SideB チュートリアルのチュートリアル03

 スマホのアラームがけたたましく鳴り響く。視界に移る見慣れた天井。ここは俺の部屋……だよな。天井を見つめたまま手探りでちゃぶ台のスマホに手を伸ばし画面を見る。


「はは、夢かよ。ったく、なんだってんだよ」


 画面には夢の中でバイトに行った日の午前11時を示す文字。ああそうだ、この日はほんとギリギリ昼前に起きたんだったな。まあバイトも夕方からだしと適当に時間をセットして昨晩、というかまあ朝方に寝たわけだ。


 身を起こしつつはっと思い出す。そういえばこの日も起きたらちゃぶ台にあいつが……。


「……"本日二回目"のおはようございますですね、十字さん」


 嫌な汗がにじみ出てくるのを感じた。心なしか心音も聞こえるような錯覚。やばい、なんだかこのまま顔を向けるのがまずい気がしてきた。


「こっちを見ないんですか? それともまた夕方まで私を無視するんですか十字さん? それじゃあまたおんなじ結末を迎えますよ? ねえ?」


 心なしか、聞きなれた声が冷たく感じる。俺はゆっくりと身を起こしつつ声の主、有栖を睨みつける。いつも頭のおかしいことを言っている奴だが、さすがに今のこの状況は異常だ。


 ちゃぶ台に肘をつきこちらを少し小ばかにするような笑みで俺を見る有栖。そして"俺の見た夢での今日"にはなかった古い新聞が机に置かれていた。


 有栖はその新聞をめくり、一枚の紙面、記事を指さす。


「この新聞はこの世界のもの……ですがこの世界のものでないものです」


 謎かけか何かなのか? だがいつもの幼い少女のような雰囲気と違いどこか不気味な雰囲気・態度の有栖の言葉に俺は黙って新聞の記事に目を落とす。そして読み進めるうちにまた嫌な汗が湧き出るのを感じた。


 それは1か月以上も前の新聞だった。そして記事には1件の火災事件が載っていた。"共会荘きょうかいそう"という築30年ほどのアパートが突然の火災により全焼。そして痛ましいことに深夜の火災ということもあり、一名を除く全住人が亡くなったらしい。


「これ……どういうことだよ。この記事に載ってるのって……このアパートだよな?」


 少し震えた声で有栖に問いかける。だが有栖は不敵な笑みを浮かべたまま押し黙っている。そして記事の一部にまた指をさす。そこにはこの火災で亡くなった住人の一覧が載っていた。それは俺をさらなる混乱に陥れるのには十分なネタだった。


「し、知らないぞこんな住人」


 俺が住むアパート、共会荘には一階に3部屋、二階に5部屋の8部屋の住居部屋がある。そして一階にある食堂で朝晩の食事の時に顔を合わせてきたから誰がどの部屋に住んでいるかも、名前や大体の年齢、職業なども把握している。


 依然沈黙を保つ有栖だが、俺が記事から目を離し再度睨みつけたことでようやく口を開いた。


「その記事で唯一生き残った住人というのがあなたですよ、十字さん。あなたの代わりにそれまでこの世界で存在してきた……そして、あなたによってその存在を上書きされた。まあ、安心してください。この記事の火災事件は"この世界"では起きてませんから」

「頭のおかしい奴だって思ってたけど、もう少し一般常識人の俺にもわかるように説明してくれないか」

「ひどい言われようですね。でも、混乱するのも無理はないか。あはは。だけど……これだけは言っておきますけど、あなたはこの世界にとって"異世界人"なんですよ。私やこのアパートの住人と同じ、異世界から来たんですよ」


 異世界からこの世界に……来た? どういうことだ。俺は確かにこの世界で生まれ、ここに……。


「ああ、ちなみにあなたの記憶はあくまでもあなたが存在を上書きする前の住人のもの。まあ、あなたはちょっと特殊なルートでこの世界に来ましたから。他の住人たちのように記憶をそのままにこれたってわけじゃあないんですよね」


 くそっ、なんだか説明されてもよくわからない。そしてそろそろ気づいたんだが……なんだか有栖がわざと俺を混乱させるような雰囲気や言葉遣いをしているようだ。


 その証拠に俺が反応を示すたびに肩が小さく動いている。想像するに俺に見えないようにガッツポーズでも取っているんだろうか。あれか……今まで俺が話を聞かず無視していたことへのあてつけか?


 俺の不満に気づくはずもなく、有栖は引き続き謎めく雰囲気を出しながら話を続けようとしている。なんだかあいつの不敵な笑みがただのドヤ顔に見えてきたぞ……。


「まあ、心配しなくても私が親切丁寧にあなたがわかるように説明してあげますよ、十字さ……」

「いや、もう説明はいいや」

「ふふ、そんなに焦らなくても……はい?」


 あ、やっぱりこいつ調子こいてやがったな。素で驚いてる。一瞬でメッキがはがれやがった。


「ええと、話を続けてもいいですか? 十字さん」

「続けなくていいぞ。あとこの新聞ちゃんと持って帰れよ? 俺新聞や雑誌とか買わないからその手のゴミ出しの方法に疎いから」

「え……ええぇっ!? ちょ、何を言ってるんですか!」


 俺は小さくため息をつく。スマホのアラームを夕方にセットし、ちゃぶ台に置くとごろんと横になる。そうだよこの後バイトが控えてるからって結局起きてすぐ二度寝したんだったわ俺。


「まあなんだ、色々そっちも事情とかあるみたいだけど、俺は俺で一人で強くこの世界で生きてくよ。じゃあな、有栖。そっちはそっちで頑張れよ」


 有栖はきょとんとした間抜け面で固まっていたが、時間が経つにつれ理性を取り戻したのか徐々に顔が赤くなっていく。心なしか体がぷるぷると震えだしているのは……あー、考えたくない。俺はすっと耳に手を当てた。


「もうっ! ほんとうに、もうっ!」


 もとから言葉足らずな感じが否めなかった有栖だが、この「もうっ!」というのが本当に行き詰った時の口癖のようだ。そして今こうして説明したとおり、有栖は急なこの展開に色々といっぱいいっぱいなようだ。


「お前の言う通りなんだか改めて昔のことや親のことなど思い出そうとしてるんだが、なんか色々曖昧だわ。なんか面白いな。俺が俺じゃないみたいだ」

「……それはあなたが元の世界で存在が消滅する寸前にこの世界の住人に同化したからですよ」


 お、先ほどまでもったいぶって言わなかった俺のこの世界に来た経緯に新情報。よくわからんがまあ一つの体に俺と前の住人の魂が宿ったのか? それで俺とその住人の記憶があいまいに混ざってる感じか? はは、なんかわかってきたぞ。


「俺って要はこの体の前の持ち主の体を奪ってしまったってことか?」

「はぁ……少し違います。さっき見せた記事、あの事件が起きた時が私たち異世界の住人がこの世界にやってきたタイミング。まあ、この世界と私たちがいた異世界の境界が壊れ、繋がり、そして調和した結果この世界の事象が改編されたとでもいえばいいんですかね」

「ふむふむ。つまりこの世界が異世界からの異物である俺たちをうまいこと調和させようと考えてたらちょうど火災事件が起きてたし本来の住人の存在を異世界からの住人で上書きし、元からそこに存在したってことにした感じか?」

「なんだか腹立たしいくらいにそんな感じです。というかなんでなんかもう順応しようとしてるんですかこの状況に」


 せっかくのマウントポジションを奪われた有栖はなんだか今までと違い話すことへのモチベーションが駄々下がり中のようだ。


「あ、ちなみにこの体の前の持ち主って結局俺がこの世界に入り込んだせいで存在が消えたってことか? 他の住人と違って生きてたって話だが」

「違いますよ。この世界はあくまで私たちが来たことで改編された世界。私たちが来たことで本来の世界の進み方とはそこで分岐したとでも言えばいいんですかね。だからあなたの体の前の持ち主はちゃんと生きてますよ。別の世界でね」

「そうか、それはよかった。なんか不可抗力とはいえ俺のせいで存在が消えたとかだと寝覚めが悪いもんな。そしてこれで安心して俺は寝れる。よくわからんが一度今日という日を見てきたお前ならこの後俺が二度寝するのわかるだろ? さすがに一日二回も二度寝に付き合ってそこでぼけっとしてるのもあれだろうし今日は帰っていいぞ。じゃあおやすみ」


 矢継ぎ早にいうと俺は大の字になってすっと目を閉じる。そうだな……夜のバイト、とりあえずゴミ出しだけは山崎にやってもらおう。それで万事解決だろう……うげっ!


 腹の上に何やら柔らかいものが結構な重みとともに……あ、やばい。


 先ほどと違っての"物理的"なマウントポジション。有栖は今にもそのまま殴りかかりそうなほどにお怒りのようだ。こぶしに力をこめ、俺の顔を睨むように見下ろしていた……のだが?


「どうして……私だって世界を……」


 握りしめたこぶしを緩め、腕ごとだらんと力なく下げる。おい、さすがに泣くなよ。気まずい空気と沈黙。ったく、しょうがない。


 俺が身を起そうとしているのを感じ、有栖はそっと俺の上からどくように立ち上がる。俺はちゃぶ台にどんと片肘をつき、手のひらに顎を乗せる。


「なあ、俺は一回死んだのか? この世界で」


 有栖がピクリと反応したように見えたが一向に口を開く様子がない。


「……悪かったよ無視してて。謝るから教えてくれないかあの夜のことを。このままじゃあバイトに行っても俺か後輩のどっちかがまた危ない目に遭うかもしれないんだろ」


 まあ危ない目に遭うのは百パーセント山崎だがな。


「あなたは、元の世界のためになお戦う意志はありますか? 十字さん」

「ん? どういうことだ?」

「言葉どおりですよ。あなたは元の世界の記憶を失っている。いまならこの世界の住人として生き続けることもできます」

「お、おう。それならこのままのほうが楽な気はするな。悪いけどマジで元の世界とやらのことを覚えていないんだわ」


 有栖はきゅっと唇を噛みしめる。なんかまた怒らせるようなこと言ったのか俺?


「あなたは……あなたは元の世界では英雄でした。そして、世界のために……いえ、"世界のせい"で死んだ」

「英雄!?」

「ええ、自分の命を顧みず、ただ世界のために生き、その世界に利用されて命を落とした。正直、私がやろうとしていることはあなたにとってひどいことです。私も"あいつ等"と一緒です。あなたを利用しようとしている」


 うーん、悪いが本当に何も前の世界のことを覚えてないからなんだかただ重たい雰囲気だなぁと感じる程度なんだよな。だが、なんだかこのまま情に動かされ手を貸すというのも危険な香りがする。


 俺は有栖に気づかれぬよう顔を俯けつつそっと有栖のほうを覗き見る。有栖も少し離れて下を向いているからよく表情が見えないが……おい待て、いつの間にか膝元で手を組んでいるがなんだかばつがわるそうに指が踊ってるのが見えるぞ。


「お前……嘘泣きだろ」

「な、なにを馬鹿なこと……あ……」

「あー……」


 こいつ、雰囲気だけで俺の言質げんちとろうとしてたな。口笛を吹こうとして吹けずにただ口をとがらせひゅーひゅーと呼吸するとかいうお約束。オッケーだ、そっちがその気なら……。


「俺に戦う意志はない! 俺はこの世界で生きる!」

「だめです戦って下さい! というかあなたはもう元の世界に戻らなくてもいいんですけどこの世界に来た"オリジンワン"を追い払って下さい」

「危険な香りがするのでお断りします」

「却下です! というか放っておくとあなたも死にますからね?」


 くそう、最近聞いたワードで一番触れたくないワードランキング一位に急浮上した"オリジンワン"とかいう存在。察するに化け物の類だろ向こうの世界の。


「あれだろ? そのオリジンワンってのは異世界の化け物の呼び方だろ? ゴブリンとかオークとか」

「あはは、嫌ですね十字さんったら」


 さっきまでの重たい雰囲気はどこ行ったよ。けらけらと笑う感情の切り替えがマッハの有栖さんはすっと俺の前に正座で座る。


「ゴブリンやオークってのはこの世界が生み出したフィクションですよ。オリジンワンはこの世界で表現するなら希望の希にみなもとと書いて"希源種"。まさにレアで化け物の起源のような存在なんですよ」

「ほう……」

「全部で48種の希源種オリジンワンが存在するらしいんですけど、まああいつら同じ能力や力を持った存在がいないので。実際希源種の希は存在が少ない希少の希なんですよ、あはは」

「ほほう……」

「というわけで多分この世界の異世界の常識は通じないんじゃないですかね」

「俺絶対そんな奴らと戦わねぇからな!」


 俺は有栖に背を向けて頭を抱える。そりゃそうだろ? 毎回未知の化け物と戦えとか、ただの人間には……待て、こういう展開なら……。


「ちなみに……俺はなんか特殊能力みたいなのはあるのか?」

「あ、ありますあります! もうチートレベル級のが! というかあなたかなりのチート持ちなんですよ! だからこそこうしてお願いしてるんですから!」


 んー、不安と苦難とふざけんなよな予感がするが、一応聞くだけ聞いておくか。俺はスマホを手にポチポチと操作する。


「あ、あの? 警察とかじゃないですよね」

「そうかその手が……」

「だ、だめですよ!」

「冗談だよ。夕方にセットしたアラームを解除してんだよ」

「へ?」


 ったく、相変わらずの間抜け面しやがって。だがまあ、正直特殊能力とか必殺技とか聞いて心躍らない野郎なんていない……と思ってる。だってしょうがないだろ? 有栖がチート能力とかいうんだもんな。


「バイトまでの二度寝はやめだ。だからまあ聞かせてくれ。俺はどうやったらあの夜の意味の分からん化け物を倒せるかをな」


 有栖はどうやら俺が話を聞いてくれるとわかったようで子供のように目を輝かせる。まあ、異世界転生ものの女神様的ポジションだもんな。説明するのが仕事だもんな。


「えっと、それじゃあまず元の世界の"術式"と呼ばれる種族ごとの固有の力の説明からなんですが……」


ドンッ


 突然の鈍い音。どうやら玄関のドアを思いきりどついたような音だが。なんだかドアの向こうで男女の話し声が聞こえる。


「く……んで開かな……」

「……めだって兄様。この世界では戸締りという……が……」


 有栖はぽかんとしていたがすぐさますごく嫌そうな顔を浮かべる。そして俺にすっと小さく会釈をしたのち玄関のドアへ向かう。


「ちょっと、まだ私の番ですからあなたたちの番は……え? とりあえず開けろって? もう……」


 一応言っとくけど俺の部屋だからな? あいつにこの部屋への入退室の権限を与えた覚えはないからな。


 有栖はため息をつきながら俺の元に戻り、引き続き浮かべた不機嫌な表情のまま俺にドアの方を見るように指さす。そして……。


ドンッ! バキャッ!


 勢いよく開かれた我が家のドアが嫌な追加音をあげる。


「ふはは! ようやく覚醒したか人族ヒューマンレイスの英雄よ!」

「あ、やばいです兄様。ドアの取っ手が……私知らないからね」


 うん、登場の仕方にこだわろうというのはわかるがもう少し常識の範疇でやれ。俺は今日一番の説明を求める目つきで有栖を睨む。有栖は有栖で今日一番のため息をついている。


「102号室の百田ももたさんとこの兄妹……力也りきや飛鳥あすかちゃんだよなあれ」

「そうですね。こんな感じで他の住人もこの後来るのでもうドア開けっぱにしておいた方がいいかもですよ」

「まじかよ。え? なに? 俺の部屋順番待ち?」

「これでも私が事情言うまではってこらえてた方なんですよ。ここ来る前に食堂でじゃんけんしてましたから皆さん」

「うへぇまじかぁ。バイトまでに終わるのかよそれ」

「おいお前ら! 我のこだわりの登場をなんだと思っている!」

「うるせぇ力也。お前まじふざけんなよ。俺の部屋の唯一のセキュリティであるドア様に何してくれてんだよ」

「むう、な、軟弱な方が悪いわ!」

「この世界でもたぶん元の世界でも状況的にお前が悪いわ!」


 力也は俺と同い年タメで24歳だ。そして妹の飛鳥ちゃんは17歳。高校2年だったかなたしか。まああらためましての最初の登場の印象だが本当によくできた妹さんと本当によくできていない兄この野郎といった感じだ。


 金髪のぼさぼさ頭にシャツ一枚とツナギのズボン。ガテン系の王道を行くような身なりだ。元から声のでかさと体力が有り余った奴だとは思ってた。


「あの、ドアは後でしっかり兄に直させますので……」


 深々とお辞儀をするボーイッシュな髪の少女……いや、美少女と言ってもいいだろう。陸上部とかいってたが確かに締まった体と女性らしさが同居しており、これは同年代の男子の目を引くだろうな。


 俺はすっと視線を有栖に移す。有栖は「なに?」と首をかしげるがその後もう一度飛鳥ちゃんを見て視線を戻したことで察したようだ。


「えっと、有栖さんは成人されているんでしたよね?」

「もうっ!」


 俺は笑いながらすくっと立ち上がると有栖を視線で外に出るよう促す。


「とりあえず食堂行くぞお前ら。こんな狭い部屋で順番にプレゼンとか無しだろ。まとめて聞いてやるから話がある奴を全員集めろ」

「お、おい! それでは先刻の死闘による順番決めが無駄になるだろう!」

「うるせぇただのじゃんけんだろうが!」


 しゅんとなった力也の背中をたたき、俺たちは一階の食堂へと向かうのだった。あー……さっさと終わらせたい。


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