最後の使命

 洸太郎は落とした箸を拾うこともなく立ち上がる。


 忠と麻里の心配そうな視線が刺さったが、洸太郎は反応することなく自室へと向かった。


 自分だけがわかっていると言いたげな表情を浮かべる彩美は、「青春って不意に思い出すものなの」と言って、そのまま食事を進めていた。



 洸太郎は急いで階段を上がり、部屋のドアノブを強く引く。


 そして、扉を乱暴閉めると、扉に寄り掛かった状態のままスマートフォンのロックを解除した。


 四人のグループトークアプリでは、既に洸太郎を除く三人の会話が始まっており、メッセージの通知を知らせる数字がアイコンの右上に表示されている。


 それを見て、洸太郎は左手の親指をアイコンへと運んだ。



『天気予報で大気が不安定になるって言ってたんだけど、あれって――』


『高木さんの言ってた、異常気象のことかな……』


『でも天気予報士は「予報が外れた」ともって言ってたんだろ? 天気予報なんて、当てにならないんじゃないか?』



 大介はニュースを見ていないようだが、確かに大介の言う通り、天気予報はあくまで「予報」に過ぎない。


 現に、直近でもその予報が外れているわけで、今回も外れるという可能性は十分に考えられる。



「それでも」



 洸太郎は流れるように文字を打つ。

 

 高木の話を聞いてしまった以上、考えずにはいられなかった。



「これまでは結構な確率で当たってたし、実際に、雨が弱まることだって予報通りだった。確かに今回は予報が外れたけど……前回の異常気象からもう千年以上も経って、天気予報の精度が向上しているのも事実なんじゃないか?」



 洸太郎のメッセージにはすぐに既読がついたものの、しばらく誰からも返答がない。


 洸太郎も自分の送った言葉を見返すと、脳が近い未来を想像し始める。


 次のメッセージを打ち込んでは削除を繰り返し、なかなか次の言葉が見つからなかった。



 アプリの上部に「入力中……」と表示されては、その文字が画面から消えていたことから、三人も洸太郎と同じ状況だったのかもしれない。



 そんな状況を壊したのは、瑠奈だった。



『仮に今回の予報が当たったとすれば』



 このメッセージの後、しばらく「入力中……」の時間が続く。


 次の言葉を待つ洸太郎の手は、微かに震えていた。



『あと数日で、私か洸太郎の前に「雨の種」が現れるってことよね』



 脳が描いた未来と一致するその言葉に、メッセージを返すことも忘れ、洸太郎は無意識のまま静かに頷いた。



 『異常気象が続き、それが収まる前に「雨の種」が姿を現す』



 ――高木はそう言っていた。



 仮に異常気象が長期間に及ぶことで、日常生活に何らかの被害が出てしまうかもしれない。


 しかし、雨が降り止んでしまうよりはマシなのではないか――洸太郎は本気でそう思った。



『それで、一応、確認なんだけど……洸太郎、「熱の葉」はもう、温かくないのよね?』


「確認してみる」



 メッセージを送信すると、洸太郎は机に置いてある熱の葉の元へと足を運ぶ。



 ――もしかしたらまだ、葉の枯れていない部分には「熱」が残っているかもしれない。


 それであれば、今回の天気予報は偶然、高木の話と重なっただけということなんだ――



 淡い期待を抱きながらスマートフォンを握りしめる洸太郎の手は、熱を帯びていた。



「そ、そんな……。高木さんはこんなこと、言ってなかった……」



 結局、洸太郎が熱の葉に触れることはなかった。


 それにもかかわらず、洸太郎は熱の葉から少しも視線を逸らすことが出来ない。


 まるで魂が抜けてしまったかのように、ただただその場に立ち尽くしたのだった――。




 手に持っていたスマートフォンが小刻みに振動する。


 その小さな揺れが脳に信号を与えた時、洸太郎はようやく意識を取り戻した。


 画面を見ると、『どう?』『やっぱりもう冷たいのか?』『おーい』『こうちゃん、どうしたの』など、三人からのメッセージがたくさん届いていた。


 洸太郎は震える手を必死に抑えながら熱の葉を写真に収めると、一つの短いメッセージとともに、三人に送信する。




「熱の葉が枯れてる」




 目の前にある熱の葉は、数時間前とはまるで姿を変えていた。


 葉先は黒く、中心部分も茶色へと変色している。


 熱の葉は何年も前から枯れていたかのように、どの部分を触っても、すぐに崩れてしまいそうだった。



 誰がどう見ても、もうこの葉が生きているとは、到底思えなかった。



 洸太郎はメッセージに既読が付いた直後、三人から次々と届く悲観的なメッセージをぼんやりと見つめていた。


 しかし、洸太郎の目に映った文字は本能が遮断したかのように、脳に届く前に、画面の中へと戻って行った。



 夕食の前、洸太郎が葉先を触って崩してしまったからなのか、それとも熱の葉にも寿命があったのか、はたまた、神木様に何かが起こっているのか――洸太郎には何もわからなかった。



『目の前で熱の葉が枯れている』



 それだけが事実として、脳内に真っすぐと届いていた。




 ――見つけてもらったことで、最後の使命を果たした。




 熱の葉がそう言っているようだった。



 気が付けば、スマートフォンのバイブレーションも止んでいる。


 四人のグループトークは、『雨が降り止むまで、もう時間がない』というメッセージで終わっていたのだった――。





 真っ暗な部屋で、洸太郎の顔だけが照らされる。


 時計は午前六時を表示している。


 あれから洸太郎はリビングに戻って夕食を取ることも、シャワーを浴びることもしないまま、ベッドに寝そべり、高木の話と今の状況を紐づけながら整理をしていた。


 結論、基本的には千三百年以上前と同じ状況であることから、今後も昔と同じ道を進んでいく可能性が高いと推測するのが妥当であった。


 前回と違うところといえば、熱の葉が枯れてしまったこと、そして、結末が既にわかっていることだ。


 未来を知らずに進むのと、知りながらも進むのとでは、そこには雲泥の差が生じる。



 ――先代の宮司は一人、どんな気持ちで立ち向かっていたのだろう。



 考えれば考えるほど目は冴えていき、結局、洸太郎は全く寝つけないまま朝を迎えていたのだった。


 今更眠ることも出来ず、上体を起こしてカーテンを開ける。


 外は大粒の雨が強い風に煽られながら、窓に当たっては弾けていた。


 今はまだ、大雨が降っているだけの状況に過ぎず、これを異常気象と呼ぶには時期尚早だろう。


 しかし、この雨脚の速さが結末に向けてのスタートを切っているように思えた。



 天気予報が外れれば良いと心のどこかで願っていたが、そういえば、こういう予想は大概外れるものだった――と洸太郎は思っていた。



 日差しが指し込むこともなく、ただ燦燦と雨は降りしきる。


 まるで、「この先の未来に光などない」と教えられているかのようだった。




 この日を境に、雨は日を追うごとに強く、荒く、悲鳴を上げていく。



 熱の葉が枯れてから、もうじき一週間が経とうとしていた――。

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