4-1
ゴールデンウィークが終わった。即ち、一時休戦が終わったという事でもある。
終礼のチャイムが鳴り響くと同時に、教室から出ていく。
人の視線を感じる。それもいつもより多い。辺りを見渡すが、僕を見ている者は誰一人としていなかった。気のせいだろう。自意識過剰とはよく言ったものだ。
いや絶対にいつもより視線多いわ、これ。思いっきり睨まれてるな。いつもはゴミを見るような目だけど、今日の目は生ゴミを見る目だな。僕また何かやらかしちゃいましたか? 考えてみるが、思い当たる節が一切ない。
また鵜乃乃の件だろうか。あいつが誰かの告白を断る度に、なぜか僕の方に火の粉が飛んでくるんだよ。なぜ振られたからって、鵜乃乃と同じ部活に所属している僕に当たるのか。だったら恋愛アニメ研究部に入ればいいのに。無論、歓迎はしないけどね。
視線を気にしながら歩いていると、やがて目的地へとたどり着く。
「失礼します、二年生の斎藤由紀です。貝塚先生に用があって来ました」
丁寧な挨拶をし、職員室に入っていく。勿論、頭は下げないぜ。
貝塚先生の席へと向かっていく。様子を伺うと、珍しく机が片付いていた。だらけきった貝塚先生でも、流石に他の教師の前で酒を飲むなんて奇行はしないようだ。
にしても、視線を感じる。生徒だけでなく、教師からも感じるなんて。僕が知らない内に、また鵜乃乃が大きな事件でも起こしたのだろうか。流石、圧倒的問題児の鵜乃乃さん。
それで鵜乃乃が何をやらかしたのか、眠っている貝塚先生に質問してみる――って、寝ているし。この教師、やっぱりダメかも……
これでは要件が満たせないので、貝塚先生の背中を強くゆすった。
「……やめてくれ。それはパワハラだぞ」
強烈な寝言が聞こえてきた。何、普段パワハラでもされているの?
「……高そうなタペストリーが入ってきたので、是非オークションに出そう」
「おい起きろ」
一度、貝塚先生の頭を叩く。そのせいか、他の先生の視線が強くなった。
ちなみに貝塚先生の頭叩きは公式から許可を得ています。誰からというのは内緒ですが。
「おい、教師を叩くな」
「僕は非常識を叩いただけで、教師を叩いたつもりはありません」
「ったく、由紀は本当に生意気だ」
顔を上げる貝塚先生。髪がボサボサになっている。
「今は君に時間を使っている余裕はない」
「さっきまで寝ていた人とは思えない発言ですね」
貝塚先生は目元を擦りながら缶コーヒーを一口飲む。
これ以上の戯言に付き合っている余裕はない。すぐさま、本題に入ろう。
「タペストリー返してください」
「中間テストで五十位以内に入ったら、返してやろう」
「いや、今返せよ」
「敬語を使え。一応、他の先生の前だぞ」
「失敬。貝塚先生を敬えなくて、つい」
「私一人の時は構わないぞ」
いいのか……そんな声が所々から聞こえてきた。
肘を突きながら、ボサボサの長い髪を弄る貝塚先生。しまいには大きな欠伸。
この貝塚先生は何もかもがいい加減すぎる。なんで教師の職をクビにならないのか。日本じゃなかったら、絶対にクビになっていたぞ。
「それでタペストリーを返してほしいのですが」
「何度も言わせるな。中間テストで五十位以内に入ったら、返すと言っているだろう」
「もう冗談はいいですから」
「冗談を言っているつもりはないが」
「えっ、嘘ですよね……?」
「由紀は私の事を何だと思っている?」
今まで見てきた貝塚先生という人間がろくでもなかったせいで、信じられなかった。オオカミ少年とは貝塚先生のためにある言葉かもしれない。
貝塚先生は眠そうに目を開いたり閉じたりしている。こやつ、まだ眠いのか。
「進級ギリギリだっただろ? ここで結果残しておかないと、今年こそ留年するぞ」
「ぐっ!」
心が痛い。去年ずっと遊んでいたので、否定ができない。
まさか、この人に正論を突きつけられる日がくるとは思わなかった。
「後、由紀がいい成績を出さないと私が文句を言われる」
「その一言がなかったら、少しは頑張ろうと思えました」
「戯言はいいから五十位以内に入れ。もし入れたら、私の自腹でゲームを買ってやろう」
「案外、思い切りますね。教師が生徒に言っていい言葉ではないと思いますが……そうですね、買うならブルーレイの方がいいです」
「よし、分かった。では、頑張れ」
頑張るなんてキャラじゃない。だが、タペストリーを返してもらうためにも今回は本気を出そう。勉強は嫌いだ。マジでやりたくないが、大切な物を取り戻すために頑張ろう。
「後、一つ訊いてもいいか?」
「何ですか? テスト期間最後の部活なので、早く行きたいのですが」
「すぐに終わるさ。ちょっと、めんどくさい事になっているかもしれないが」
「あまり焦らさないで下さい」
「では、単刀直入に言うぞ」
貝塚先生は億劫そうにため息を吐く。
瞬間、職員室から音が消えた。気が付けば、たくさんの教師の目線が僕を捉えていた。
えっ、何この視線。生徒からも向けられて、教師からも向けられるって。気付かない内に、何か大事に至る事でもしてしまったのか? 行動一つ一つを思い返すがマジで覚えがない。
緊張をほぐすため、一つ息を呑んだ。
それと同時に時間は静かに動き出す。貝塚先生の唇に比例しながら。
「由紀は楓花と付き合っているのか?」
真面目な目つきで貝塚先生は告げる。
「ふぁっ?」
あまりにも突拍子もない質問に、思わず変な声が漏れた。
「めっちゃ面白い‼」
部室にて鵜乃乃に今日の出来事を一通り話すと、大きな声で笑われた。
ほんといい笑い話だ。まさか僕と三梨が付き合っているなんて噂が学校に流れているとは。道理で生徒の視線が痛いわけだ。教師からの視線まで痛くなるとは思ってなかったが。まあ、噂なんてすぐに消えるだろう。僕みたいな影者の噂なんか誰も興味ないだろうし。それまでの辛抱だ。苦しくもなければ、悲しくもない。笑い者にされるのは慣れている。
「そういえば、明日からテスト期間らしいぜ」
「えええええっ‼ マジですか‼」
机を叩いて絶叫する鵜乃乃。前々から言われているのに、気付いてなかったようです。鵜乃乃は授業中に何を聞いているのでしょうか。
「当分アニメ観られないじゃん‼」
「テストが終わるまでの辛抱だ。頑張るしかない」
「嫌じゃぁぁぁ‼」
鵜乃乃は嘆きながら地面に転がる。まるで欲しい物を買ってもらえなかった子供だ。
ただ分からなくもない。部活ができなくなるのは、非常に悲しい事だ。せっかく三梨の事を知り始めてきたのに、一時停止しないといけないなんて、もどかしすぎる。
「部長! 三梨先輩と付き合っているのは本当ですか!」
梓間の焦った声と扉の開く音が、強く響いた。ナルシストが来たようだ。
「付き合ってなどいない」
吐き捨てるように答える。
「でも遊園地でイチャイチャしていたって話、噂になっていましたよ」
これまた具体的な目撃情報が入ってきたな。なるほど、原因は遊園地にあったか。
イチャイチャしていた時って事は、ちょうど三梨と実践をしていた時だな。一番厄介な所を見られているじゃないか! そりゃあ、間違われるわな。
「いやぁ、参った、参った」
「絶対に参ってないですよね」
「だって、ただの笑い話だろ」
こんな下らない話、笑い話以外の何でもない。恋愛アニメだと、恒例行事だし。
「前から思っていましたが、部長って図太いですね」
落ち着きを取り戻した梓間は鞄を下ろして、いつも座っている椅子へと腰かける。
「どうして噂の当事者なのに、部長は笑っていられるんですか?」
そういえば今年入学してきた梓間には話していなかったな。
せっかくの機会だし、話してやろう。
「部長は関わりのない人間の戯言には興味ないのです‼」
なんで鵜乃乃が話すんだよ。しかも、なんかドヤ顔だし。まあ、間違ってないけど。
「でも陰口言われてないかなとか、気になりません?」
「逆に気になるのか? 知らない奴だぞ? 金輪際、関わらない奴だぞ?」
「確かに、そう言われれば、そうかもしれません」
歯切れ悪く言葉を並べる梓間。頷いてはいるけど、納得はしてないように見える。多分、梓間は人の目とか気にしてしまうタイプなんだろう。
「でも、部員に言われたら、泣いちゃうかも」
「やだ、部長ったら、おちゃめ‼」
「部長、乙女なの。ウフフフ……」
鵜乃乃に顔を近づけて、けばい女性のような笑い声を上げる。
十秒くらいして、梓間の冷たい視線に気付く。一つ咳払いして、我に帰った。
「なんか意外ですね。他にはありますか?」
思った以上に食い気味だな。これから僕を虐められる予定でもある感じですか?
「後は、部員が苦しんでいる時とか、かな」
「僕の事は散々虐めているのに、ですか?」
「人聞きの悪い事を言うな。お前の事は、ただ可愛がっているだけだ」
「そうだぞ。後輩の苦しむ姿はいいものだ‼」
「一人怪しい人がいますが……」
「部長‼ 後輩をそんな風に扱うのは良くないぞ‼」
「どう見ても、お前に言っている言葉だろ」
鵜乃乃は平常運転だった。
そういえば三梨、来ないな。もしかしてテスト期間前だから忙しくて来れない?
「ちょっとジュース買って来るわ」
「私コーラで‼」
「じゃあ僕はココアでお願いします」
何、自然にパシらせようとしてんの? 一応、僕、部長なんだけどな。
「りょーかい。一時間くらいかかるかも」
少し急ぎだったので、文句を言わずに了承した。そのまま部室から出ていく。
すぐに梓間のツッコミの声がしたが、無視して廊下を歩いた。
曇りのせいで、寒く暗い廊下。梅雨だからか、窓にはたくさんの水滴が。
灰色の空へと目を向ける、これから雨でも降ってきそうだ。
どこまでも廊下は静かだった。数時間前まで視線が痛かったのが嘘のように感じる。
そんな寂しげな景色の中で、彼女は悲壮の目をしながら窓の外を眺めていた。
「いや、何してんの?」
声をかけると、彼女はピクリと肩を揺らす。
「……斎藤、君?」
三梨は驚きながら、こっちを振り向いた。
「窓の外になんか面白いものでもあるの? あっ、もしかしてUFO見つけたとかか?」
「UFOは実在しないわ。あれは気が動転した人が見間違えただけの空想上の存在だもの」
「なら、何を見ていたわけ?」
「それは……」
三梨は気まずそうに僕から目を逸らす。
彼女が言葉を濁らせるなんて珍しい。僕には言えない悩みでもできたのだろうか。
「言いたくないなら、言わなくていいぞ」
「ごめんなさい……」
彼女から出てきたのは謝罪だった。謝る必要なんかないのに。
震える唇とは違い、力の入っている両手。容易に解決できる問題じゃないのだろう。
今の彼女にこんな言葉はお節介かもしれないけど、悲しそうな形相を見ていると言葉にせずにはいられなかった。だから彼女の曖昧な目を見て告げた。
「辛くなったら、言えよ」
三梨は一瞬口を開くが、すぐに閉じた。僕から薄暗い窓へと目を逸らす。
「部室、来ないのか?」
「ごめんなさい。今は一人にしてほしいわ」
「そうか……」
テスト期間最後の部活なんだ、来いよ。そんな言葉を伝える為に三梨を探しに来たのだが、今はそんな軽薄で無神経な言葉を言えそうにない。
だから、僕は彼女の前から去った。それが正しい気がしてならなかったから。
そのまま今日の部活は何事もなく終了し、晴れないままテスト期間に入った。
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