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     *


 土曜日、晴れ。僕の心は曇りのち雨、虹が出る傾向はない。


 恋愛アニメ研究部は土日を休みとしているので、今日の部活は休み。


 では、どうして昼間の学校に足を運んだのか。


「失礼します。反省文を提出しに来ました」


 一言添えて、職員室へと入っていく。勿論、覇気のない声で。


 そう、僕は真面目にも反省文を書いてきたのだ。来週のゴールデンウィークまでにタペストリーを返してもらわないと、精神的にくたばってしまう。だから早めに行動を起こした。


 暖房が効いているおかげか、職員室は暖かかった。これが教師の特権か。


 休日だからか、教師の姿は見えない。


 否、一人だけいました。


 ノートパソコンのキーボードを枕に眠っている女性教師が一人。頬は赤く染まっており、口からは涎が垂れている。机に置かれた缶からは、アルコールの匂いが漂っていた。


 このだらしなさ、教師としてどうなん? いや、まず大人としてどうなん? たるみすぎじゃあ、ありゃせんか? てか、なんで中学の歴史の教科書が置いてあんの?


 絡まれるのも面倒なので、反省文を缶ビールの横に置いて去ろう。


「由紀、私は常々思う。どうして人間は争うのか?」


 手を突然、掴まれた。


「僕も常々思います。どうして貝塚(かいづか)先生は勤務中に酒を飲んでいるのかと」


 ゆっくりと顔を上げる貝塚先生。どうやら起きていたようです。ボサボサの長い髪に、生気を感じられない死んだ魚のような目。そして口から漂ってくる酒の匂い。


 絡まれたくないので、強引に手を振り払って職員室から出ていく。後ろから僕を呼ぶ声が聞こえたが、何もなかったと言い聞かせて無視。貝塚先生、貴方の出る幕はない。さらばだ。


「反省文は提出した。後は、三梨のところに行って、タペストリーを回収すれば……」


 三梨を探しに校内を歩き回る。普段、運動するようなキャラじゃないので、これだけでも疲れる。外から聞こえてくる運動部の声を聞くと、自分の体力のなさを思い知らされる。去年まで家でゴロゴロしていたからなぁ、そりゃあ動けません、と言い訳しておく。


 にしても、


「どこにもいないじゃないか!」


 静かな廊下にて、僕の声が反響する。


 つい叫んでしまった。弱い犬ほどよく吠えるとは、この事だ。


 どうしてこんなに探しているのに、姿が見えない? もしかして休日は学校に来てないのか? 風紀委員長の名を聞いて呆れる。休日も来るからこそ、風紀委員長だろうが!


 畜生。早く返してもらうために、来たくもない休日の学校に来たのに。本当なら今この時間、家でゴロゴロしながらアニメを視聴していたというのに。


 許すまじ、三梨。闇の炎に抱かれて消えてしまえ。


「……今日は諦めよう」


 文句や悪口を並べても仕方ない。また三梨に会った時にでも返してもらえばいい。

 せっかく時間を消費してまで学校に来たので(結構、根に持っている)、部室でアニメを観て帰ろう。という事で、恋愛アニメ研究部の部室へと足を運ぶ。


 そして部室の鍵を開け——ふぇっ? ドアノブの前で手が止まる。


「どうして、部室が、開いている?」


 手と声が震えた。これは、どういう状況だ?


 扉に耳を当てると、中から人の声が聞こえてくる。間違いなく、この中に誰かいるようだ。


 誰かいるって、誰だ?


 鵜乃乃か? いや、休日は決まって遊園地に行っているので、違う。


 梓間か? 違う、あいつは休日にまで学校に来るような奴じゃない。今頃、彼女とデートしているに決まっている。


 顧問の貝塚先生は、さっき職員室でビール飲んで寝ていたし違うだろう。


 あれ? みんな休日エンジョイしてね? 対して、学校に登校している僕って……


 これ以上、考えるのはタブーだ。自分の士気を下げるだけで、何も生まれない。


 それよりも今は、目の前に控えている問題を解決する方が先決だ。


 覗いてみると、テレビが光を反射していた。誰かが勝手に何かを観ているようだ。

 だんだんと事件の謎が解けてきたな。なんかシャーロックホームズにでもなっている気分だ。ところで、ワトソンくんはどこに? 今日は僕の事を観察しなくてもいいのかい?


 まあ、いい。今、解かなければならない謎は、誰がこの部屋にいるのかだ。


 ……ダメだ。友人のボキャブラリーが圧倒的に少なすぎて、思い当たる節がない。


 考えても仕方ない。もう突っ込もう。


 一度、頬を叩いて覚悟を決める。知らない人だった時の事を想定しつつ、中へ。


「……っ」


 椅子に座っている何者かは突然の物音に驚いたのか、ピクッと体を揺らした。


 やっぱり誰かいた。呆気に取られたているのか、口を僅かに開いている。清潔で長い黒髪に凛々しい眉毛。そして、きっちりと着こなされている制服。


「ふぇっ?」


 間抜けな声が漏れた。


 あれぇ? おら、こいつ知っているぞ。


 どこからどう見ても、三梨楓花。もう一度言っておこう、三梨楓花だった。

 これは幻。頬を何度も何度もビンタするが滅茶苦茶、痛いだけで景色は一向に変わらない。


 まさかの現実だった。一応、もう一回、頬を叩いたが、やっぱり幻ではない。


 信じられない。あの真面目堅物委員長が恋愛アニメ研究部に居座っているなんて。


「斎藤、君?」


 三梨は瞼をパチパチさせている。


 明らかに動揺していた。ここまで感情を露わにする彼女は初めてだ。

 

 なんか気まずっ。こういう時、なんて言えば良かったっけ?

 

 ……あっ、思い出した。


「タペストリー返せぇぇぇぇ!」


 叫んだ。弱い犬の如く、強く叫んだ。


「えっ?」


「反省文は提出した。さあ、渡しなさい! 渡せば、悪いようにはしない!」


 三梨の前に立ち、彼女に手を伸ばす。


 ん、ちょっと待て、


「どうして三梨が、ここに?」


「貴方の思考回路はどうなっているのかしら」


 仄かにため息を溢す三梨。


 三梨に会ったらタペストリーを返してもらうと、頭の中に呪いの如く刻んでいたせいで、状況の把握に遅れてしまった。全く、やれやれだぜ。


「それで、どうしてここに?」


「切り替えが早いわね。でも、見られたのなら仕方ないわね」


「なに僕の事、殺すの?」


「どうしてそうなるのかしら。私を野蛮な人みたいに言わないで」


 三梨はいつもの冷たい風紀委員長に戻っていた。


 いや、一つだけ違った。


 少しだけ言葉に揺らぎが見える。そして若干、目が泳いでいる。


 どうしてそんな事が分かるのかって? 普段から人間観察をしているので、表情の変化には敏感だからです。これでは鈍感系主人公にはなれませんね。


「それで、どうして私がここにいるのかの理由よね」


「教えてくれるのか? 口の軽い奴だな」


「別に隠す必要がないと判断したからよ」


「では、三十五文字以内に収めてください」


「貝塚先生が、恋愛アニメ研究部に行けってうるさいからよ」


「ジャスト三十五文字、流石は学年トップ! って! 今、観ているのは、まさか⁉」


 テレビに映っているのは『恋日』だった。


「第五話って、青山が赤城の事を意識し始めるとこじゃん! でも、まだ昔、結んだ約束は思い出せてない。このシーンのエモさはそこなんだよな~! 青山は今の赤城の事が気になる。昔ではなく、今の赤城に想いを寄せる。その想いを赤城は勘違いして、昔の事を思い出してくれたのかって喜んじゃう部分も深い。そして、切ない。この赤城と青山のかみ合わない恋愛模様がこれまた綺麗で、見ているこっちまでもどかしくなってしまう。ああ、第五話だっていうのに、なんという話の深さ。これ最終回を見た後に見ると、本当に泣けるんよね。早く三梨にも見てもらいたい。ちなみに次の回はな、放送室……」


 ポカーンとした三梨の顔を見て、我に返った。


 嬉しさのあまりオタク特有の早口が炸裂してしまった。少しネタバレもしてしまったような気もしなくはないが、まあ……許せ。


 一度、咳払いをして、話を変える。


「アニメ好きだったのか?」


「急に人が変わったわね。……アニメを観るのは昨日が初めてよ」


「ようこそ、こちら側の世界へ」


「興味を持ったわけじゃないわ。ただ、この作品が違和感ばかりだったから気になっただけ」


 机にはメモ帳が置かれていた。


 そこには黒い文字で細かく『恋日』の気になるポイントがまとめられていた。


 どうして赤城は青山の傍に居ると、性格が変わってしまうのか。


 どうして赤城は怪我を負ったわけでもないのに、涙を流しているのか。


 綺麗に綴られた文字。それは、分からない部分を理解しようとしているように見えた。


「これは、これは、勤勉でして。もしかして恋とかしたいお年頃でした?」


「そんなつもりじゃないわ。ただ知らない事だから、メモにまとめているだけよ」


 三梨は淡々と答える。


 興味ない事でも、こんなに緻密にメモするとは流石、優等生。


 頑張っている姿には惹かれる部分がある。


「ちょっと借りるぞ」


 メモ帳を手に取って、一通り速読する。


「これくらいなら、教えられそうだ」


「えっ……?」


 不思議そうに僕を見る三梨。


「教えてくれるの、かしら?」


「ああ、教えてやる。これでも恋愛マスターだからな」


 自分の胸を叩いて、笑って答えた。


 三梨楓花は融通が利かなくて、愛想も悪い。


 ただ、こんな真面目でひたむきな姿を見せられたら、放っておけるわけがない。


「いいか、これはな……」


 椅子に腰かけて、彼女に説明を開始する。

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