第12話
吾輩たちは一旦街へと引き返すことにした。街では歓待を受けることとなった。
それというのもゴーレムを倒した報告を聞いて街人が色めき立ったからである。
どうもゴーレムの核となる部分は上質の鉱石のようなもので、研磨すると宝石と同じ価値を持つらしいのである。
もし他にも見つけましたら是非にとのことであったが、主人達は愛想笑いを浮かべていた。
それも仕方があるまい。一匹だけでも全員でかからなければならなかった相手である。
あれにまた相対するのはうんざりするであろう。今度戦うときは複数で無いという保証はないのだ。
ともあれ魔物の群れを討伐してきたことは事実である。
それを受けて主人達にささやかな宴が開かれていた。
依頼は終わってはいない。仕事はまだまだこれからである。
だが労苦をねぎらうための優しさはあっても良いではないか。
主人達は街の申し出を快く受け取り、いつもより豪勢な夕食を囲んでいた。
吾輩はその卓に囲むことはなかった。
主人は居させたかったようではあるが、吾輩はその手をスルリと抜けて中座することにしたのである。
今だ興奮が冷めやらぬ。座ってじっとしている気分にはならなかった。
どうやら初めての冒険が吾輩に飯を食う気分にはさせぬのであろう。
そのまま足の向くままに外に出てみればすっかり夜である。
見上げてみれば星空が良く見えるではないか。
ぶらぶらと歩けばこの熱も冷めるに違いない。
そう考え吾輩は喧騒から遠ざかるように脚を動かしたのであった。
外へと出てみれば人の騒がしさはすっかりとひそめ今や虫の声が聞こえるばかりである。
夜風は幾分か冷たいが気になる程でも無い。
主人達はまだ宴の途中であろうか。
あれだけ動いたのによく腹を満たせるものである。
吾輩は一口つけただけで腹がいっぱいであった。
本日のことは無我夢中であったが主人達に喜ばれたことは確かである。
道中は無能の極みであったが、ゴーレムの件は評価の対象になったらしい。
一行の皆様から猫にしては勇敢じゃないかとお褒めの声を頂いた。
主人は今だに良い顔はしておられなかったが、それでも自分の飼い猫が褒められるのは悪い気分ではなかったようであった。
夜空を見上げて改めて本日のことを振り返る。
果たして吾輩はお役に立てていたのであろうか。
入り組んだ坑道を進む中、吾輩は後ろでただついて行くだけであった。
何もしてないといえばそれまでではあるが、余計なことをしないというのは利巧であるともいえる。
何もしないということは貴重である。おかげで他の方々の動きを観察することができた。
どなたも目を見張る動きであった。吾輩が人の姿を持っていたとしてもあのような機敏さは持ち合わせてはおるまい。
そのなかへ与太者が威勢良く出ても阻害するだけであったろう。
明日はその連携をもっと良く見てみようと思い直した。
連携の流れを掴むことが出来れば吾輩があの場所へと入る余地が見つかるやもしれぬ。
そう考えればゴーレムの件は僥倖であろう。
一同吾輩のことをこぞって褒めていた。
一念岩をも通すという言葉があるが、吾輩の必死がゴーレムに通ったのである。
さりとてこの夜空に吹かれ取り戻した冷静さで振り返れば、稚拙な動きであったことは否めぬ。
浮かれずに反省すべき点はあろう。
クロ殿の球雷が羨ましい。あのようなスキルがあればたとえ硬い岩であろうと伝わったに違いあるまい。
無い物ねだりは浅ましいがとにかく吾輩は藁でも何でも掴みたい心境にあった。
焦ってはならぬと長老は仰った。歩けぬような者が走るまでには相応の時間を要するのである。
逸っても転び怪我を負うのが関の山である。
どうにかこうにか考え事をしながら歩いているとどうもこうも街から大きく離れてしまっていた。
我ながら良く歩いたものである。まだ冷めやらぬ興奮が疲れを感じさせぬのであろうか。
これでは寝入るのにも苦労しそうである。
自嘲気味にすうはあと深呼吸して夜風を吸い込みさて帰るかと踵を返すと違和感に気づいた。
夜の空気に不穏な物を感じたからだ。
改めて感覚を研ぎ澄ませてみるとやはりこちらにむかって来る者が複数いた。
見える距離では無い。だが感じるのだ。
息を殺してじっと潜め周囲を窺うと、やはり草むらをかきわけて街の方へとやってくる存在を感じた。
ただ一回の戦闘ではあったが、吾輩は思う以上に経験を積んだのやもしれぬ。
敵意に猫一倍敏感になっていたのである。
敵は八……いや、十と少し。草を進む歩の運びからして大きさは人より小さい。
吾輩の頭中でその光景が形作られていく。
月の光を浴びて闇夜を進む異形の群れ。その手元には武器がきらめき醜悪な面と月を映し出している。
この異形はゴブリンであると、吾輩は今なら言える。主人たちが宴のなかでそう言っていたからである。
復讐かはたまた報復か。
わかっていることはゴブリンが街を狙ってやってきたということである。
もしや吾輩達のあとをつけてきたのたやもしれぬ。
寝込みを襲われればいかな勇士でも命を取られるのは難くない。
はてさてどうするか。夜風に揺れる草が吾輩の髭をくすぐる。
吾輩は夜陰に潜みてこれからのことを熟考した。
このまま迎え討つ。それはただの蛮勇である。
吾輩は猫である。爪も牙もあるが剣や槍には及ばず。
ましてや多勢である。この考えは浮かぶも直ぐに却下された。
次に考えたのは皆にこの危機を知らせることである。
幸い吾輩は黒猫である。夜に乗じるにもって都合の良い存在であろう。
奴等よりも更に低いこの小躯ならば身を隠すのも造作も無い。
この時ばかりは猫に身をやつしたのを感謝せねばならぬ。
人の身であったなら容易く見つかり草葉の陰になっていたことであろう。
さりとて向こうの方が数は上である。
衆目に気取られるように動くは最もである。
吾輩はそう心がけ、そろりそろりとその場を後にしたのであった。
遁走は思いのほかすんなりとうまくいった。
奴等の気配が小さくなり、街の喧騒が大きくなる。
宴はおさまりかけてはいたが人の姿はまだ見えた。
起きているならば有り難い。完全なる奇襲は避けられるはずである。
吾輩は駆け出でて大声で叫んだ。
奴等が来ること。ゴブリンが武装してやってくることを。
銅鑼声の吾輩を目にとめてくれる人の姿があった。
やあこれで助かった。
そう吾輩は安堵したのであるが、人は吾輩を一瞥しただけで早々に立ち去っていくではないか。
吾輩の警告の叫びを聞いてもなお悠然としているのは大馬鹿か大物である。
皆々様いったいどうなされたかと訝しがったが、すぐに気づいてしまった。
吾輩は猫である。人語を話せぬ猫であった。
吾輩が人語を解し叫ぼうとも、その泣き声は人にとってただニャアニャアと聞こえるばかりである。
いやはや弱った。こうしている間にも奇襲部隊が街へと近づいているはずである。
どうするべきか。頭の中を焦燥と危惧がぐるぐると駆け巡る。
その靄の中浮かんだのはやはり主人の姿であった。
主人、主人ならば如何様にもしてくれるに違いない。
吾輩はそう決意し、そこへと駆けつけるべく急いだのである。
有り難いことに主人は街を出る時と同じ場所に居られた。
他の方々と一緒に卓を囲んでおられた。
すでに食事はすませたようで歓談に耽っている。
吾輩は卓の上へと飛び込むように駆け登り主人にむかって事のあらましをまくし立てる。
だが主人は困惑の顔を浮かべているだけであった。
「どうしたのクーロ?」
吾輩のただならぬ気配を察してはくれるがそれが何なのかは理解されていない。
意志の疎通が出来ぬことがもどかしい。
敵が街まで攻めてきた。ただそれだけの事を伝えるだけなのに吾輩は全くの役立たずである。
あまり時間が無い。
うかうかしては奴等は街中へと侵攻し手当たり次第やらかすに相違あるまい。
どうすればよいかと考えた吾輩は主人の剣の柄を咥え引っ張ろうとした。
引き摺ってでも街の外へ案内出来ればと思ったのだが流石主人の業物である。
吾輩では運ぶことは出来なかった。難儀している吾輩をひょいと主人が持ち上げた。
「おいたしちゃ駄目だよ」
微笑むその顔は優しい。この御仁を凶刃に斃す訳にはいかぬ。
すでに閨に入っている人もいるだろう。
略奪の対象となればその方々もただではすまぬ。
吾輩はもがいた。なんとか危機を脱出しようと考えあぐねた。
その結果不孝をおこなう運びとなってしまった。
吾輩は爪をたてて主人の胸中から脱せおおせたのである。
「クーロ?」
主人が信じられないといった顔をしていた。それも当然であろう。
宿屋の居候となって主人の禄を食んでいる身となっていた吾輩は反攻したことなど一度もない。
風呂に連れて行かれるときも医者に診せられたときも刃向かったことはないのである。
だから主人は吾輩を大人しい猫だと思っていた。
だが危険は迫っているこの現状にかしこまっている訳にはいかぬ。
溺れる者は藁をも掴むのだ。危機を知らせるためには吾輩は何を掴めばいいか模索した。
なればと吾輩はスルト殿の杖を狙った。これならば剣より軽いはずである。
一同が吾輩の乱心に動揺している間隙をついて杖を奪取するのに成功した。
流石スルト殿のも業物である。まるで羽毛のような軽さである。
これならば、と吾輩は咥え勢いよく駆けた。
主人達より距離を離したところで一度立ち止まり振り返る。
首をブンブンと振り再び街の外へと駆けだした。
ついてこいという意図が伝わってくれれば、あるいは取り返しに来てくれれば。
そう思いながら吾輩は来た道を引き返し駆け征くのであった。
逸る気持ちを四肢にぶつけながら戻ってみると、敵勢はすでに街へとさしかかろうとしているではないか。
武器をきらめかせ、御丁寧に弓には火矢をつがえている。
あれを狼煙として攻め入る腹なのであろう。
灯りにもなる武威を見せつけるには十分な働きである。
吾輩といえば猫一匹。咥えた杖は武器にもならぬ。
無我夢中でここまでやってきたが対抗する手段はない。
しかしあのままに任せておけば戦火は必ずや街を侵すであろう。
ここに至って吾輩は覚悟を決めた。身を潜めるのは終わりである。
吾輩はそのまま駆けて敵集団へと突っ込んでいった。
向かってくるのにも奴等は気づく。
弓を構えた数匹が街側ではなく吾輩へと矢をむけてくる。
望むところである。家屋ではなく吾輩を狙いたまえ。
那須与一であれば吾輩をやすやすと射抜けただろうが所詮は賊軍。
来るとわかっている物を避けられれぬ訳がなかろう。
唸りをあげて一本、二本と吾輩の傍を通り過ぎていく。
あの矢が建物に刺さっていれば眠りについていた住人ともども大火を生じさせていたところであった。
それが数本。無駄に地面に突き刺させることに成功した。
吾輩は役を立てたのである。戦の昂揚と達成感が吾輩の身体を駆け巡る。
この満足を抱いて死ねるのである。何の後悔があろうことか。
吾輩の勢いは止まらぬ。そのまま前で突っ立ているゴブリンの一人へと体当たりを敢行した。
致命をあたえることは適わなかったが、体勢を崩すことには成功した。
すると敵は明確な敵意を持って吾輩のもとへと向かってくるではないか。
敵はおそらく街へと攻撃する意図をもってやってきたのであろう。
それがたかが猫一匹に殺到するとは何事であろうか。
吾輩に相対するほど貴重な時間を失うのである。
こちらが対策出来る時間を与えてくれるのである。
これが笑わずにいられようか。呵々大笑とはまさにこのことである。
杖を咥えながら吾輩は相手勢へと向き直った。
この爪と牙がいかようにまで通用するかはわからぬが、やってみる価値はある。
吾輩は夜空に浮かぶ月のごとく目を光らせ奴等に威嚇の声を浴びせようと試みた。
小物であろうと気負いは負けてないつもりであった。
思いの丈を吐き出そうと四肢に力をこめ口を大きく開ける。
そこで杖の存在に気づき落とさぬ訳にはいかぬと思ったので背に乗せることにした。
これで準備は万端である。
せめて一太刀ならぬ一喝して逝こう。
そう達観して吾輩は大声を上げたのである。
声をあげたつもりであったが声にはならぬ。
代わりに衝撃が走り全身が膨らんだような感覚に陥った。
吾輩の毛が逆立ち衝撃がが四方八方に抜けていくように思えた。
突然の衝撃に吾輩は驚いたが、敵方も驚いたことであろう。
光の衝撃が吾輩を中心に広がり、その波動に当たった敵は光円から弾き飛ばされたのであった。
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