第10話
坑道は思いのほか暗かった。
吾輩は多少の暗闇なら問題ないが真っ暗闇となると流石に支障を来たす。
人は更に差し支えがあるので同行する皆様においては各自ランタンをぶら下げている。
光源を確保して問題ないのであろうが吾輩には少々問題である。
近場で明かりをこうも突きつけられていては瞳孔の調整がうまくいかぬからだ。
光のカーテンに遮られ奥が良く見えなくなってしまった。
薄闇であれば斥候の役目を承って先導できるのだがこの明るさではままならぬ。
かくして吾輩はパーティーの後塵を拝すこととなったのである。
「クーロ、アタシたちについてきてね」
剣刃を煌めかせながら気遣いの言葉を主人がかけてくる。
ここに入る前の主人の動揺は端から見てもわかるくらいで、同行させたくないのが優に見てとれた。
最初は吾輩を背負って中に進もうとしていたくらいである。
敵に狙われては逆に危険と味方に諭されて今はこうして無事離されている。
勿論吾輩はただついて行く気など更々ない。
我が身をもってして一団の助けに、主人の力になればと報いる気持ちである。
今だスキルの影をも掴んではおらぬ。
しかしこの闇の先、冒険の先に発動の一端があると吾輩は信じている。
『廃坑に魔物が棲みついたようだから撃退して欲しい』
依頼内容はこれであった。
ここに来る前に立ち寄った街で主人たちは長から話を伺った。
なにやらここで複数の魔物の姿が確認されているそうだった。
廃坑というのものはあちこち掘り進めた結果人工のダンジョンようなもので、そこに手を加えればたちまち砦と化すそうであるらしい。
吾輩はこの世に生を得て今だ魔物の生態というのは良く分かってはおらぬ。
しかし己の近い処に異形の住処を造られるのは甚だ不快なのは理解出来る。
こうやって吾輩たちが差し向けられたのもその気持ちの現れであろう。
かといって人はそれに近づこうとはしない。
良く分からないもの理解できないものは触りたがらないのはかつて人であった吾輩には理解出来る。
しかるに良く分からない、危険な場所に赴こうとする冒険者たちという者は如何な者であろうか。
好奇心猫を殺すという言葉を耳にしたことがある。
もし吾輩が死ぬような状況があればここのいる方たちもただではすまぬ。
死ぬかどうかはわかりかねるが、少なくとも怪我をするのは間違いあるまい。
好奇心猫を殺すという言葉が有りながら好奇心冒険者を殺すという言葉がないのは不思議である。
人は猫より賢いという誇りがあるからそのようなことにはならぬと高をくくっているのであろうか。
猫であり人でもあった吾輩はどの陣営につくかは旗色を決めかねているが少なくとも今は猫である。
猫の悪口は吾輩を嘲っているように思われて余り気分は宜しくない。
なればいっそのことこの一件で戦功を立ててやろうではないか。
スキルを発動させたいという欲はある。
しかして人の役にたちたいという欲もあるのだ。
好奇でなく勇気で討死すれば人は勇猫と称え祭るであろう。
「来たよ」
リア殿の一声が吾輩の意識を現世へと呼び戻した。
吾輩の視線は彼女が放った矢を追った。
地面につくとそれは雷光を放った。
離れていても分かる強烈な光である。突然のことに吾輩は目を眩まされた。
視界が戻れば既に主人とバート殿は前方へと駆けていた。その二人の頭上を炎球が放物線を描いて越していく。
炎が地につくとそれは膨らみ炎上した。その勢いは周囲を紅く照らし吾輩にも状況を理解させるに相応しい灯りを生み出した。
炎の中でもがく人影が数体。炎熱から弾かれるように出てきたそれはまさしく異形であった。
異形といえば思い出すのはオークである。しかし今対峙しているのはオークではなかった。
およそ大人の背丈の半分ほど。少し背の高い子供といったところか。
頭髪はなく耳は尖り、目は血走ってこちらを睨みつけている。
閉じることを知らぬのか口は尖って垂れ下がった下からは涎を撒き散らし何事かをわめいていた。
彼らの吾輩に対する態度はおよそ友好的とは思えぬ。まあ火球の挨拶を受ければ当然ともいうべきであろう。
唸りをあげて曲がりくねった何か、武器のつもりなのであろう。それを振り上げこちらへとむかってくるではないか。
おそらく闇に乗じて吾輩らを待ち受けるつもりだったのであろう。
だがそれをリア殿に感知され先制を取られたのだ。
全くもって対した御仁である。
吾輩を持ってしても闇の先は見通すことは出来なかった。
獣の如き感性がこの女性にあることは事実である。いやこれがスキルの仕業なのやもしれぬ。
かかりくる異形数体を主人とバート殿が迎え撃つ。
数はあちらの方が上。
まず主人の大剣が唸りをあげてその威を見せつけた。
主人の剣撃を受け止めることは適わずあわれ異形の身体は四散したのである。
一瞬にして肉塊と化した仲間を見て、異形共の足が止まった。
飛んでくる肉片を盾で防ぎながらバート殿が横手へと並び出で剣を振るう。
体勢が整わぬながらも相手は小賢しくも武器で凌ぐではないか。
それも折り込み済みなのか泳いだ敵の身体へ盾で圧を加えて更に体勢を崩す。
敵の前に敵がぶつかり、動きが止まる。
バート殿が飛び退いた。入れ替わって主人が前方へと踏み込み、力強い横薙ぎの一閃によって敵は数体とも纏めて胴とお別れとなった。
その間吾輩は瞬きを数度しただけである。
主人と戦場に立つのはこれが二度目ではあるが、記憶のなかではこうも容易く動いてはいなかったように思える。
吾輩がのうのうと宿屋で惰眠を貪っていた間に主人たちはかなりの場数を踏まれたのであろう。
全くもって頭が下がる。これでは助太刀の機会が無いではないか。
主人が吾輩を連れてきたくない理由も今なら理解は出来そうである。
あっけに取られる吾輩の顔を、振り向いた主人がにこりと見つめてきた。
「大丈夫?」
勿論大丈夫である。吾輩は今の一戦に何も加わることが出来ない只の置物であったことは間違いない。
にもかかわらず気遣いの言葉をかけてくださるとは流石主人である。
いや、主人にとってはこのくらい造作もないことなのであろう。
ここに至って吾輩の経験の無さが露呈したのだ。
今回同行を申し出たが、スキル習得は叶わぬ夢となる公算が高い。
しかしここで踵を返すのは頂けないのである。
吾輩から申し出てついてきたのに用を足せないから途中で抜けるとは甚だ不遜である。
いつから吾輩はそのように偉くなったのか。
吾輩は焦り過ぎである。スキルを習得しようとして気負っているのが自分でもわかる。
先の一件は自分の立ち位置を見直す良い経験に成り得たと自戒すれば宜しいのだ。
吾輩には経験が圧倒的に足りないのである。
主人たちの戦働きから掴みうる何かがあれば次の機会に活かせるはずである。
吾輩はそう思い直し、改めて主人たちの後をついていくことにした。
坑道はあちこちに別れ入り組んでおり、現在自分がどのあたりに居るのか検討もつかなかった。
主人たちも迷わぬようにとあちこちに印を刻みこの迷路の足がかりとしていた。
時折魔物と遭遇する事態もあったが、ただた敵が屍を増やしただけであった。
「なあ、魔物ってどんだけいるんだよ」
方々を探索してだれてきたのであろう。
バート殿が誰に聞くともでなく独り言を口にした。
「わかりません。今日はもう少し探索を続けて明日も同じように探索を続けましょう」
「それってよ、見かけなくなるまでうろうろするってことだろ?」
ええ、と頷くスルト殿の相槌にバート殿はうんざりした顔で返した。
敵は赤子の如くあしらえるのであろうが、代わり映えのしない景観に徒労感を覚えるのは無理もなかろう。
やることの無い吾輩は何度欠伸を噛み殺したかわからぬ。
やや弛緩した雰囲気がパーティ-に被さろうとしていた。
そのような空気に主人の声が突き刺さった。
「こんな狭い道で不意をつかれたら私たち終わりだよ。リア、敵の気配はする?」
「いや、周囲には感じないね」
「スルト、いまいつ頃かな?」
「夕方にはなってないと思います」
「もう少し行ったら引き返そうか。結構私たち歩いたからね」
「承知。気合い入れ直しますかねぇ」
よく通る声というものは、パーティにはびこる空気を両断するのに非常に役に立つ。
主人の声に他の者がやる気を取り戻した。
この由縁が主人をリーダーたらしめている気質なのであろう。
右に行くか左にいくか。単純な判断でも決を取るのは案外長引くものだ。
こうやって冒険しているあいだいちいち時間を取られてしまっては遅々として進まぬ。
だからこうやってリーダーの判断でパーティーは動く。
正誤はあとでどうこうでも成る。迅速さは時に綿密な動きに勝るものだ。
ここまで枝がいくらあったか既に覚えていない。
吾輩の如き優柔不断が長になっていれば最初の枝分かれで後を踏み相手に先手を取られていたに違いあるまい。
普段宿屋では見せぬ主人の凜々しさをみて吾輩は彼女を見直すことにした。
人が二人ほど並べるくらいの坑道を進んで行くと、だだっ広い場所へと出た。
辺りにはうち捨てられた一輪車をはじめ雑多な道具や袋が散らばっていた。
元はおそらく掘り進めた物を貯める中継点であったに違いない。
鉱物が置かれていたであろう場所には何もなく、それが広さを余計に感じさせた。
その先に奥へと進む坑道がまた幾つか枝分かれしていた。
主人が大きくため息をついた。
「また分かれ道、か……」
「どうする?」
バート殿が主人に尋ねる。どれを選んでもその先がどうなってるかはわからぬ。
ひょっとしたらすぐに行き止まりかもしれないし或いはその逆かもしれない。
ここで一旦引き返すには良い頃合いとみえた。
「引き返そうか」
主人の言葉に一同頷く。戻る最中に敵と遭遇するやもしれぬのだ。
余力があるうちに退くのが賢明であろう。本日の冒険は終いである。
踵を返し、来た道を皆戻ろうとする。
吾輩が一番後ろについてきたので、今度は吾輩が先頭になる。
それならば暫し先導の役目でも承ろうか。
結局吾輩は何も出来なかった。なればこうやって少しの助力をせねばなるまい。
そう考え意気揚々と前肢を踏み出そうとした吾輩の身体を、駆けてきたリア殿が瞬時に抱き上げた。
浮遊感。そして躍動。
吾輩を抱えながらリア殿が八艘飛びもかくやというような勢いで跳ねたのだ。
そして先ほどまで吾輩がいた場所に、岩石がもの凄い音を立てて落下してきたのである。
落盤。
状況が掴めずにいた吾輩は呆けていたが、地響きとつんざく鳴動でようやく意識を取り戻し、そう判断した。
しかし吾輩はやはり冒険者として未熟であった。
落下してきた岩はバラバラと崩れるでもなく高く伸び上がり、吾輩の一団に向き直ったのである。
石塊が巨人となって立ち上がる。
目鼻にあたる部分には何かの鉱物が露出し、鈍く紅く光って吾輩らを睨みつけているようであった。
既に、はっきりとわかる形で人の姿と成ったソレは、両の拳を打ちつけて玄室に響く程の音を鳴らして吾輩らを威嚇する。
いったいこれは如何様なアヤカシか。
訝しがる吾輩に答えるように、スルト殿が苦々しげに呟いた。
「……ストーンゴーレムですか、厄日ですね」
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