SideA プロローグのプロローグ05

 日中と違い、夜の麦畑というのはずいぶんと印象が変わる。月明かりに照らされて揺れる麦穂は闇も相まり、金色の深海とでも表現すれば良いだろうか。とにもかくにも静かで不気味で、それでも見るものを惹きつける神秘さを有している。


 そしてその金色の深海に囲まれた道を行く影。月明かりに照らされ、マントからのぞくネックレスの青い石が艶やかに輝く。その石を手にとり、シーアは表情を和らげて語り始めた。


「聞こえる? この村には初めて来たけど、本当に見渡す限りの麦畑だよ。私たちの生まれたあの場所とは違って、村人みんなもなんだか希望に満ちてるみたいで」


 まるでそこに話し相手がいるかのような口調でシーアはどこか楽しそうに石に話しかける。石は仄かな光を内包するかのように優しく光を放つ。


〈そっかー。あはは、いいねその村。これは私の行きたい場所リストがまた更新されちゃうね〉


 石の内部から響くように聞こえる声は女性のものである。聞く者をもどこか愉快な気分にさせてくれる陽気な笑い声はその女性の朗らかさを表している。


「そうだね、私も"エメル"と一緒に色んなとこを旅したい。これまでに行った場所も……まだ行ったことのない場所も」

〈おうおう、私ってば愛されてるねぇ。これは早いところ奇麗な体にならないと〉

「奇麗なって……別に汚れているわけじゃないでしょ」

〈実は私もう、シーアという女性にこの身を汚されて……うぅ〉

「……もうエメルとは同じ布団に入りません」

〈あはは、ごめんってば! 本当にシーアはいじりがいがあるねぇ〉

「むぅ……本当にエメルは」


 ぷくっと頬を膨らませるシーアはどこか幼く見える。地上を照らす月を見上げ、小さく息を漏らす。


「エメルは……寂しくない? その……私が旅してる間は話し相手とかいないだろうからさ」

〈お、私とのベッドインが恋しくなった?〉

「もうっ!」

〈あはは! いまの"アリス"にすごく似てたよシーア。まあ、アリスもちょくちょく来てくれるし話し相手には困ってないよ〉

「……そっか」


 しばらくの沈黙。シーアは愛おしそうに手にした石を撫で回し、少し不貞腐れながらも笑顔を浮かべる。


〈でもね……やっぱりシーアがいないと、寂しいね〉


 先ほどからの陽気な声から一転してどこか不安そうな声が響く。


〈他の人がどれだけいてくれても……あなたがいないと私は寂しいわ〉

「……私も。私もエメルがいないとやっぱりやだ。あなたがいないと私はやっぱり駄目だな」

〈……おそらくシーアの向かっている先に"いる"みたいね。今回の希源種オリジンワンの正体はつかめているの?〉

「さあ……そこはまた見てみないと何とも言えないね」


 暗くなりそうだった雰囲気を振り払うようにシーアはぶんぶんと首を横に振る。


「"狩る者の収穫"だなんて言われてる失踪事件が起きてるみたいだけど、大方その最初に失踪した奴あたりが"今回のお相手"じゃないかなって思ってる」

〈最初に失踪したって人? その人が"例の薬"を飲んだっていうの?〉

「そうだと思う。だってこの村、村人同士の仲がすごく良くてみんな家族みたいに、いえ、群れを成すように生きている感じだから。"自分らしさ"みたいなものを強く求めるものがいたとしたら……ねぇ?」

〈あの薬を飲ませるには持って来いというわけか、はは。シーアさんにしては今回はまともに推理されてるんじゃありませんこと?〉


 エメルの茶化すような返しにシーアはピクリと頬を引きつらせる。


「まるで私が毎回頭ではなく力業で解決しているみたいな言い方でなくて? まあでも、今回はクーラって女の子がいろいろ協力してくれたからね」

〈むっ!? 私という女がいるのに……まさか浮気だなんてそんな〉

「いや、クーラはまだ生まれて10年にも満たない女の子だからね」


 石の向こうからはまた陽気な笑い声が響いてくる。その声を聴き、シーアに安堵の表情が浮かぶ。


「お父さんがいなくなったって……泣いてたの」

〈そっか……それは助けてあげなきゃだね!〉

「うん……クーラがいてくれてよかった。大人はやっぱり……嫌い」

〈いいよ、シーアはそのままで。あなたが助けたいって思う人を助けてあげて。あなたが嫌いな人は私も嫌いなはずだしね〉


 それまで穏やかな歩調で動いていた足を止め、シーアはすっと前を向く。


「私が一番助けたいのは……エメルだよ」

〈……ありがとう、シーア〉

「さ・て・と。それじゃあお仕事してくるかな」

〈大丈夫とは思うけど、気を付けてねシーア。私待ってるよ〉

「うん、終わったら早く帰るから。じゃあ……またね」


 それまで灯っていた光が消え、石はただ月の光を映すのみとなる。シーアは手にした石にやさしく唇を触れさせる。そして表情を引き締めあらためて目の前に立つ大きな建物を見上げる。


「ここがクーラの言ってた倉庫。クーラのお父さんがいなくなったっていう倉庫から一番近い倉庫」


 人気のないことを示すかのような静寂と暗闇。シーアの脳裏に昨日の倉庫に行った際の記憶が巡る。


 ドアには重々しい錠がつけられており、クーラが借りてきたという鍵で錠を外して中に入っていた。なんでも村はいくつかのグループに分けられ、そのグループごとに協力し、麦を育てている。そして倉庫もグループごとに分かれており、グループの代表がカギを保管しているのだとか。


 クーラの父はグループの代表ということもあり、鍵を管理していた。だからこそ夜遅くまで倉庫にいても最後の戸締りの問題はなかったのだ。


「遅くまでお仕事ご苦労様……だけど、それが災いしたんだから、ご愁傷様の方が正しいのかな」


 誰に伝えるでもない独り言とともにシーアはドアの前に立ちすっと腰にささる剣の柄に触れる。


「まあ……どうせ頼んでもすんなり鍵なんか貸してくれないよね。中身がたっぷりの倉庫の鍵なんて……ね!」


 シーアが抜き放った剣は音もなくその美しい銀の刀身を現し、シーアが瞬きをするときには鞘に戻っていた。


カランッ


 ドアにかかっていた重々しい錠が小さな金属音とともに地面に落ちる。錠を失ったドアはすっと内側から誰かが押したかのように開かれる。土の匂い、麦の匂い、木の匂い。様々な香りがドアから飛び出し、シーアの体を通り過ぎていく。


「エメルも"いる"っていってたし。私の予想はあたりかな。ねえ? 袋の鼠ちゃん」


 シーアは剣の柄に手を添えながらゆっくりと倉庫の中に歩を進めだした。

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