エピローグ
太陽が眩しい。そして、暑い。もう夏ですか、と文句を言いたいくらい暑い。先日まで寒かったのに、今では汗をかいてしまうほど暑い。もう暑いしか言えないくらい暑い。
インドアの僕からすれば、外は地獄だ。太陽が沈むまで、映画館に籠っていたかった。
「助けて、ドラえもん」
「ドラえもんは架空のキャラですよ」
「水分補給しなさいって、あんなに言ったのに」
右からはマジレスを飛ばしてくる梓間、左からは三梨の文句。
「電車ごっこ‼ ぶっぶっぶ‼」
そして後ろからは鵜乃乃が僕の肩を掴んで遊んでいる。
何この状況。ここは地獄か。てか、映画を見終わった後にする会話じゃねぇ。
補修の日々が終わって数日後、僕らは映画を見に行った。勿論、恋愛アニメの研究の為。
見に来たのはいいものの、朝に来るんじゃなかったと後悔する。だって暑いんだもん。
暑さを相乗させているのは言うまでもなく、鵜乃乃。なーんでこんな暑い日にくっついてくるの? 馬鹿なの? 熱中症で倒れちゃうよ、僕。
ちなみに、お財布の中は冬である。お小遣いを前借したので、来月も冬が続きそうだ。
「それじゃあ、僕は行きますね」
梓間は僕らに一礼すると、明後日の方向へと歩いていった。
「私も時間がない‼ サラダバー‼」
続くように鵜乃乃も去っていく。最後まで僕らに手を振ってくれた。変わらず元気だな。
あの二人は昼から用事があるらしい。暇人の僕らとは大違いだ。
残された僕と三梨は、そのまま帰路へ。
「映画どうだった?」
「やっぱりまだ難しい部分が少なからずあったわ」
気難しそうに三梨は答える。成長したとはいえ、理解に苦しむ部分も多々あるようだ。
でも、だんだんと理解してきている。彼女は最初何も分からなかった。
どうして人は恋をするのか。
どうして人は愛を大切にするのか。
どうして涙が流れるのか。
知らないが故に、傷ついたこともあった。
でも、今は違う。
「だけど、面白かった」
知らないことが多い彼女だが、今では笑顔でこんな言葉を口にするのだから。
それを見られるようになっただけでも、大きな収穫だと言えるだろう。
爽やかな気分でアスファルトの道を歩いていく。隣からは三梨の足音。自称、不真面目な僕と厳格な優等生の彼女が、こうして足音を揃える日が来るとは。
このひと時を想うと、つい笑みが零れてしまう。
「そういえば、一つ話していなかった事があるの」
歩きながら三梨はこちらへと視線を向ける。
「どうして鵜乃乃さんがテストの補修を受けているのか、斎藤君は知っているかしら?」
「いや、知らない」
首を横に振る。
どんなにテストの結果が悪くても、補修になることはない。
三梨はテストを受けなかったから、先日まで補修を受けていた。
だが、テストを受けた鵜乃乃が補修を受けるなんて、おかしな話だ。
考えてみたが、未だに理由が分からない。
「また変な事でもやらかしたんじゃないのか?」
「私もそう思っていたわ。でも、違ったの」
三梨は鞄の中から、とある用紙を数枚取り出した。
目を向けると、それは三梨楓花と書かれたテスト答案用紙だった。
「彼女、私の名前を使ってテストを受けていたのよ」
三梨の言葉に全身の鳥肌が立つ。心の奥底がだんだんと熱を帯びていく。
鵜乃乃は三梨の負担を減らすために行動を起こしていたのだ。
答案用紙を見れば分かる。正体がばれないためか、三梨の字に寄せて書かれていた。僕よりも正答率の高い答案用紙を見て、いつかの春休みの課題を思い出す。
「……これが鵜乃乃雛菜の改新か」
鵜乃乃はいつだって自分よりも他人の為に頑張る。暗い世界に閉じ込められたときに手を伸ばしてくれたのも、怖がって素直になれなかったときに心を奮い立たせてくれたのも、全部彼女だった。誰かのために、ずっと手を尽くしてくれていた。
下らない理由だと決めつけていた自分を殴りたい。
なあ、鵜乃乃。お前はすっごい奴だ。人間はそんな簡単に、誰かの為に犠牲になれない。
——そうか。だから、僕はお前の事を憧れにしているのか。
「三梨、とある人物の話をしてもいいか?」
「ええ、構わないわ」
どんな話なのか察してくれたのか、三梨は笑顔で言葉を返してくれた。
紛れもなく、鵜乃乃雛菜の話だ。僕の憧れで、何でもできる彼女の話を聞いてほしい。
「そうだな、じゃあ、まずは——」
晴れた空の下、僕は家に着くまでの間、鵜乃乃雛菜という人物について話し続けた。
三梨は鵜乃乃の話を、笑顔で話を聞いてくれた。
梓間や鵜乃乃と違って、特に予定のない僕。このまま解散しても寂しいし、三梨ともっと話をしていたかったので、彼女の家に寄っていくことにした。
来るのは二回目。あまりの上品さに蹴落とされた以前とは違って、マンションの放つオーラを潜り抜けられた。やっと推奨レベルまで上がったみたいだ。
冗談はここまで。変な雰囲気を醸し出しすぎて三梨から痛い目で見られた話も内緒だ。
「飲み物、入れてくるわ」
三梨は靴を脱ぐと、キッチンの方へと歩いていった。
僕は気にせずに、奥の三梨の部屋へと足を進めた。
久々に入る三梨の部屋。変わらずの殺風景さには、やっぱり落ち着かない。テレビとベッドと机と本棚。言葉にしてみると、少なく感じる。最低限過ぎて、なんか可愛げがない。
あっ、そうだ。いい事を考えたぞ。
背負っていたリュックを黒いカーペットに置いて、中からある物を取り出す。
人間味の増した三梨には、こんな寂しい部屋は似合わない。
だから、これを飾ろう。彼女の青春の始まりを楽しく飾れるように。
「斎藤君?」
声の方を振り向くと、マグカップを手にしている三梨が驚いた顔をしていた。
「どうだ、いいだろ?」
「ええ、確かに素晴らしい絵だと思うわ。でも、それは斎藤君の大切な物じゃ……」
三梨の言う通り、これは僕の大切な物だ。お小遣いの大半をはたいて、やっと買えた恋日のタペストリー。鵜乃乃と梓間に自慢するために持って行ったが、没収された。
だから二人には自慢できてない。
けど、それで良かったのかもしれない。
最初に見せられたのが、三梨楓花な事に意味があるのかもしれない。
だって、彼女が最初に視聴した恋愛アニメが、恋日、なのだから。
「これが始まりだ。さあ、青春を楽しもう!」
大きな声で意気込みをする。
最初は戸惑う三梨だったが、だんだんと口角を上げていき、
「ええ、楽しみましょう」
満面の笑みを浮かべた。
「ねえ、斎藤君」
三梨はマグカップを机に置いては、僕の方をもう一度見る。
「私はたくさんの事を知れた。おかげで、今では見違えたように世界が広く見えるの」
ゆっくりと彼女はベッドに腰掛ける。
僕も同じく思う。柔軟な姿を見ていれば、よく伝わってくる。
三梨は様々な感情を知った。目標にしていた愛を、彼女は知る事に成功した。
もしかしたら僕の教えられることは、もうないのかもしれない。
後は新しくなった青春を謳歌するだけだ。
「でも、まだ一つだけ知らない感情があるの」
そんな想いをぶった切るように、三梨は告げる。
「恋って、どんな感情なのか。私はまだ知らない。だから——」
僕の方へと右手を伸ばして、
「私に恋を教えてほしいの」
今度はあざとく笑った。
いや、僕が勘違いしてしまっただけかもしれない。
だって、彼女はまだ恋を知らないのだから。
僕は誰かに恋を教えられる程の経験もなければ、答えを知っているわけでもない。
だから教えられるように。共に学んでいこう。それが恋愛アニメ研究部の活動内容。
三梨の隣に並ぶように、僕もベッドに腰掛けた。
そして三梨が入れてくれたコーヒーを口の中へと運んだ。
「美味しいな」
「いつも飲んでいるコーヒーよりも美味しい気がするわ」
口にしながら彼女は言葉にする。
「そうだ、今から恋日でも見ないか?」
「構わないわ。何回見ても勉強になるもの」
どこから出したのか、三梨はメモ帳とボールペンを既に手にしていた。
その姿を見て、思う。
————三梨楓花は恋を知りたい、のだと。
僕の青春ラブコメには恋(ラブ)がない ポロロッカ @jackraeru
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