1-4
*
土曜日、晴れ。僕の心は曇りのち雨、虹が出る傾向はない。
恋愛アニメ研究部は土日を休みとしているので、今日の部活は休み。
では、どうして昼間の学校に足を運んだのか。
「失礼します。反省文を提出しに来ました」
一言添えて、職員室へと入っていく。勿論、覇気のない声で。
そう、僕は真面目にも反省文を書いてきたのだ。来週のゴールデンウィークまでにタペストリーを返してもらわないと、精神的にくたばってしまう。だから早めに行動を起こした。
暖房が効いているおかげか、職員室は暖かかった。これが教師の特権か。
休日だからか、教師の姿は見えない。
否、一人だけいました。
ノートパソコンのキーボードを枕に眠っている女性教師が一人。頬は赤く染まっており、口からは涎が垂れている。机に置かれた缶からは、アルコールの匂いが漂っていた。
このだらしなさ、教師としてどうなん? いや、まず大人としてどうなん? たるみすぎじゃあ、ありゃせんか? てか、なんで中学の歴史の教科書が置いてあんの?
絡まれるのも面倒なので、反省文を缶ビールの横に置いて去ろう。
「由紀、私は常々思う。どうして人間は争うのか?」
手を突然、掴まれた。
「僕も常々思います。どうして貝塚(かいづか)先生は勤務中に酒を飲んでいるのかと」
ゆっくりと顔を上げる貝塚先生。どうやら起きていたようです。ボサボサの長い髪に、生気を感じられない死んだ魚のような目。そして口から漂ってくる酒の匂い。
絡まれたくないので、強引に手を振り払って職員室から出ていく。後ろから僕を呼ぶ声が聞こえたが、何もなかったと言い聞かせて無視。貝塚先生、貴方の出る幕はない。さらばだ。
「反省文は提出した。後は、三梨のところに行って、タペストリーを回収すれば……」
三梨を探しに校内を歩き回る。普段、運動するようなキャラじゃないので、これだけでも疲れる。外から聞こえてくる運動部の声を聞くと、自分の体力のなさを思い知らされる。去年まで家でゴロゴロしていたからなぁ、そりゃあ動けません、と言い訳しておく。
にしても、
「どこにもいないじゃないか!」
静かな廊下にて、僕の声が反響する。
つい叫んでしまった。弱い犬ほどよく吠えるとは、この事だ。
どうしてこんなに探しているのに、姿が見えない? もしかして休日は学校に来てないのか? 風紀委員長の名を聞いて呆れる。休日も来るからこそ、風紀委員長だろうが!
畜生。早く返してもらうために、来たくもない休日の学校に来たのに。本当なら今この時間、家でゴロゴロしながらアニメを視聴していたというのに。
許すまじ、三梨。闇の炎に抱かれて消えてしまえ。
「……今日は諦めよう」
文句や悪口を並べても仕方ない。また三梨に会った時にでも返してもらえばいい。
せっかく時間を消費してまで学校に来たので(結構、根に持っている)、部室でアニメを観て帰ろう。という事で、恋愛アニメ研究部の部室へと足を運ぶ。
そして部室の鍵を開け——ふぇっ? ドアノブの前で手が止まる。
「どうして、部室が、開いている?」
手と声が震えた。これは、どういう状況だ?
扉に耳を当てると、中から人の声が聞こえてくる。間違いなく、この中に誰かいるようだ。
誰かいるって、誰だ?
鵜乃乃か? いや、休日は決まって遊園地に行っているので、違う。
梓間か? 違う、あいつは休日にまで学校に来るような奴じゃない。今頃、彼女とデートしているに決まっている。
顧問の貝塚先生は、さっき職員室でビール飲んで寝ていたし違うだろう。
あれ? みんな休日エンジョイしてね? 対して、学校に登校している僕って……
これ以上、考えるのはタブーだ。自分の士気を下げるだけで、何も生まれない。
それよりも今は、目の前に控えている問題を解決する方が先決だ。
覗いてみると、テレビが光を反射していた。誰かが勝手に何かを観ているようだ。
だんだんと事件の謎が解けてきたな。なんかシャーロックホームズにでもなっている気分だ。ところで、ワトソンくんはどこに? 今日は僕の事を観察しなくてもいいのかい?
まあ、いい。今、解かなければならない謎は、誰がこの部屋にいるのかだ。
……ダメだ。友人のボキャブラリーが圧倒的に少なすぎて、思い当たる節がない。
考えても仕方ない。もう突っ込もう。
一度、頬を叩いて覚悟を決める。知らない人だった時の事を想定しつつ、中へ。
「……っ」
椅子に座っている何者かは突然の物音に驚いたのか、ピクッと体を揺らした。
やっぱり誰かいた。呆気に取られたているのか、口を僅かに開いている。清潔で長い黒髪に凛々しい眉毛。そして、きっちりと着こなされている制服。
「ふぇっ?」
間抜けな声が漏れた。
あれぇ? おら、こいつ知っているぞ。
どこからどう見ても、三梨楓花。もう一度言っておこう、三梨楓花だった。
これは幻。頬を何度も何度もビンタするが滅茶苦茶、痛いだけで景色は一向に変わらない。
まさかの現実だった。一応、もう一回、頬を叩いたが、やっぱり幻ではない。
信じられない。あの真面目堅物委員長が恋愛アニメ研究部に居座っているなんて。
「斎藤、君?」
三梨は瞼をパチパチさせている。
明らかに動揺していた。ここまで感情を露わにする彼女は初めてだ。
なんか気まずっ。こういう時、なんて言えば良かったっけ?
……あっ、思い出した。
「タペストリー返せぇぇぇぇ!」
叫んだ。弱い犬の如く、強く叫んだ。
「えっ?」
「反省文は提出した。さあ、渡しなさい! 渡せば、悪いようにはしない!」
三梨の前に立ち、彼女に手を伸ばす。
ん、ちょっと待て、
「どうして三梨が、ここに?」
「貴方の思考回路はどうなっているのかしら」
仄かにため息を溢す三梨。
三梨に会ったらタペストリーを返してもらうと、頭の中に呪いの如く刻んでいたせいで、状況の把握に遅れてしまった。全く、やれやれだぜ。
「それで、どうしてここに?」
「切り替えが早いわね。でも、見られたのなら仕方ないわね」
「なに僕の事、殺すの?」
「どうしてそうなるのかしら。私を野蛮な人みたいに言わないで」
三梨はいつもの冷たい風紀委員長に戻っていた。
いや、一つだけ違った。
少しだけ言葉に揺らぎが見える。そして若干、目が泳いでいる。
どうしてそんな事が分かるのかって? 普段から人間観察をしているので、表情の変化には敏感だからです。これでは鈍感系主人公にはなれませんね。
「それで、どうして私がここにいるのかの理由よね」
「教えてくれるのか? 口の軽い奴だな」
「別に隠す必要がないと判断したからよ」
「では、三十五文字以内に収めてください」
「貝塚先生が、恋愛アニメ研究部に行けってうるさいからよ」
「ジャスト三十五文字、流石は学年トップ! って! 今、観ているのは、まさか⁉」
テレビに映っているのは『恋日』だった。
「第五話って、青山が赤城の事を意識し始めるとこじゃん! でも、まだ昔、結んだ約束は思い出せてない。このシーンのエモさはそこなんだよな~! 青山は今の赤城の事が気になる。昔ではなく、今の赤城に想いを寄せる。その想いを赤城は勘違いして、昔の事を思い出してくれたのかって喜んじゃう部分も深い。そして、切ない。この赤城と青山のかみ合わない恋愛模様がこれまた綺麗で、見ているこっちまでもどかしくなってしまう。ああ、第五話だっていうのに、なんという話の深さ。これ最終回を見た後に見ると、本当に泣けるんよね。早く三梨にも見てもらいたい。ちなみに次の回はな、放送室……」
ポカーンとした三梨の顔を見て、我に返った。
嬉しさのあまりオタク特有の早口が炸裂してしまった。少しネタバレもしてしまったような気もしなくはないが、まあ……許せ。
一度、咳払いをして、話を変える。
「アニメ好きだったのか?」
「急に人が変わったわね。……アニメを観るのは昨日が初めてよ」
「ようこそ、こちら側の世界へ」
「興味を持ったわけじゃないわ。ただ、この作品が違和感ばかりだったから気になっただけ」
机にはメモ帳が置かれていた。
そこには黒い文字で細かく『恋日』の気になるポイントがまとめられていた。
どうして赤城は青山の傍に居ると、性格が変わってしまうのか。
どうして赤城は怪我を負ったわけでもないのに、涙を流しているのか。
綺麗に綴られた文字。それは、分からない部分を理解しようとしているように見えた。
「これは、これは、勤勉でして。もしかして恋とかしたいお年頃でした?」
「そんなつもりじゃないわ。ただ知らない事だから、メモにまとめているだけよ」
三梨は淡々と答える。
興味ない事でも、こんなに緻密にメモするとは流石、優等生。
頑張っている姿には惹かれる部分がある。
「ちょっと借りるぞ」
メモ帳を手に取って、一通り速読する。
「これくらいなら、教えられそうだ」
「えっ……?」
不思議そうに僕を見る三梨。
「教えてくれるの、かしら?」
「ああ、教えてやる。これでも恋愛マスターだからな」
自分の胸を叩いて、笑って答えた。
三梨楓花は融通が利かなくて、愛想も悪い。
ただ、こんな真面目でひたむきな姿を見せられたら、放っておけるわけがない。
「いいか、これはな……」
椅子に腰かけて、彼女に説明を開始する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます