何か。それが麦の詰められた麻袋だとわかるまでどれだけそこで固まっていただろう。頭が真っ白になる感覚。そしてそこに再び響く悲鳴。


「い、嫌だぁ! た、食べないでくれぇ!」


 暗闇の中に浮かぶ仄かな明かりに浮かぶ人影。だが手にしていた松明の光が消え、群がるように伸びた闇が少女の目から今起きているであろう惨劇の光景を覆い隠す。


「ひ、いやっ! な、なに!?」


 突如少女を襲う謎の浮遊感。目まぐるしく動く視界に少女は反射的に身の危険を感じ足掻こうとする……のだが。


「大人しくして! クーラ!」


 聞き覚えのある声。少女の瞳は目の前にある女性の顔にすっと焦点を当てる。自分を抱きかかえる銀髪の女性、シーアを見て安堵からか、恐怖からか涙で視界が霞みそうになる。


「お、お姉さん……ぶ、無事だったんだ」

「無事かどうかは明日の私にでも言って。それよりも……なんでここに来たの? クーラ?」


 シーアは壁沿いの柱の近くまでたどり着くとそっとクーラを下ろし、辺りを警戒しながら問いかける。クーラはシーアの言いつけを守らなかったことにいまさらながら罪悪感を覚える。「危険」だと注意までされたのだ。相手は謎の化け物かもしれないのだから今回のような事態をシーアは予見していたのかもしれない。


「あの、その……村の人たちが倉庫に行くって……だからその」

「あはは、私が盗みでも働くと思った?」


 警戒を緩めることなく、視線を闇に向けながらシーアは笑った。


「お、お姉さんはそんなことしない……でも、村のみんながなんだかすごく怒り出して……」

「……そっか。ありがとうクーラ。私を守ろうとしてくれたんだね」


 轟く悲鳴。いや、断末魔といったほうが正確か。また一人、男性が何者かにやられたようで、言葉にならない声が倉庫内に響き渡る。


「安心して……今度は私があなたを守るわ、クーラ」


 右手で剣を抜き、反対の手でそこにいるようにと合図を出す。そして続けて口の前に指を立て、静かにしているようにとサインを出す。クーラはもはや腰が抜けたのか動きたくても動けない様子だ。ただただ黙って首を何度も前に振った。


「そろそろ追加の餌も食べ終わったころかしら? できれば何も食べれないぐらいに満腹になっていてほしいんだけど」


 シーアの吐き捨てるような台詞にクーラは最初何のことかと思考を巡らし、そして恐ろしい言葉の意味にたどり着く。追加の餌とは、この倉庫にやってきた村人たちのことを指しているのだと。


「悲鳴はもう今ので九人目。確かこの倉庫に入ってきたのは十人だったからもう一人どこかに隠れてるみたいだけど……」


 シーアはどこか忌々しげに舌打ちをする。剣で地面をちょんちょんとつつき、かかとをトントンと地面に打ち据える。


「できれば私一人で戦いたかったんだけどね。私以外の人間を標的にされたら予測以外の動きをされそうで嫌だったから。まあ、こんな場所に来たんだから自業自得。小休止させてもらうわ」


 少女の脳裏に「助けないのか」という疑問が浮かぶが……その言葉を発するのが今は怖いのだ。シーアはすっと目を閉じ、耳をすませる。


「あいつが遠ざかっていく。どうやら私たちじゃない、追加の餌の方を狙っているみたいね」


 シーアはそう言うと壁に背を預けたまま身動きできずにいるクーラのもとへ歩み寄る。そして跪くとクーラにすっと手をかざす。


「大丈夫。あなたの髪の毛一本たりとも奴の口には入れさせない」


 クーラは依然として恐怖で震えまともに口を動かせないでいる。シーアはそんな少女の頭を優しく撫で、笑みを浮かべる。


「そうだクーラ。明日はお父さんのお墓参りに行くといいよ」

「……え?」


 唐突なシーアからの提案にどうにか最低限度の言葉を出すことができたクーラ。だがその言葉のほんの数秒後にまた村人の断末魔の叫びが響き渡った。シーアはすっと立ち上がり、倉庫の中央に立てられた松明へと向かって歩き出す。


「ここに来る前に寄ってきたから。お父さんが待ってるよ……クーラ」


 背中越しに聞こえたシーアの台詞にハッとクーラは顔を上げた。そして自分でも驚くほどにすっと何かがつながっていくのを感じる。


 昼間、倉庫の前でシーアと話した後に彼女がとった行動。


 小枝のようなものを踏んだと言い、地面を探す光景。

 何かの骨だといい意地悪にも自身に何の骨かと聞いてきた光景。

 拾った骨を捨てるでもなく革袋に保管した光景。

 そして……その後の彼女のもの悲しい表情。


「あ……あぁ……嘘……」


 言葉よりも先に少女の顔を覆いだす涙。その後聞こえる嗚咽交じりの言葉にならない声。それまで保っていた沈黙を抑えられない少女。


「仇は……取ってあげるから」


 松明の揺らめく下、赤く光るシーアの背中が微かに震える。怒り……それが怒りによるものであることを告げるシーアの咆哮。それは敵に自身の居場所を伝えるもの。それは少女から敵の注意を欺くためのもの。それは、少女の大切な人を奪ったものへの宣戦布告を告げるもの。


がさがさっ……


 麻袋の間から人であったであろう破片をくわえて現れたそれは燃え尽きた灰のような毛で覆われた獣。口周りはギトギトの赤黒い液体と屠ってきた獲物たちの脂で醜く汚れている。


 シーアの身の丈は小さくなる前は160センチに満たない程のものだが、今目の前にいる化け物は4つ足で這いつくばっている状態で優に今の彼女の倍を越える高さである。


 それを前に逃げ出すものを意気地なしと呼ぶ者はいないだろう。だが、真っ向から退治するシーアは微動だにその場を動く様子もなく、すっと目を閉じる。


「……"ブラッディ"」


 嵐の前の静けさに響く呟き。だが、離れたクーラにも確かにその言葉ははっきりと聞こえた。

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