月の出る夜

大人の情報戦

 テレビに映し出される映像は時間を追うごとに、大地震の残した傷痕の深さを物語っていく。


 洸太郎は目を背けたくなるような光景を確認しながら、店の床に散乱した食器類を片付けていた。


 瑠奈が出て行ってすぐ、高木へも地震による影響はなかったかと連絡をしたが、神木様の近くで大きな被害は出ていないとの事だった。


 そのことを洸太郎が森本に伝えると、神妙な面持ちで森本は言う。



「もしかすると、神木様の近くが唯一の安全地帯になるのかもしれないな……。神木様の力でこの現象が起こっているのだとしたら、わざわざ自分にまで被害が及ぶようなことはしないだろう」



 しかし、森本はすぐに自分の意見を考え直すかのように「待てよ」と言い、口に手を当てる。



「いや、一か所に集まることで、逆に被害を大きくする可能性もある……か。そうと考えると、やはり公表するにはリスクがあるな……」



 難しい表情を浮かべる森本は、その場に立ちすくんだまま、また顎の髭を擦りながら考え始めた。


 その後はお互いに口を開くこともなく、沈黙の時間を共有した。


 無情にも、静寂の中であろうと時間だけは正確に進んでいく。



 瑠奈が『カフェ忠』を出て行ってから、既に一時間が経過していた――。




「瑠奈ちゃん、大丈夫かな。あれから大きな余震とかは来てないけど、何の連絡も来てないし……」



 テレビを見ていた千歳が、心配そうに言った。



「大丈夫って信じるしかねーよ。瑠奈だって、この状況を理解した上で飛び出して行ったんだ。よっぽど大切なことだったんだろうし」



 大介は苛立ちを隠せない表情をしていたが、一定の理解は示しているようだった。


 当然、洸太郎も心配はしていた。ただ、それと同等に、この状況であっても確認しに行くことを選択する程の、瑠奈の「大切なもの」の存在が気になっていた。



 しかし、それが一体何なのかは、瑠奈が無事でなければ、知る由もなかったのだった――。



「ところで森本さん。あなたは『月の出る夜』以外にも、神木様の生まれ変わりに必要な情報……というか、条件を知っているんですか?」



 何の脈絡もなく唐突に、大介は森本に聞いた。



「ちょ、大介。それはもっと段階を踏んで――」


「そんな悠長なことを言っている場合じゃないだろ! 日差しに地震。こんなにも立て続けに俺たちは身の危険にさらされているんだぞ? 俺たちだけじゃない、この世界中の全ての人たちがだ。俺らにはもう、呑気に『大人の情報戦』に付き合っている時間なんてないんだ!」



 興奮気味にそう言った大介の目は血走っていた。


 その姿を見て、洸太郎はようやく自分の置かれている状況の深刻さを痛感する。



『瑠奈の帰りを待ってから』



 それすら、許されない。文字通り、『一刻を争う』時が来ていた。


 洸太郎は意を決したように、森本の元へ歩み寄る。



「森本さん、一緒に神木様を生まれ変わらせてほしいなんて言いません。でも、僕たちがこうして神木様の生まれ変わりに関わっていることに、何か意味があると思うんです。いや、意味なんてなかったとしても、これは僕らにしか出来ないことなんです! お願いします。何かご存じなのであれば、教えていただけませんでしょうか……お願いします」



 自分の身体が見える程に、洸太郎は深く頭を下げた。



「「お願いします!」」



 大介と千歳も、言葉を重ねるように言った。


 森本がどのような表情をしているのかはわからなかったが、洸太郎が頭を下げてから、数秒の間が生まれていた。そして、大きく息を吐き出す音が聞こえてから、森本は話し出す。



「あのな。なんかそっちで勝手に話を進めてやがるが、世の中そんなに甘くねーんだ。必死になって頭下げてりゃなんとかなるなんて、そんな都合の良い話があるかよ」



 洸太郎は頭を下げたまま、強く目を瞑る。


 そう言われることはわかっていた。森本の言っていることは正しい。それでも、今はこうするより他はなく「お願いします」と、更に頭を下げた。



「ただ――」



 その短い、たった二文字の接続詞を聞き、洸太郎は頭だけをゆっくりと上げ、視線を森本へと向かわせる。



「切羽詰まっているのは、こっちも同じだ。『大人の情報戦』の延長になって申し訳ないが、条件付きで良ければ教えてやる」


「本当ですか? ありがとうございます!」


「「ありがとうございます!」」


 勢い良く頭を上げ、洸太郎はすぐさままた頭を下げる。


 大介と千歳もそれに続いた。



「あぁ、いちいちうるせーな!」と森本は言ったが、表情は少しだけ緩んでいるように見えた。



「それで、その情報っていうのは……?」



 大介が食い気味に聞く。


 森本はまたしても大きなため息をついて言った。



「こっちの条件も聞かないのか。お前、社会に出たら食われるぞ」



 大介は返事をすることもなく、「早くしろ」と訴えるように、じっと森本を見つめている。


 その様子を見て、森本は大袈裟に後頭部の髪の毛を掻きむしった。



「ったく。俺の知っている条件はあと一つだけだ。といっても、ついさっきまでは半信半疑だったモノだが……。さっき高木のじいさんが『神木様の周りの地面が殆ど乾いた』と言っていたな? だから死期が近いんじゃないかと。それを聞いて、俺も確信が持てた。俺の知る、もう一つの条件は――」



 絵に描いたように、洸太郎は固唾を呑んで森本を見つめる。







 その刹那、本当に時が止まってしまったように洸太郎の身体は固まった。



 ――この人は一体、何を言っているんだ……。



「な、何を言っているんですか? その為に俺らはこうして、神木様を生まれ変わらせようと躍起になっているんじゃないですか! 俺らをバカにするのも、いい加減にしてください! そんな冗談に付き合っている暇なんてないんですよ!」



 大介は洸太郎の心の声を読み取ったように、今までで一番声を荒げ、森本を睨みつけた。


「森本の言うことには何か裏がある」、そう思うよう自分に言い聞かせ、洸太郎も必死に思考を巡らせたが、様々な感情と思考がぶつかり合い、頭はみるみるうちに真っ白になっていった。



「言っただろう? 俺もついさっき、確信が持てたと。このことを知った時、俺だって最初は意味がわからなかったんだ」



 森本も大介に対して、感情的に返した。



「正直、その言葉の本当の意味まではわかっていない。お前の言う通り、その為にこうして動き回っているわけだからな。ただ、高木のじいさんの言葉を裏返せば、神木様が生きる為には少なくとも、神木様の周りの地面には水分がなければならないってことだ。他の植物と同じようにな。『雨を降らせる』ってことが何を指しているのかはわからない……。それでも――」



「これが真相なんだ」



 森本が嘘を言っているようには思えなかった。


 嘘であるならば、こんなにも目を見開き、その目をひと時も逸らすことなく真っすぐ視線を向けたまま、肩で息をするような言い方なんて、きっと出来ない。



 そう思ったからこそ、洸太郎は言葉を失った。

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