高木の思惑

「――な、何を言っているの? 高木さん! あの時、今の神木様は『先代の宮司の命と引き換えに生きている』って言っていましたよね?」



 瑠奈が怒鳴るように高木に言葉を投げかけると、高木はばつが悪そうな顔をする。


 しかし、高木の答えを待つことなく、森本は話を続けていく。



「『こっち側』の人間でもなく、宮司でもない人間が犠牲になった。それも、その二人のせいでだ。そんなことが世間に知られちゃ、今後の世界の秩序が乱れていく――そう考えたんだろうな。宮司が残した古書にこのことが記されていないのは、この世界を守るため。それが一番丸く収まると思ったんだろう。つまり二人は――事実に蓋をすることにしたんだ」


「歴史上から消そうとしたってこと? そんなこと、許されるの……」



 千歳は身体を震わせながら、情に訴えるように言ったが、森本は微塵も表情を崩さない。



「ただ、神木様に寿命がある以上、真実として残す必要もあった。その真実の一部が、俺が見た備忘録ってことになる。つまり、古書は二つでようやく一つの役割を果たすんだ。これは俺の想像だが、わざわざ二つにわけて残したのは一種のカモフラージュ……現にお前らも、古書は一冊だけだと思っていただろう? 俺ら『こっち側』の人間と宮司同士が会わないようにしていれば、事実が世の中に露見することはない。真相は何層にも守られていたんだ」


「守るって……、それは『そっち』の都合じゃない」



 瑠奈の言葉は間違いなく森本の耳にも届いたはずだが、森本が反応することはなかった。



「そうだ! 雨の種は? あの種は神木様に選ばれているわけじゃないんですか?」



 声を荒げた大介の問いかけに、静観していた高木が口を開く。



「神木様に選ばれているはずだ。ただね……、私の持っている古書によれば、前回は三人の前に現れたんだそうだ」


「三人が一緒にいる時に、たまたまってことですか?」


「それが偶然か、あるいは必然なのかはわからないがね。ちょうどこの部屋の辺りで、三人は雨の種を手にしている」



 高木はそう言ったが、瑠奈が少し首を傾げて尋ねた。



「仮に三人一緒にいる時に現れたとしても、熱の葉自体は一枚だったんですよね? それなら今回みたいに、その葉っぱを触った人の前に現れるものじゃないんですか?」


「そうなんだが……、『先代の宮司がその葉を持ち帰った』という話をしたのを覚えているかい? 実はその時、物珍しさから『お守り』にするかのように、三人がそれぞれ葉を千切って持って帰っていたんだ。詳しい明記はなかったが、恐らくそれが理由で、三人一緒にいる際に雨の種が現れたのではないかと、私は考えている」


「そうなるまでが偶然だったのかどうかは、神木様にしかわからないけどな」



 森本が一言付け加えたが、問題は偶然か必然ではなく、ということだと、洸太郎は思った。



「どういう経緯であれ、今の神木様が洸太郎のご先祖様っていうことは、事実なんですよね?」



 千歳が高木に向けて言葉を放つと、高木はゆっくり頷いた。


 千歳だけでなく、瑠奈と大介も目に見えて顔が青ざめていく。


 そして、三人の視線は洸太郎へと向けられる。


 洸太郎の言葉を待っているのは明白だったが、口を開いたのは洸太郎ではなく、またしても森本だった。



「洸太郎くん……。君はもう、んだろ?」



 森本の言葉に、高木を除く全員の視線が、瞬時に洸太郎へと集まる。


 何を言われても可笑しくない状況であるにもかかわらず、誰一人として、口を開くことはない。


 この耐え難い沈黙に、洸太郎が話し出そうと息を吸った時、森本が空気をガラリと変えた。



「それで、何でそんなことをしたんです――高木さん?」



 狭く静かな空間に、それぞれの視線だけが迷子のように、出口を探して彷徨っている。


 高木は森本から掛け軸へ、そっと首を動かした。


 そして目を閉じ、大きく息を吐き出してから言った。



「巡り合わせだよ。十二年前、君のお父さんに会った時、洸太郎くんの戸籍、家系図を見させて貰っていてね。まさかこんなことが起きるなんて、思いもしなかったよ」


「やっぱり、あの時に知ったんですね」


「十二年前って……、何の話をしているんです?」



 距離感を無視する大介の大きな声が、二人の会話を遮る。



「幼稚園の時……僕が熱の葉を手にした、あの日だよ。あの葉っぱはね、だったんだ」



 洸太郎の発言が、よどんだ空気に重みを追加した。



「高木さんが千切った? それを洸太郎に? そもそも何で洸太郎がそんなこと知って……意味がわかんねぇって……」



 大介は首を左右に振りながら、絞り出すような声で呟く。さらにそこへ、瑠奈が感情を乗せた言葉を高木へと向かわせる。



「どうして高木さんは熱の葉を千切って、洸太郎に渡したりなんかしたの? こうなるように仕向けたかったってこと?」


「そうだ。洸太郎くんの前に雨の種が現れるようにする必要があった。木船家との過去を……いや、洸太郎くんのご先祖との繋がりを、清算するためにね」



 高木の表情からは、一切の笑みが消えていた。



「ただ私も、最初からそう仕向けようとしていたわけじゃない。何せ熱の葉がいつ、どのタイミングで現れるかなど、知りようがないからね。だから驚いたよ。まさかあの日、『木船』の姓を名乗る子どもが、熱の葉に触れて笑っていたんだから。これは巡り合わせ以外の何物でもないと思った。ただね……私も少し迂闊だった」



 高木は片手で顔を拭うと、目を細めた。



「枝に残っていた熱の葉はあの日、洸太郎くんたちが帰った後、私が持っておくつもりだったんだ。それなのに、洸太郎くんたちを見送ってから戻って見ると、既に散っているじゃないか。まさかこんなにも短期間に散るとは考えてもいなかったよ。流石に諦め半分、祈ることしか出来なかったね」


「祈る……?」



 瑠奈は眉根に皺を寄せ、問いかける。



「あの葉の熱を感じるのは神木様に選ばれた者。そう簡単に現れるものではない。恐らく、洸太郎くんが持ち帰った葉に触っても、誰も熱を感じなかったんじゃないか? だから私は、熱を感じるのは洸太郎くんと私だけであるよう祈ったんだ。残念ながら……私の祈りは届かなかったがね」


「それが私……」



 高木は返事もせず続けた。



「神木様は見ておられるのかね……。幸運にもこうやって、雨の種は洸太郎くんの前に現れた。神木様も、過去の清算を望んでいるんだよ」



 高木の言葉に同調するかのように、神木様の上空を迸る稲妻の音は、段々と遠くなっていた。

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