最終話
その日も晴れであった。
宿屋の窓から眺める景色は今日も清々しかった。
少し開いた窓から吸い込む外の空気は実に心地よいものである。
主人は吾輩より早起きで、起きたときには姿が見えなかった。
さては一足早く朝食でも取りに行かれたのかと部屋でくつろいでいると、足音が近づいてくる気配がした。
出迎えようと戸口に近づけば顔を出したのはスルト殿であった。
遅れてやってきたのはやはり主人であった。
あの一件以来スルト殿とは魔道書を読む間柄となった。
とはいっても吾輩が膝元に座って一緒に本を読む時間を共有するだけである。
彼はどうやら吾輩に魔道の才を見いだしたらしく、こうやってちょくちょくと顔を出しに来てくれる。
スルト殿の話は含蓄に富んでおり飽きがこない。
吾輩はそれに聞き入って膝から動かないのだが、主人にとっては面白くないらしくちょっかいをかけてくる。
どうやら以前自分に才が無いと言われたことを気にしてのようである。
吾輩がいくら知識を身につけてもニャアとしか詠唱出来ぬから放っておけば良いと思うが、主人はそうではないらしい。
今日も講義中に口を挟んでこられるが、悲しいかな知ったかの横槍ではスルト殿にいなされるのがオチであった。
喧々囂々と部屋に雷鳴と暴風が起こる。それをスルト殿は柳の如く受け流し耐えて居られる。
最初は優男かと思われたが、この御仁はなかなかの御方である。
少なくとも吾輩よりはずっと賢く弁が立つのは間違いない。
二人の言い争いをしばし眺めはしていたが、これは再開することは無いと悟り部屋から抜け出すことにした。
そろりそろりと足音をたてずに動く吾輩に主人達は気づいてはいない。
ここは猫の面目躍如といったところであろう。
遁走に成功した吾輩はそのままうろうろと路地裏を歩く。
向かう先は自然とクロ殿のもとへと向かっていた。
日向でぬくぬくとしていた彼は、前に拝見したときよりふくよかになっているように見受けられた。
その瞼が開かれると、クロ殿はがばりと寝返りをうってこちらに向き直った。
「クーロじゃねえか。久しぶりだな」
「ああ、お久しぶり」
ふてぶてしさは相変わらずである。
こちらをじろじろと頭の先から爪先まで眺めまわすと、フンと鼻を鳴らした。
「なんだか痩せてねえか。主人に美味い物を食べさせてもらってねえのかよ」
「いやいや、飯は食べさせて貰っている。しかし先日些か難儀なことに巻き込まれてね」
吾輩が鉱山の一件をざっくり話すと、クロはまたフンと鳴らした。
先ほどよりは嬉しさが混ざっているようであった。
「鼠も捕れないお前さんが魔物退治とは、やるじゃねえか。そんじゃあスキルも覚えなすったんだろう?」
目を見開きワクワクとした顔。
その顔を前に吾輩は自問してみた。
はたしてあれはスキルなのであろうか。よくよく考えてみると魔法の一種なのかもしれなかろう。
というのも、街へ戻っていくつか頑張ってみたがあれほどの規模を生み出せてはいないのだ。
だがクロ殿に成果を見せつけるのも悪くは無いと吾輩は思った。
腹に気合いをこめ、湧き上がる何かを口より吐き出してみると、吾輩の身体は煌めくではないか。
吾輩の身体半歩分の光円が出来上がる。
とてもあの時のように大きくそして煌々と輝くものでは無い。
発現した瞬間は煌めいていたと誰でもわかる強さであったが、今吾輩の周りに浮かぶのはただの陽光に負ける程度の弱さである。
同じ陽の下にいるクロ殿と並び立ってようやく白さが目立つだけである。
遠目で吾輩をみればただの猫にしか見えないであろう。
クロ殿もそう思ったらしく、拍子抜けした顔でこちらを眺めていた。
「お前ソレ、ただぼんやりと光るだけか?」
「一応害意ある者は通さない壁らしいのであるが」
そうかい、と樽を下りて吾輩に近づくと彼の前足は容易く光輪に割って入り吾輩の身体に触れることが出来た。
「なんもならないじゃねえか」
「それは君が敵ではないからだ」
「そうかい。じゃあこうしたらどうなるんだ?」
彼が前足を動かすとベベベベベと吾輩の髭が揺れ動く。
されど何も起こらない。ただ彼と吾輩がじゃれあっているだけである。
「やっぱり何もならないじゃねえか」
「だから君が敵ではないからだろう」
「役にたたねえスキルだな。俺が心変わりして手前をぶっ殺そうとしたらどうなるんでえ」
「そうしたら容易く殺されるだろうな」
「よせやい、俺に弟分をどうこうする余裕はねえよ」
フンと鼻を鳴らして彼は定位置に戻った。
それからあれこれと世間話をしたが、彼の興味はすっかり失せているようだった。
話すことも無くなったので、そこでクロ殿と別れることにした。
陽はまだまだ高い。
まだ主人の元へと戻る気はなかったので、吾輩はそのまま散歩を続けることにした。
そのまま足を運んで噴水を超えていくことにした。
行き先は長老の元へとである。
街の上の教会へとやってきたが、ここは下の喧騒とは違っていつも静かである。
同じ街の一画とは思えぬ。
先日クロ殿について行った記憶を頼りに進んでいくと、白猫と遭遇した。
確かメントル殿といったはずである。
吾輩が挨拶を交わそうとすると、彼は吾輩が声を発する前に頭を下げた。
「お久しぶりです」
なんというか一挙一動が麗しい。先ほどクロ殿と一緒にいたから尚更である。
吾輩が訪問の用件を告げようとすると、メントル殿は声を遮って仰った。
「長老は貴方に今あえませぬ」
会えませぬ、それはどういうことであろうか。
「もしや先約が居られましたか」
「そうではありません。長老は貴方がやってきたときには断れと」
「なんと」
面会を拒否されたということは、もしや吾輩は何か知らずのうちに粗相をしてしまったのであろうか。
吾輩がそう狼狽していると、メントル殿はそうではないと助け船を出してくれた。
「今、貴方と遭うべき時では無い。そう長老は仰いました。灯が強くなったときに又来るが良いと」
「なんと」
灯とはまさか吾輩のスキルのことであろうか。
確かに今は弱い輝きではある。しかし残念でもある。
その輝きを強くするにはどうしたら良いかと相談しようと思ったのだが。
吾輩は落胆の色を隠せなかったのであろう。
見つめていたメントル殿が、先ほどより少し優しい声で語りかけてくるではないか。
「クーロ殿より生じた光は、確かにその身へ灯っています。あとはその火を猛るようが宜しいかと」
「猛るようにですか。それにはどうしたら良いのでしょう」
吾輩の問いにメントル殿は首を横に振った。
「生憎と私は長老ではありませんので助言は出来ません。ただ聞き及んだことを伝えるだけです」
「では先ほどの言は長老自身が仰ったのですか」
「はい。貴方がこちらに伺うずっと前に」
ふむ、と吾輩は頭を垂れた。
煙に巻かれたような気がするが、嫌われてはなさそうだ。
ともあれ仕方が無い。
面会が出来ぬとあればこちらに用も無いのである。
吾輩はメントル殿に礼を述べるとその場を後にした。
次に来るときはスキルがもう少し強くなった時であろう。
しかし、しかしである。
どうやって強くすればいいのか吾輩には今のところ良く分かってはおらぬ。
使い続ければ良いのやら、気を強く持てばいいのやら。
なんともモヤモヤした気分である。
箸を持たされても器へとどう伸ばしたら良いか分からぬ、そういった心持ちである。
だが長老は吾輩の現状が視えておられるらしい。
なれば何かが変われば対面は叶うやもしれぬ。
それにはどうしたらと考えてはみたが、やはりここは主人に従うがよろしかろう。
なんだかんだと言っても、鉱山にて一端を掴んだことは事実である。
次でまた何かしらの切っ掛けの糸口を掴むやも知れぬのだ。
縦糸と横糸が合わされば布地は出来るのである。
それが何の紋様であろうとも、吾輩より生じたものは吾輩のものである。
そう考えながら宿へと戻ると、まだお二人は口論を続けておられた。
まあ飽きずによく口が回るものである。
吾輩は窓際で丸まって身を休めることにした。
外を眺めれば陽はやや傾きつつある。
焦ることはない。陽は沈もうとも明日昇ってくるのである。
明日になれば吾輩にも陽が差すに違いあるまい。
その時、主人の冒険に同行を願い出ようと思う。
欠伸がおさまらぬ。今日は良く良く歩いたらしい。
二人の論争を子守歌に吾輩は目を閉じることにした。
吾輩は転生者である。
スキルは今だ見つかってはいない。
だが、道は見えたような気がする。
吾輩は転生者である 朝パン昼ごはん @amber-seeker
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます