第11話
突然の衝撃に大きく距離を取ったリア殿が抱きかかえていた吾輩を地に下ろした。
かの敵をあらためて見ればなるほど確かに全身が石のようである。
人が石と成ったのかそれとも石が人と成り得たのか、それはわからぬが目の前の魔物は人型となって吾輩らの前に確かにいた。
高さは主人を二人並べても高く、幅は三人ほどの巨体であった。
今来た道を塞ぐように吾輩らと対峙している。
「どうする?」
バート殿が先ほどと同じ質問を主人に尋ねた。戦うか逃げるかという尋ねであろう。
「やるよ。コイツを倒して引き返そう」
主人は剣を構えて言い放つ。
道は塞がれても逃げる道はまだあるがそこはまだ調べてはない経路である。
この魔物は明らかに坑道より大きい。故に戻るにはこの者が障害となっている。
知らぬ道が行き止まりだった場合障害どころではなかろう。
魔物が図体だけの無能であったならばその巨躯をねじ込まれてはたまらない。
鉱山で崩落にあい生き埋めになった話は少なくない。
吾輩らがそのあとを追わないということはないのだ。
ゆえにここで迎え撃つ。主人はそう考えたのであろう。
吾輩と同じように察した一同は、それぞれ頷き武器を構えた。
リア殿がまず手始めの一矢を放つとそれは乾いた音を立てて弾かれた。見かけ通りの硬い身体であった。
だがこちらに注意を向けるには十分であった。
ゴーレムがこちらへとやってくる。玄室の中央で戦えるように主人とバート殿が剣を抜き前へ躍り出た。
「そらよぅっ!」
欠片が数片飛び散った。
デカい的へと放たれたバート殿の一撃は、どうやらこちらから見ても余り有効とは思えぬ手応えさを感じさせている。
剣を引くと同時にその身も後ろへと飛ぶと、剛腕が唸りをあげて通り過ぎていった。
質量の暴君のような一撃は、触らずともその威力の強さをビリビリと感じさせるに足るものであった。
おそらく吾輩であればそのまま吹き飛んでいたに違いあるまい。
バート殿は敵の側面へと回りながら剣と盾をぶつけて打ち鳴らし相手を挑発する。
「こっちだバケモン! 俺はこっちにいるぞ!」
激しい音と蛮声にゴーレムが横を向く。
「そりゃあああああ!」
その敵の背、首筋めがけて主人の両手大剣が叩きつけられた。
石の破片が飛び散った。先ほどのバート殿よりは幾らか傷つけられたようである。
だが致命をあたえたるには至らなかったようだ。
ゴーレムの腕が後ろへ、攻撃を仕掛けた主人へと薙ぎ払われる。
丸太を束ねたような太腕が主人の頭を通り過ぎる。
前へ倒れるようにかわした主人の顔は芳しくない。
見下ろすような形となったゴーレムの足が、地に這いつくばる主人を踏み潰そうと持ち上がった。
その足へ爆炎が叩きつけられた。
もうもうとあがる煙と飛び散る破片。衝撃でゴーレムが背から倒れた。
「サンキュー、スルト」
「どういたしまして」
その間に起き上がった主人が体勢を整え、敵へと向き直る。
先ほどの炎はスルト殿が放った魔法のようであった。
リア殿とスルト殿を守るように主人とバート殿が体位を入れ替える。
目も離せぬ一瞬の攻防とはまさにこのことではあるまいか。
ゴーレムが再び起き上がり吾輩らに向き直った。気合いはまだ十分といった処か。
「あまり聞いてないようですね」
「気にするな、俺のも効いてないぜ」
「こんなことならツルハシでももってくれば良かったね」
「ソイツはいいね。冒険者から鉱山夫に鞍替えだ」
主人達は軽口を交わしているが表情は笑ってはいない。
此奴が強敵であることは誰の目にも明らかである。
気を抜けば必ずや骸を晒すことになるであろう。
敵はその暴威を存分に叩きつけそれを主人達は果敢に凌ぐ。
吾輩といえば蚊帳の外であった。
どちらからも戦力とは見なされてはいない。故に見過ごされていた。
これは屈辱であるが同時に好奇であると考えた。
眼中に無いのであれば背中を撃つのは容易いからである。
しかし吾輩には剣も弓も魔法もない。
古の人は石で歯を漱ぐと嘯いたものだがとても真似は出来ぬ。
この爪と牙は奴に些かの痛痒も与えはしないだろう。
なればどのようにすれば敵に一撃を与えることができるだろうか。
頭のなかで考えをぐるぐると巡らしても一向に知恵が浮かばぬ。
加勢したいのに出来ぬはなんともどかしいことであろうか。
人の身であれば吾輩に何か出来たであろうか。
ふとそんな羨望がよぎったが頭の中で浮かんだそれを握りつぶした。
吾輩は猫である。一介の猫である。スキルも使えぬ何の取り柄も無い猫であった。
そのような小物が如何にして戦功を立てるか。そのためにじっと前を見る。
激しい戦闘が繰り広げられているではないか。
主人も、スルト殿も、バート殿も、リア殿も、みな死を前にして奮戦している。
吾輩はここにきて傍観者となるのか。
答えは否である。
彼らが必死に戦っているのにどうして自分だけが無事でいよう。
あの四人が地に伏せば吾輩の命も同じように散るというのに何故踏み出そうとしないのか。
今この時にもかかわらず、あの宿屋の二階から人を見下ろすようにどこか他人事とは思う手はいまいか。
否である。
長老に会ったときのことを思い起こした。
人を救いたい。
あの時自分は素直にそう思った。ぼんやりと見つめているのが人を救うことになるのか。
答えは否であろう。
ここが吾輩の正念場かもしれぬ。何かと理由をつけて行動に移さぬのは凡人たる由縁であろう。
吾輩は転生者である。常人ではないことは確かである。
何か理由があってこの世に生を受けたに違いないのだ。
主人たちは皆戦っておられる。それはここで死に無くないという欲求の表われであろう。
吾輩は一度死んだ身である。
二度死ねばどうなるかはわからぬが、もしかしたら又別の場所に行けるやも知れぬ。
然るに主人方は如何であろうか。
死ねば無。ここで屍を晒すだけかもしれぬ。
縁があって主人に養われることとなった。その御方と御友人が亡くなられることは嫌である。
吾輩の心は死にたくないより別れたくないが上回った。
吾輩は猫である。あの巨人に打ち勝てそうな利点はこれである。
そう思いこんだとき、勇気と情が吾輩の四肢を前へと駆りだしたのである。
気がつけば前へと飛び出していた。
勝とうとは思っておらぬ。ただ、何かしてやらねばという気持ちに動かされただけである。
「クーロ!?」
場違いな闖入者に主人が驚きの声をあげた。
吾輩はその声を背に敵へと近づく。ゴーレムは吾輩如きを眼中に入れてはおらぬ。
敵愾心は吾輩の後ろにへと向けられていた。
実に好都合である。
吾輩は敵の足下を起として、一気に駆け上がった。
膝を蹴って腰を足がかりに、背中を回って肩へと駆け登った。
このような芸当は造作も無い。
いつも宿の二階を上り下りしている日常が役に立った。
ゴーレムの身体が蠢く。頭部へと近づいた吾輩へと顔部分の亀裂が横に伸びた。
やはりこれは眼の役割を果たしているらしい。
岩のままなら触れた物を理解出来そうな気もするがわざわざ眼をつけ加えるとはいかな心持ちであろうか。
登りきった吾輩へと手が伸びてくる。どうやら注意を惹きつけることに成功したようである。
吾輩は見る通りの小者である。このような輩に捕まる気など毛頭無く、伸びた手から逃げるために肩を伝って背中へと回る。
岩の身なればやはり身体は硬いようである。伸びた腕が背中を掻くように動き廻るが生憎とそこに吾輩はいない。
既に頭の上へと遁走を試みていた。すると今度は両側から手が迫る。
吾輩も今度はころころと滑り落ち、再び肩口へと逃げ仰せた。
頭上で激しい柏手が打ち鳴らさせる。あれに挟まれては叶わぬ。猫では無く押し花となっていたに違いあるまい。
亀裂から漏れる光色の赤が強くなったような気がした。
どうやらやっこさんの怒りに火をつけたようである。
吾輩は敵に傷を与えることは適わなかったが、油を注ぐことには成功したようである。
吾輩とゴーレムの捕り物は、端から見れば身体を痒がる独活の大木のように思えた。
一同ポカンと眺めているだけであったが、まず動いたのはバート殿であった。
「サラ! 行くぞ! やっこさんが囮になってる間にけりを付けるぞ!」
「えっ……? う、うん……わかった!」
流石に歴戦の冒険者であった。直ぐに我に返り吾輩の援護に加わってくださった。
疾走する二人にゴーレムが気づき視線を下へと逸らす。
だがすでに両の剣撃は片脚を捉えていた。
主人とバート殿が同じ箇所へと一撃を加える。
その合わせ技に、敵の硬い身体といえども亀裂が入った。
その亀裂へと、リア殿の矢が突き刺さる、矢じりの先には何か袋が結わえつけていた。
「スルト!」
「勿論」
リア殿のかけ声にスルト殿が合わせる。
どうやら彼はすでに予見しており詠唱を始めていたようだ。
完了した魔法が、脛の傷へと放たれる。吾輩が幾度と無くみた火球の魔法だ。
それが傷口へとねじ込まれると、勢いよく爆発した。
先ほどの袋には火薬の類が入っていたようである。それが火勢を強める結果となったのだ。
片脚を吹き飛ばされ、さしものゴーレムもバランスを保つことが出来なくなっていた。
吾輩はといえば散開した主人たちとはうらはらに、爆発した衝撃に巻き込まれ四散した破片の一部とともに飛ばされてしまった。
そのあとのことはよく覚えていない。吾輩が瓦礫の中から救い出されたことは事実である。
どうやら吾輩が気絶している間に事は終了したようであった。
「もう……心配したんだから」
吾輩がそこに居るのを確認するかのように主人はぎゅうと抱きしめてくる。
加減がわからぬのかまるで万力のようであった。
息が出来ぬ。肺の空気が絞り出され蚊の鳴くような声しか出せない。
顔色を失ってく吾輩に代わって他の方々が救いの手を差し出してくださった。
「おいおいその辺にしとけよ。せっかく助かった命が潰れちまうぞ」
「危ない目に遭わせるなんて酷いじゃない!」
「いやごめん、火薬の量が多すぎたみたいだね」
「上にいたので大丈夫とは思ったのですが、予想以上に威力が大きかったですね。
喧々囂々と言い争いが始まった。
考えが他に向けられて吾輩を締めつける腕の威力も弱まった。
助かった。ようやく声を出すことが出来る。
息を吸いこみ生きている事を実感しながら、吾輩は主人に声をかけた。
ニャアと声をかけられて主人が微笑んだ。
「あまり無茶をしちゃだめだよ」
頭を撫でてくださる。今度は加減が良くて心地よき次第であった。
気分を楽にしている吾輩にむかって他の一同が労いの声をくださる。
「いやでも助かったぜ。上でやりあってくれたおかげで、俺らが踏み込む隙が出来た」
「猫にしては勇敢じゃない。連れてきて良かったんじゃないサラ?」
不満げな主人ではあったが、自分の飼い猫を褒められたようで幾分気分が和らいだようである。
一同が落ち着いた処でスルト殿が頷いた。
「では引き上げましょうか」
その声に周りも頷く。今日はこれで終いである。
吾輩は主人に抱えられての帰還である。
これ以上無茶をせぬようにとの心遣いであろうが、吾輩にそんな気は無い。
あれは一助になれば故の行動であるので迷惑をかける気は無いのである。
初めてのパーティ。始めての探索。
それが終わるということでどっと疲れが出てきた。
どうやら吾輩は初の探索で予想以上に緊張していたようである。
帰るまでが遠足という言葉を幼子のとき耳にした記憶がある。
吾輩の精神は涅槃に片脚を突っ込んでいた。
先に戦線を離脱するのは大変に申し訳ないが、この一行なら上手くやっていけるに違いあるまい。
同道した吾輩が太鼓判を押そう。
なので安心した吾輩は両の瞼を閉じて安らかに息を立てるのだ。
吾輩は猫である。スキルは今だ見つからぬ。
だが本日役に立ったことは事実である。
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