大切なモノ
この部屋に沈黙が流れるのは、何回目になるのだろう。
回数を重ねる毎に、空気はまるで身体の自由を奪うように、その重さを増していく。
今回に限っては、唇を動かすことすら出来なかった。
心臓の音がうるさい程に脳内に響き、意識とは無関係に、身体は痙攣したように小刻みに震えている。
――これが不安からなのか、恐怖によって齎されたものなのか。
洸太郎には、それすらもわからなかった。
大介も千歳も、言葉を発することはない。森本でさえ、口を閉ざしたままだった。
しかし、「ここで立ち止まっている時間はない」とでも言うように、突如として『カフェ忠』に新しい風が吹き込んでくる。
空気の入れ替えをするように、洸太郎はようやく、長い金縛りから解放された。
「ごめん……、遅くなっちゃって」
扉の前には息を切らし、肩から鞄を掛けた瑠奈が立っていた。
瑠奈は店に入って来るなり、ただならぬ空気を感じたのか、全員の顔色を窺うように視線を左右に振りながら言った。
「あれ……みんな、どうしたの? もしかして、急に出て行っちゃったこと怒ってる?」
「別に怒っているわけでは――」
洸太郎の言葉を待つことなく、大介が口を挟む。
「怒るに決まってるだろ! こんな時に一人で出て行きやがって……。何か起こったらどうするんだ! ただでさえ、わけわかんねぇ状況になっちまったっていうのによ……」
最初こそ感情的に言い放ったが、大介の声は次第に小さくなり、段々と俯いていった。
瑠奈は首をかしげて大介の顔を覗き込むと、再び全員に視線を送る。
「それは本当にごめんね……。それで……、何かあったの?」
「瑠奈ちゃん、あのね――」
千歳は森本から聞いた話を、感情を殺して淡々と話した。
私情や感情を挟まずに説明できるのは、この中では千歳だけだろう――と洸太郎は思った。
森本も腕を組んだまま、黙って千歳の話を聞いている。
「そっか……。それがもう一つの条件……」
話を全て聞き終え、息を整えるように大きく吐き出した後、瑠奈はスッキリとした表情をして言った。
「でも良かったじゃない。これで一歩前進したのは、間違いないんだから」
「一歩前進? 意味がわからない以上、状況は何も変わっていないだろ?」
大介が瑠奈に噛みついた。口調は荒いものになっていたが、それでも瑠奈は冷静に言い返す。
「うーん、そうかな? 神木様が生まれ変わる為には『雨を降らせる』必要がある。それがわかったんだから、前進で良いじゃない。そもそも、一気に全てがわかるなら、こんなに苦労なんてしていないでしょう?」
瑠奈の言葉に、森本が声を出して笑った。
「ははは、流石だね……。そうだ、その通りだ。捉え方によっちゃ、これも立派な前進だな」
今度は森本の言葉に瑠奈が笑顔を見せ、すぐに真剣な顔で抜け目なく確認する。
「それで? 森本さんからの条件っていうのは一体、何なんですか?」
「そうだったな。俺からの条件――それは、この神木様にまつわる真実、真相を、世界中の人に向けて発信してもらうことだ」
「世界中の人に向けて発信……ですか?」
洸太郎は森本の言葉を、声に出して繰り返す。
「生放送でも、動画でも、その手段は一切問わない。テレビであれば、細かなことは全部俺が手配、調整する。君たちはただ、カメラに向かって真実を世界中に伝えてくれないか? こうやって色々と調べたところで、諸々の立場上、俺にはそれが出来ないからな。力を貸してくれ」
今まで見た中で最も強い森本の眼差しが、洸太郎を捉えていた。
恐らく脇に抱えた大きな茶封筒にも、今まで森本が必死に調べ上げた情報が詰め込まれているのだろう。
その瞳には、森本の信念が映っているようだった。
洸太郎は三人に目配せをすると、すぐに「わかりました。協力します」と返答した。
森本は「恩に着る」と言って、軽く頭を下げた。
心が少しの余裕を取り戻すと、洸太郎の耳にはテレビのニュースの音が届き始める。
画面の中では今なお、次々と明るみに出た大地震の被害状況を伝えていた。
その情報に耳を傾けていた時、洸太郎は思い出したように瑠奈に問いかける。
「そういえば瑠奈。家の中は大丈夫だった?」
「うん。うちは元々物が多いから、それが散乱したって感じだった。物が落ちてたくらいで、その他は特に大きな被害はなかったかな」
瑠奈は笑みを浮かべ、洸太郎は小さく息を吐く。
そして、本題へと話の舵を切った。
「そっか、良かった。それで……さ、こんな時にまで瑠奈が探しに行った『大切なもの』って一体、何だったの?」
瑠奈の表情は瞬時にしてこわばり、肩に掛けていた鞄のショルダーベルトを両手で強く握ると、洸太郎から視線を逸らす。
「もしかして、その鞄の中に入ってる?」
洸太郎の問いかけに、瑠奈の表情は一層の硬さを増す。
瑠奈は視線をゆっくりと洸太郎の元へ戻すと、静かに頷いた。
「ここに持って来ているってことは、神木様に関係しているものなんだね?」
話しづらそうにしている瑠奈を見て、まるで誘導尋問のように、洸太郎は続けていく。
「僕らにも見せてくれる?」
洸太郎の問いかけに、瑠奈は口をつぐんだまま大きく息を吸い、口から勢い良く吐き出した。
「うん……、わかった。そうだよね、みんなに見せるために持って来たんだから――」
瑠奈は明らかな作り笑顔を見せてから、鞄の中に手を伸ばすと、洸太郎の視界に一つの黒く四角い箱が姿を現した。
その箱を自分の胸の高さまで持ってくると、瑠奈は左手で箱の底を、右手で蓋を掴み、ゆっくりと持ち上げる。
中身が見える直前、瑠奈は念を押すように「良い?」と大きな瞳で洸太郎を見た。
洸太郎は無言のままに頷く。
瑠奈がスッと蓋を開けると、その中身が露わになる――。
「ちょっと待って、それって――」
「瑠奈、お前――」
「瑠奈ちゃん、何でそれを――」
「ん? 何だ、こりゃあ――」
森本を除く三人は、それが何なのか、一目でわかった。
「うん……。実は私も持っていたんだ――」
『雨の種』
小さな種が、全員の視線を独占する。
外の風が、中を覗こうとするように窓ガラスを叩いていく。
まるでこの部屋だけが、別の世界になってしまったようだった――。
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