第五話 賢也の魔法

死んだ


と賢也は思った。だが、現実は違った。そのドラゴンは彼の30cmぐらい前の空気を噛み付いただけだった。そして、その空気を噛み砕いていた。


考えづらいがそのドラゴンが距離感を間違えたのかと賢也は思ったが、そのドラゴンは賢也のことを食べていないのに、まるで食べているように口を動かし咀嚼していた。


そして、獲物を完全に噛み砕き、満足した顔をしている。とても間違えたようには見えなかった。


賢也は最初何が起きているか分からなかった。しかし、先程までの自分いや、異世界に来てからの自分に起きた出来事を思い返すと、一つの仮説を出すことが出来た。


俺の魔法は幻覚を見せる魔法なのではないのかと。


賢也の予想はその通りであり、賢也が飲んだ泥水も賢也が見た洞窟もどちらも脱水症状と睡魔の限界で、魔法を無意識に自分に使っていたのだ。


賢也は大喜びした。ドラゴンから逃げられることもそうだが、魔法を無意識とはいえ使うことができたからだ。


その魔法で出来た隙を狙い賢也はゆっくりゆっくりとドラゴンが距離を取った。


まだ、ドラゴンは咀嚼の最中である。幻覚の賢也をいたぶっているのだろうか。それでも、まだバレていないので賢也の眼には希望が戻った。


しかし、良い事の後は大抵悪い事が起きるものである。賢也は突然吐血した。それも物凄い量であった。それは血の水溜まりができそうなくらいだった。


「えっ」


と困惑した声を出した瞬間、身体中が痛み出した。その痛みは賢也が経験した中で最も痛いものであった。ここまで長い距離を歩き、走った結果、さっきから筋肉痛があったがそんなものは全く比べものにならないくらい痛かった。痛みは内側からズキズキと響いていた。


「い…たい」


と必死に声を押し殺しながら言った。ここでドラゴンに賢也が生きていることがバレたら、今度こそ終わりだ。痛みに悶えながらも賢也は必死に頭を回転させた。


幸いなことにまだドラゴンは賢也のことを認識していない。その上、獲物を食い殺せて喜びの咆哮を上げている。しかし、賢也の魔法がどれくらいの持続時間か分からないため、必死に打開策を考えていた。あわよくばこのまま見つからず、どこかに行ってほしいと賢也は思った。


しかし、現実とはそう甘くないものである。ドラゴンは急に賢也の方をじっと見た。賢也はその瞬間固まった。


ドラゴンは賢也のいる地面をじっと見つめている。そのドラゴンの瞳に写っているのは何も無いところからポタポタと滴る血と血の水溜まりである。


「くそ、くそくそ、ばれたぞおぉぉ」


賢也はバレたことに落胆しつつも頭を必死に回転させていた。この状況を打開するために。


賢也が必死に考えている間に、ドラゴンは遂に賢也の実態を捉えることができたようだった。ドラゴンも驚いたことであろう。獲物を完全に噛み砕き胃の中に入れたと思ったら、また目の前にその獲物が血を吐きながら現れたことに。


確かにドラゴンも驚いたが、獲物が生きている以上再び襲うだけである。ドラゴンは賢也がいる場所目掛けて突進をしてきた。


賢也は逃げようとしたが、痛みにより体が全く動かなかった。


賢也は最後の賭けに出た。もう一度魔法を使うようにイメージした。今度は無意識ではなく、意識的にできるように。


「イメージしろ!! イメージしろ!!

さっきのをもう一度だ!! 」


ドラゴンは突進しながら大きく口を開けた。

何十本という鋭い牙が煌めいている。賢也は右手を前に突き出し、魔法を出そうとしていた。


それ目掛けドラゴンは突進していき、賢也に噛み付いた。血が当たりに撒き散らされる。しぶとい獲物を殺した


と思ったら、ドラゴンは自分の異常に気づいた。口の中に物凄く不快な感覚が広がる。


その不味さにドラゴンは地面に倒れじたばたした。


「ふぅふぅ 死ぬところだった」


賢也は無事であった。あの咄嗟の瞬間に魔法を意識的に使うことに成功していたのだ。流石、完璧人間である。


賢也はまず、自分のいる場所に幻影を作った。そして、その幻影を見せたあと、賢也は最後の力を振り絞り後ろに移動した。ここは本当に火事場の馬鹿力であった。ただ、火事場の馬鹿力と言えど実際に移動できたのはほんの数十センチだった。しかし、この数十センチが命運をわけた。そうとも知らないドラゴンが、賢也の幻影に喰らいついた。その喰らいつく瞬間に、賢也はそのドラゴンの口目掛けて、あの泥水を投げ入れた。


「あんなに不味かった水だ。りんごを食ってぬくぬく育ったようなお坊ちゃまには、ちと刺激が強いぜ」


賢也はそう自慢げに言った。ただ、賢也の体はもう限界だった。右目からは血が出ていて、吐血もさっきと同様に大量にしていた。ただでさえ、限界であった体を無理やり動かしたのだ。もう一歩たりとも動けなかった。賢也はうつ伏せに倒れていた。


賢也はドラゴンが自分を諦めてくれることを願うしかできなかった。


ドラゴンはまだ悶えていた。地面を転げ回っていた。その間、賢也は祈ることしか出来なかった。


そして、数分後再びドラゴンは立ち上がった。健也はそのまま同じ場所にいた。


賢也は諦めてくれることを願っていた。


しかし、現実は非常なり。ドラゴンは起き上がり、ますます怒りを顕にした。目はさらに血ばしり、怒りの咆哮を上げていた。


そして、ドラゴンは周りをじっくり見ていた。ドラゴンは知恵があるのか、特に血の水溜まりを探していた。


ただ、その行動は賢也の読み通りだった。賢也は先程、賢也の幻影を見せると同時に、幻影に血を撒き散らさせて、地面に血の幻影を大量に作ったのであった。ただ、その幻影を作ったせいか分からないが、賢也の身体中の穴という穴から血が出てきた。


ドラゴンは辺りを動き回った。血がある所をとにかく見て回っていた。獲物を見つけるために必死だった。賢也は一度踏まれそうになったが、何とか踏まれなかった。強運であった。


ドラゴンは怒って木に八つ当たりをしていた。そして、諦めて帰っていた。


賢也はガッツポーズをした。


「逃げ切ったぞおぉ」


賢也は心から喜んで叫んだ。


それが不味かった。ドラゴンは再び賢也の元まで猛スピードで戻ってきた。このトカゲ野郎は賢也を騙したのである。このトカゲもかなりの切れ者であった。


そして、賢也がいる場所をじーっと見ていた。そのドラゴンが見ていたのは数秒間ほどであったが、賢也にとってはとても長い時間のようであった。そして、ドラゴンは遂に賢也の実体を捉えた。


そうすると、ドラゴンはニヤリとして、賢也に向けて猛スピードで突進してきた。勿論口を大きく開けてである。


賢也は絶望した。もう万策つきていた。体は動かないし、もう魔法を使おうにも使えそうにはなかった。本当に終わりだった。


どんどんドラゴンが近づいてきた。もうドラゴンの口がそこまで来ていた。賢也は色々なことを思い出していた。暗い家庭のこと、学校のこと、様々であったが、賢也にとってはつまらない思い出であった。


「もう終わりだ」


賢也が死を悟った瞬間、賢也の前に誰か現れた。外套を被っているため、顔は見えなかった。その人物は賢也を守るように、突進してきているドラゴンの前に立った。


そして、剣を鞘から抜き剣を構えた。


そこからは一瞬だった。突進してきていたドラゴンは賢也が瞬きをした後、細切れになっていた。それまで生きていたドラゴンは一瞬で肉の塊になった。


その時、外套が風に吹かれて顔が見えた。


その人物は炎のように赤い髪の女であった。この出会いを賢也は一生忘れないだろう。






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