洸太郎の描いた絵
「ずっと気になってたんだけどさ」
しばらく続いた沈黙の中、大介が静かに言った。
「高木さんの話では、雨の種が先代の宮司の前に、突然現れたんだよな?」
「そう言ってたな」
「それで雨の種を芽吹かせて、神木様を生まれ変わらせる必要があるわけだ」
先程聞いた話を繰り返すだけの大介に、洸太郎は少し感情的になる。
「だからそうだって。何が言いたいんだ?」
「いや……初代宮司の時はわからないけど、前回は先代の宮司一人が熱の葉に触れていたわけだろ? でも今回は洸太郎と瑠奈、二人が熱の葉に触れてる。そうなると、雨の種も二人の前に現れるってことになるのか?」
盲点だった。
神木様が一本しかないことで、大介に言われるまで「種」は一つだと勝手に思い込み、その可能性を全く考えていなかった。
高木の話が全て真実だと仮定するならば、洸太郎と瑠奈、二人の前に雨の種が現れる可能性も否定出来ない。
「で……でもそうすると、熱の葉の数だけ、雨の種があるかも知れないってことにならない?」
瑠奈は考え込むように、顎に手を当てて言った。
「もし――その熱の葉が、千切れていたとしたら……?」
抑揚のない千歳の声が、部屋を流れる空気と静かに混じった。
「千歳……、それってどういう意味?」
「こうちゃんが描いたこの絵、もう一回よく見て」
千歳は洸太郎の絵を指しながら言った。
「この見切れてる、神木様の下の方の葉っぱ……」
洸太郎は改めて自分の描いた絵を見ると、違和感に気が付く。
「葉っぱが……赤い――?」
画用紙に納まり切ってはいない、葉のほんの一部が、洸太郎の手と同じ色で薄っすらと囲われている。
「こうちゃんは多分、落ちて来た葉っぱを拾ったんじゃなくて、神木様の葉っぱが温かくて気になったから、千切っちゃってたんじゃない? それでその枝に残った部分も描こうとしたけど、画用紙のスペースが足りなくて……」
「じゃあ私があの時掴んだ落ちて来た葉っぱは、洸太郎が千切って枝に残っていた部分だったってこと……? だから小さかった……?」
洸太郎が保管していた「熱の葉」をもう一度確認すると、確かに葉身と葉柄の一部が裂けていた。
それを見て、千歳は小さく頷く。
「もし熱の葉が沢山あるなら、過去の宮司さんの他にも、高木さんの話を知っている人がいると思うの。でも、あの話は歴代の宮司さん以外は誰も知らない……。だとするとやっぱり、熱の葉は一枚しか存在しないんだと思う」
「じゃあ大介があの時、僕がジャンプしていたって言っていたのは……」
「この葉っぱを取ろうとしていたってことか」
様々な記憶が、一本の線となって繋がっていく。
「ちょっと待って。確かに熱の葉は元々一枚だったっていうことはわかったけど、雨の種はどうなるの? 葉っぱが千切れても、私か洸太郎、どちらかの前に現れるの?」
瑠奈の言葉に、部屋には再び沈黙が訪れる。
熱の葉が千切れたからといって、雨の種が分かれるかどうかなど、想像も出来なかったからだ。
どれだけの沈黙を過ごそうと答えは出なかったが、無意識のうちに洸太郎は呟いていた。
「僕が瑠奈を巻き込んじゃったってことになるのかな……。本当にごめん」
「洸太郎が謝ることじゃないでしょ。洸太郎が千切っていなくても、私の元に落ちてきたかもしれないじゃない……」
洸太郎は「そうだね」と言って苦笑いを浮かべると、長く吐いた息とともに、肩を落としたのだった。
窓の外ではこの数日間が嘘のように、雨が強さを増して降っていた――。
三人が洸太郎の家を後にすると、洸太郎は自分の部屋へと戻り、自分の描いた絵を見つめた。
自分の描いた絵に神木様の秘密とも言える真実が含まれていたことが、未だに信じられずにいた。
「僕が葉っぱを千切ったりしたから、神木様の寿命が縮まったのかな……」
そう呟き、洸太郎は熱の葉へと視線を移す。
葉先は枯れ、全体の色味は落ちているものの、葉の中心部分はまだ薄い緑色や黄色といった色味を保っている。
――あの時、どれだけの「熱」がこの葉っぱに籠っていたのだろう……
洸太郎は昔を思いながらポリ袋を開け、熱の葉へと手を伸ばす。
手前にある葉先をつまむと、葉先はぽろぽろと崩れたのだった。
指先に崩れた葉先の一部が残っていたが、もう「熱」を感じることはなく、洸太郎はそのままギュッと拳を握った。
ドンドンドン――……
強めに三回、部屋の扉が叩かれ、勢いよく外の世界と繋がっていく。
「もう、お兄ちゃん? 何回も、なんっ回も呼んでるのに……。ご飯だってば! そんな古い絵を引っ張りだして……、今を生きなさい、今を。ほら、行くよ。その目は前を見る為に、前についているのだ!」
ドラマか漫画の影響を受けているような彩美の言葉に、洸太郎の頬が緩む。
「ほら早く!」
そう言って手招きをする彩美を見て、洸太郎は重い腰を上げた。
リビングでは既に夕食の支度が整っており、忠と麻里が席に着いている。
洸太郎と彩美も席に着き、家族四人で「いただきます」と口を揃えた。
「それで洸太郎。お目当ての物は見つかったのか?」
忠が味噌汁を啜りながら洸太郎を見る。
「常連さんも洸太郎の顔を見て、すごく心配していたわよ。『洸太郎くん、学校で何かあったのかい?』って」
「二人とも甘いなぁ……。私にはわかるよ。お兄ちゃん……最近、青春してるんでしょ?」
彩美はニヤニヤしながら「ちょっと態度がおかしいもん」と笑っている。
彩美の言葉に麻里も「まぁ!」と明らかに誤解をして微笑み、「そういうことは男同士の方が話しやすいよな」と忠も嬉しそうにしていた。
この時点で洸太郎の探し物の話など誰も覚えている様子もなく、話は大きく方向を変えていた。
洸太郎の意見など聞く気がないのか、三人は想像の中を走り回るように、そのまま会話を続けている。
ここまでくると、わざわざ否定する気にもなれず、洸太郎は苦笑いをしたまま、テレビの電源を入れたのだった。
番組はちょうどラーメン特集が終わったところで、スタジオにいるメインキャスターがお天気コーナーの中継と繋いでいる。
まもなくして、天気予報士が明日の天気や服装、その後の週間予報を伝え始めた。
『昨日お伝えした予報が外れてしまい、天気予報士としては残念ではありましたが、本日のお昼過ぎ頃から天候が回復傾向にあります。しかし、これからは大気の状態が不安定となりますので、落雷や突風にはご注意下さい――』
『予報が外れて喜ぶのもおかしな話ではありますが、世の中的には、雨脚が戻ってきたことは大変喜ばしいことですね。皆さん、外出の際はくれぐれもお気を付けください。それではまた明日――』
そう言って、番組のメインキャスターはカメラに向かって深くお辞儀をした。
「なんだ、今度は大気が不安定になるのか。神木様のご機嫌はいつ治るのかねぇ」
想像の中から無事帰還した忠が、テレビに向かって呟く。
それと同時に、洸太郎は右手に持っていた箸を床に落とした。
「お兄ちゃん、早くお箸拾いなよ」
「洸太郎、どうかしたのか?」
彩美と忠の言葉は、洸太郎の耳に届くことなく消えていった。
「まさか……今日聞いたばっかりだぞ……」
どこを見るわけでもなく、洸太郎の視線は一点に集中していた。
そして、誰にも聞こえないような小さな声を口にする。
「異常気象が……始まった――?」
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