雨宿りの文学
鍔木シスイ
雨宿りの文学
私が何か文章を書く時は、いつも雨が降っている。
別に、「雨の日にしか書かない」とか、「雨が降り始めたら書き始める」とか、そういった自分なりの規則を定めているわけではないのだけれど、私が、「何か書こう」と思い立ち、書き始めてからしばらくして、なんとなく窓の外に目を向けると、必ず、雨が降っているのである。
それも、今まさに降り始めたという風情ではなく、随分前から降り続いている様子で、降っていることがさも当たり前だと言うような感じである。必ず、そんな様子なのである。
雨が降っていることを(無意識的にでも)確認すると書きたくなるのか、書きたくなる状況が、雨を呼び込むのか?
私にはどちらとも判別しがたいが、恐らくは前者なのであろうと思う。
雨でろくな外出もできず、気まぐれにテレビを
要するに、他にさしてやりたいことが見当たらないので、消去法の結果として筆を
逆に――これも実に困ったことなのだが――「書こう」と意気込んで筆を
だが、反対に、消去法の結果として筆を
その「何か」を自分で読み返してみると、読み応え、というほどの重いものは無いものの、さらりと気軽に読める内容に仕上がっている。
例えるならば、思いがけない形で空白の時間ができて、さてこの時間に何をしようか、と考えたときに、意識の隅にさりげなく浮上してくるような話である。が、私としては、意識の隅に選択肢として浮かんだけれど、今回は読まなかった、で、全然かまわない、というような話である。あるいは、読み始めたはいいけれど、やっぱり他のことをしようと意識が
つまりは、私がこうして「消去法」で書いているように、消去法の結果として選んでもらっても全然構わないのである。それくらいの、気軽な気持ちで読んでくださればいいと思っている。
旅先でふらっと立ち寄ってみた店が、空いていれば入り、混んでいれば立ち去る、という
要は、箸休め、で、いいのである。
お気に入りの長編小説を読んでいたけれど少し疲れたから、とか。
家事がひと段落したのでなんでもいいから読みたくなった、とか。
また、あるいは、雨宿りをしている間の暇つぶしとして、とか。
私の文章が主たる目的でなくていい。なんとなく立ち寄って、ふらっと立ち去ってくれて構わない。旅の途中でなんとなく目についた雑貨店に入ってみるように、雨宿りのついでとして店を冷やかすように、雨が止んだらこれ幸いと目的地へまた向かうように、読んでもらえればいいのだ。
私とて、そうして立ち寄ってくれた誰かを無理に引き留めようとは思わない。私自身の他の作品を読んで欲しくはない、と言えば嘘になってしまうけれど、追い
たまたま雨が降っていた。たまたま目についた。それくらいの、気軽で気さくな気持ちで読んでいただいて、読み終わったら忘れてくれていい。
雨が止んで晴れれば、傘のことなど忘れてしまうように、忘れてくれていい。
そんなことを考えながら書いているうちに、雨はすっかり、止んでいた。
私は息を吐きながら筆を置き、コーヒーを淹れようと、席を立った。
雨宿りの文学 鍔木シスイ @Kikusaka
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