3-3
お化け屋敷を出た僕らは、とにかく疲れていた。
遊園地のベンチに座っている三梨は、自身の胸を押さえながら息を整えている。あんなに悲鳴を上げたんだ、精神的にも体力的にも疲れているに違いない。
近くの自販機で飲み物を二人分買い、三梨の隣に座る。
「コーラとコーヒー、どっちがいい?」
「えっ……?」
怪訝な表情を浮かべる三梨。何か変な事でも言ったか?
「こっ、コーヒーでお願い」
三梨に缶コーヒーを渡すと、彼女は不思議そうに缶コーヒーを観察し始めた。
えっ、どした? もしかして自販機で買った飲み物は飲めないとか、そんな特殊設定が合ったりする感じ? 缶ではなく、ペットボトルだったら飲めたとか?
「いくらだったかしら?」
鞄から財布を取り出す三梨。彼女は、缶コーヒー代を僕に払おうとしているようだ。奢りのつもりで渡したのに、真面目かよ。
「いらん」
首を振って、断る。
「いえ、ダメよ。ちゃんと返す必要があるわ」
律儀か! お金をもらうのも気分的に嫌なので、冗談でも言って逸らそう。
「二百万」
「えっ?」
「そのコーヒー、二百万した。返すなら二百万からな」
自分で言っておいて、何を言っているのか分からなかった。
三梨は立ち上がって、自販機まで歩いていく。
「嘘、百円じゃない」
「二百万からじゃないと受け取らない」
「なら、コーヒーを返すわ」
三梨は缶コーヒーを僕に突き出す。
何この状況。頑なに拒みすぎだろ。お化け屋敷の時、三梨の事を少し垣間見た気がしたが、そうでもないみたいですね。
「こっ、コーヒー飲めません。なので、飲んでください」
「なら、どうしてコーヒーを買ったのかしら?」
「コーラを買おうとしたら、間違えて押しちゃいました。ほら、コーラとコーヒーって名前が似ているだろ? このまま捨てるのはもったいないので、是非飲んでください」
勿論、嘘である。コーヒーも飲めれば、押し間違いだってしてない。自分で言っておいてなんだが、コーラとコーヒーを押し間違えるわけがない。
もう意地だ。絶対にコーヒーもお金も受け取らない。絶対に奢ってやる。
「なら、お金を払うわ」
「二百万な」
「冗談はよしなさい。貴方、今お金ないのでしょ?」
「あまり舐めないでもらいたい。後、英世一匹はいますけど」
「ほとんどないじゃない」
「分かった、分かった。なら、また今度出かけた時にジュースを奢ってくれ」
「……分かったわ」
不服そうだったが、三梨は納得してくれた。まさかここまで三梨が譲らないとは。
彼女の事だ、今結んだ約束は絶対に忘れないだろう。
「あり、がと。いただき、ます……」
小さなお礼が耳に入ってきた。隣を見ると、彼女は上品に缶コーヒーに口をつけていた。
お礼を言われる機会なんて滅多になかったからか、少し動揺してしまった。
変な言葉を聞いてしまったな。鈍感系主人公なら、聞こえなかっただろうに。
気を紛らわすために、缶コーラを豪快に口の中へ放り込む。
「お前達‼ 何ゆったりしているんだ‼」
コーラを飲んでいると、明後日の方向から鵜乃乃が走ってきた。
その横に苦しそうに体をふらつかせている梓間の姿が。足を引きずった赤い竜の如く、今にも死にそうな顔をしていた。結構、振り回されたみたいだな。
「……たすけて、ください」
「大丈夫かしら? ここに座って休憩なさい」
三梨は立ち上がって、梓間に席を譲る。
「ありがとう、ございます……」
今にも昇天しそうな笑顔だった。
「僕に優しいのは、三梨先輩だけです……」
「何を言っている? 僕も優しいではないか?」
「それはない‼ 部長はいつだってぞんざいに扱っているじゃあないか‼」
「鵜乃乃にだけは言われたくない。こうなったのは、お前が原因だろうが」
まあ、振り回せと命令したのは僕ですが。勿論、可哀そうだとは思わないですよ。僕の財布を英世一匹にした梓間の事を、後一か月は恨もうと思っていますから。
でも、確かに酷い扱いだったのかもしれない。今コーラ一気飲みさせたら、キラキラルートは確定しているくらいには苦しそうな顔しているし。ちょっとだけ優しくしてやるか。
自販機でコーラを二本購入して、鵜乃乃と梓間に渡した。
「軍曹‼ ええのか⁉」
「ああ、構わない」
「後でお金返せと言っても返さないぞ‼ では、いただく‼」
鵜乃乃はベンチに座って、コーラをゴクゴク飲み始める。
「ぶちょう……もらってもいいんですか……?」
「先輩なんだ。たまにはカッコつけさせろよな」
「ぶちょう……一生ついていきます……!」
感動のあまり涙を流し始める梓間。ちょろすぎだろ?
「優しいのね」
「当たり前だろ。一応、大切な部員だからな」
「大切、ね……」
鵜乃乃も梓間も、僕にとっては大切な仲間だ。こいつらがいるから自分らしくいられる。
勿論、三梨だって同じ。今こうして楽しめるのは、彼女がいるからだ。
今が一番楽しいと言えば、きっと笑われてしまうだろう。遊園地に仲間といられるだけで満たされる幸せなんかが最高と謳えば、小さい幸せの器だと嘲笑われそうだ。それでも構わない。誰かの言葉に興味ない。笑いたければ笑えばいいだけの話だ。
「梓間が楽になったら、今度はみんなで回るか」
「許可する‼」
「鵜乃乃先輩と二人っきりは身が持たないので、是非ともお願いします!」
元気よく返事する鵜乃乃とは一方、梓間は全力で懇願する。よっぽど地獄だったんだな。
二人の了承は得た。後は、三梨。大切そうに缶コーヒーを持っている彼女の方を見る。
「ちょっと計画とは違った遊園地プランになりそうだが」
「構わないわ」
「即答だな」
こんな簡単に許可が下りるとは思わなかった。修学旅行に行ったら絶対にプラン通り行動する融通の利かない奴だから、愛を学ぶために遊園地に来ているのに遊びなんて言語道断だわ、とか言って来るんじゃないかって勝手に想像していたわ。
今日の三梨は、いつもと違う。
「今は、なんだか楽しみたい気分なの」
彼女は口元を緩める。僕には、それが笑っているように見えた。お化け屋敷で鵜乃乃の話をした時と同じ声音。もしかして、あの時もこんな顔をしていたのだろうか。
不思議な気持ちだ。モヤモヤしたような、変な気持ちだ。
気分を一転させるために、残りのコーラを一気飲みした。
「行儀が悪いわ」
ため息を吐きながら注意を施す三梨。
真面目な部分は変わらない。それが、彼女のいい所なのかもしれない。
自分らしくいてくれたら、嬉しい。何も気を遣わないでほしいとまで思っているから。
梓間が体調を整え次第、行動に移ろう。
「あっ、彼女からメールが来ました。大丈夫? 心配してくれるなんて優しいですね」
梓間は颯爽と復活し、自慢げにスマホの画面を見せびらかしてきた。視界に入っているのは、梓間と彼女とのツーショットで構成された背景画と、イチャイチャ感満載の会話。
「鵜乃乃、今すぐこいつにコーラを一気飲みさせろ!」
「任せろ‼」
鵜乃乃は頷くと、手に持っていたコーラを僕に渡す。そして、梓間が飲んでいるコーラを一気飲みさせるために、強引に缶コーラを梓間の口に放り込んだ。
自分らしくていい。ただし梓間、てめぇはダメだ。
飲み干した瞬間、梓間は走るようにどこかに走っていった。きっとトイレだろう。
「鵜乃乃二等兵。奴を尾行しなさい」
「任せろ‼」
鵜乃乃は缶コーラを一気に飲み干し、梓間を追った。
「貴方達、残酷ね……」
三梨は若干、引いていた。こいつは梓間の犯した罪を知らないから、そんな偉そうな事が言えるんだ。特にヤバい事をしたわけじゃないけど。
「あまり梓間君の事を困らせちゃダメよ」
「流石に手加減しているさ」
殺さない程度だけど。
鵜乃乃が投げ捨てた缶を拾って、自販機横のゴミ箱へと捨てる。
「行くぞ、三梨。ボーっとしていると梓間のキラキラシーンを逃してしまうぞ」
「吐しゃ物の話をしないでもらえるかしら」
「いいじゃあないか。あいつの苦しむ姿を見ると、スーパー元気になれるぞ?」
「さっきまでの貴方の言葉が、まるで嘘のように思えてきたのだけど。でも——」
三梨はゆっくりと立ち上がって、天に向かって手を伸ばす。
「確かに時間が惜しいわ」
三梨は微笑んだ。それは今まで見た笑顔の中で、最も気持ちのいい笑顔。遊園地に入る前に見せていた辛気臭い顔なんて忘れてしまうくらいに、可愛らしい微笑みだった。
もし三梨を嫌っている生徒に今の彼女を見せれば、見方が変わるかもしれない。そうなれば、三梨の生活は大きく変化し、毎日のように笑顔を見せてくれるようになるだろう。
彼女の笑顔を見て、抱いていた疑問を思い出す。
どうして三梨は恋を知りたがっているのだろうか。
隣を歩く三梨に質問を飛ばす。
「三梨は好きな人でもいるのか?」
「急ね。勿論、いないわ」
当然の答えだった。当たり前か、愛も恋も知らないのだし。知らないから知ろうと努力しているのに、好きな人がいたら本末転倒だ。分かっていた事なのに、どうしてこんな変な質問をしたのだろうか。らしくないな。
訊くならば、そうだな。
「三梨はどうして恋を知ろ——」
「部長‼ 大変です‼」
どこからか現れた鵜乃乃に遮るように後ろから肩を叩かれた。すっごくうるさい。おかげで、すっごく吃驚してしまったじゃあないか。
「部室の扉を開ける時と、誰かに話しかける時は落ち着きなさいって、いつも言っているでしょうが! 何回、言わせるんですか!」
「さーせん‼」
「全く、次からは気をつけなさいよね! プンプン! で、どした?」
「大変です‼ 奴がトイレから出てこないのです‼」
「何、奴がか?」
鵜乃乃は頭をクルクルと回し始める。紛らわしいが、意味としては頷きだな。鵜乃乃検定三級を持っているから、多少の翻訳はできる。大半は意味不明だけど。最初から頷けば良くねって思うかもしれないが、それは野暮ってもんだ。
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