第9話
しばらくしてその日はやってきた。
主人がいそいそと道具袋を整理している。おそらく冒険へと出かけるのであろう。
吾輩も同道を願いたいと話しかけてみた。
「あらクーロ。行ってくるわね」
主人はそう言って頭を撫でてくれた。やはり言葉は伝わりそうにない。
吾輩は連れて行ってくれと懇願するのだがじゃれ合いを欲していると勘違いされるばかりで一向に用件は伝わらぬ。
全くもってもどかしい限りである。
吾輩は人語を解することは出来るのだが人語を喋ることは適わぬ。
おそらく向こうにはニャアとかナーゴとかしか聞こえぬのであろう。
外人の言葉がただの羅列にしか聞こえぬと同じである。
「ごめんね。私そろそろ出かけないといけないの」
遊ぶのはまた今度ねと、抱かれ籠に戻されそうとするが吾輩はその脚に近づきしがみついてお願いする。
この機を逃せばまた悶々とする日常のままである。
急いては事をし損じると先人はしたり顔で言うが善は急げとという言葉があるではないか。
せっかくスキルへの足がかりを得たのである。はっきりいって今の吾輩はやる気に満ちている。
時間が経てばこのやる気が萎える気がしてならないのだ。
だから必死にしがみついていこうとするのだが人と猫の力の差は如何ともし難い。
その気になれば爪を立てて抵抗できるのだが流石にそれは気が引ける。
吾輩の我儘で傷をつけるような真似をしてはならぬ。
居候の身で主君に刃向かうなど不忠不孝の徒である。忘恩の輩がスキルを習得できるとは思わぬ。
抱かれ籠に戻されしがみつく。先ほどからずっとこうである。
おそらく主人も強硬に及ぼうとすれば出来るのであろう。
しかし吾輩への愛情から物腰を柔らかく諭すようにしているのである。
かくして二人の慮りがぐるぐると同じ行動を再生し続けるように仕向けているのであった。
この演劇はいつまでも続くと思われたが横槍が入って終演をむかえた。
どたどたと騒々しい音を立てて男が入ってきたからである。
以前きた眼鏡とは違う男であった。
はてこの者は何者かと吾輩が記憶の糸を手繰っている間に主人が男にむかってこたえた。
「ごめんバート、待たせちゃった?」
「ああ、いつもより遅いからどうしたのなと思ってな」
バートと呼ばれる男は部屋を見回している。その身なりは冒険にいくに相応しい格好であった。
おそらくは主人の仲間であろう。動きやすい軽装に武器を携えている。
主人は剣を扱うがこの者も剣を扱うようだ。背中には小盾がさがっている。
そこでようやく思い出した。
バートは吾輩がこの世界に降り立った際主人と一緒に戦っていた者ではないか。
おぼろげだがその勇姿は脳裏に焼きついていた。
気丈にも主人は重厚な鎧を纏いながら戦うのであるが、この者は軽装の鎧である。
その不利を盾でもって補うのであろう。
そして盾を持つと重すぎるから主人は盾を持たぬのであろう。
闖入者の出現に主人は動きを止めたがやはり意志は捨てられなかったようで吾輩を籠に戻そうと抱え上げた。
宙ぶらりんになれば地に足がつかぬ吾輩に踏ん張りは利かぬ。
じたばたと暴れる吾輩をバートが目に咎めた。
「そいつがお前の飼ってる猫だったか」
「そうなの。なんか今日はいつもより甘えたがりでね」
などと仰っておられるが吾輩は甘えてなどおらぬ。一緒に行きたいとお願いしているのである。
しかし言葉は一向に伝わらぬ。もどかしい限りである。
バートも戸口からずずいと吾輩のほうまでやってきた。
さても弱ったものである。
吾輩をこの部屋に閉じ込めようと二人がかりでかかられては為す術は無い。
主人以外には牙を向いていいかという考えが一瞬頭によぎったが考え直した。
この方も主人の御友人である。手向かうことはよくはあるまい。
さりとてこのまま抑えこめられては如何したものかと考えあぐねているとバート殿が吾輩を見て言葉を発した。
「もしかしソイツ一緒に行きたいんじゃねーの」
それはまさしく天啓であった。
そうなの、とこちらに顔を向ける主人に対し吾輩は首を縦に振った。
これほど前世に感謝したことはあらぬ。
人と猫で言葉は分からずとも、首を振る仕草は肯定と否定を示すものだと分かってくれるはずである。
もしこの世界では縦と横が逆だったらいいえと受け取ったのであろうが、どうやらそうではなかったらしい。
主人は吾輩を優しくおろすと、どうしたものかと小首を傾げている。
「本当に行きたいの?」
その言葉に吾輩は一もなく頷いた。
吾輩はスキルに興味がある。そしてそれはきっとこの宿屋の二階では永遠に手に入らないと思えたのだ。
それならば主人と一緒に外に出かけたほうがいい。
主人の足下をぐるぐると回り猫なで声で顔を擦りつける。
どうか行きたい気持ちをわかって欲しいのだが主人の疑念は払拭出来ないようだった。
「一緒に行くのって危なくない? ここに居させるほうがずっと安全だと思うんだけど」
「でもソイツは行きたがっているぜ。ここにいるのも飽きたんじゃねーの?」
「アタシは反対なんだけどなー。一緒に行くと危ないよ?」
しゃがみこみ吾輩と近い目線で主人が見つめてくる。
吾輩はそれを真っ正面に見返した。
主人が心配するのももっともである。なにせ吾輩は一介の猫である。
剣も持たねば魔法を使える事も無い。身も蓋もない言い方をすれば足手まといである。
しかし吾輩には夢があった。スキルを習得したいという夢があった。
それは前世の想い、人を助けたいという念が何かしら関係しているはずである。
危険ということは扶助の功に繋がる一件も必ずやあるはずである。
勿論己の身は己で守らねばならぬのは事実であった。
だから吾輩は主人に、自分の身は自分で守りますお気になさらぬよう、と伝えようとした。
相変わらずニャアとしか聞こえておらぬようだったがどうやら吾輩の熱意は受け取ってもらえたようだ。
しょうがないとため息をついて主人は身を立てた。
「どうやらこの仔もついていきたいようだけど、良いかな?」
「俺はさっきから別にいいぜと思ってるよ。気にしてんのはお前だけだよ」
「そりゃ気にするわよ。大事な仔なんだもん」
「そんなに大事なら袋にでも入れて置けよ。そうすりゃ大丈夫だろ」
その意見になるほどと主人は頷いて、道具袋から幾つか取り出して空きを作ると吾輩に向かって言った。
「クーロ、行きたいならここに入ってくれる?」
当然了承である。吾輩はその布の顎に喜んで首を突っ込んだ。
身をひるがえせばすっぽりと収まる良い塩梅である。
「まるでミノムシだな」
バート殿がそういって吾輩を指さして笑った。
どうやら吾輩のこの姿がお気に召して頂けたようである。
紐を肩にぶら下げてもらうとますますらしくなる。
「どう? 窮屈じゃない?」
肩口越しに吾輩を心配する主人にむかって吾輩は心配なさらぬようにと言葉を返した。
「大丈夫だってよ」
バート殿が通訳にあたる。その言葉に主人は深くため息をついて肩を落とした。
まだ乗り気ではないようである。
仕方があるまい。人というものは初めての事に対して不安を抱くものである。
しかし吾輩は好奇の方が勝っていた。
あとは主人の迷惑にならぬよう気をつけるだけである。
同道は許可頂けたがスキルについては今だ未知数である。
今回で見事習得というのは流石に虫が良すぎる話であろう。
なれば二回三回といけるように立ち居振る舞いを正すべきである。
ぶらぶらと提げ袋から眺める光景はいつもと違って見えた。
賽は投げられた。いざ出発である。
馬車はガタゴトと揺れてる。
アスファルトなどない時代であるから仕方がないとしてやはりこう揺れるのは億劫である。
この振動で外に投げ出されるのを警戒してか、吾輩は荷台ではなく馬車の中、幌を支える木材に吊り下げれられている。
こう高くては足下に転がり落ちる危険性はなかろうが、そのぶんやはりブラブラと揺れる。
袋から顔を出した吾輩はミノムシではなくメトロノームのように揺れ動いていた。
景色が右から左へ左から右へとゆらゆらゆれる。
どうやら馬車は街を離れて山間の方角へと向かうようであった。
下を伺えば向かい合わせの席に四人が座って旅路を話している。
主人と他三人である。
主人は説明する必要はなかろうが、他三人は説明が必要であろう。
一人はバート、今朝方宿屋に来た御仁である。剣と盾を携えている。
もう一人は眼鏡、以前宿で見たことがある顔であった。この御仁がスルトという名である。
自分の背丈ほど杖を傍らに仲間の話に頷いている。
そしてもう一人。こちらは女人。他のものに比べても身軽な格好をしている。おそらくは手先が器用なのであろう。
ポケットの端から珍妙な道具を取り替え出していればしきり手入れを欠かさない。それでいて仲間の話に混ざっていた。
この方の名はリアである。
そして今更ながら知ったのだが、主人の名前がサラであることは不肖ではあるが本日初めて知った。
まあでもそれは仕方のないことやもしれぬ。
主人と奉公人の間柄なれば主の名を呼ぶことは許されぬ。主人は主人である。
吾輩が名前を呼ばれれば向かうだけであるから、別段名前に関してはとんと無頓着であった。
女二人男二人、そして猫一匹。その一団を送り届ける御者一人と馬二頭。
馬車は次第に傾いていき、山間に入っていったのが分かる。
主人たちはこれからのことを話している。
吾輩は揺られながらその話に耳を傾けていた。
「鉱山まであとひと息とです。みなさんそろそろ準備を」
「あいよスルト。ま、今回も頑張りますか」
「サラ、どうしたの? 気分でも悪い?」
気分というかさあ、と上を見上げた主人と見下ろす吾輩との眼があった。
主人の眼の色には不安さが混じっている。
体調が優れないのではなく吾輩がここにいることが気になるのであろう。
「そんなに気になるんなら、身体に括り付けていけばどうだ?」
バートの発案に他二名は名案だと笑ったが主人はますます不機嫌になった。
「あんたたちねえ、猫を飼ったことないからそう言えるのよ」
「確かに動物は飼ったことはないが、お転婆なら肩を並べて飯食ったことはあるぜ」
「そう、ひらきされて餌にされたいようね」
「おいおい勘弁してくれよ。それにきっとアイツは美食家だぜ」
主人とバートのやりとりにスルトはまあまあと割って入る。
二人はそれを受けて矛を収める。万事この調子なのであろう。
割って入ったスルトの話を他の者は黙って聞いていた。
どうやら鉱山に魔物が棲みついて、主人一行は討ち払いにいくらしい。
鉱山の安全が確保出来たと分かるまで、近くの街で宿泊するそうだ。
今回の依頼はその街からである。
吾輩は鉱山に踏みいったことはないが、未知の場所というのは不安と同時に昂揚感がある。
浮き足だって主人の迷惑にならぬよう心がけたいものだ。
上を見上げれば陽はまだまだ高い。顔を横に向ければ山間部の街並みが見えた。
どうやら馬車の目的地はあれらしい。
主人たちががさごそと身の回りを色々する。
吾輩も興奮で脚をバタバタと袋中で動かすのであった。
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