第四話 少女の歌声とドラゴン
賢也は希望に溢れていた。足取りも先程より軽快だ。いつもは他者を見下している彼もこの時だけは全ての命に感謝していた。
「葉っぱさん、木さん、地面さん、僕を生きさせてくれてありがとう」
こんな恥ずかしい台詞を言えるくらいであった。そんな感じで何時間か歩いていると、木の様子が変わった。
今までの木は果実など何もなっていなかったが、今いる場所では何か緑色の物がなっていた。形的にはりんごに近い気がした。食べるには少し熟していないような気がするが、食べてみることにした。
「あまり美味しくはないが全然食べれる」
とその実を少し貶しながらもばくばく食べた。腹が膨らんできたところで、ふと熟した実を食べたくなった。そのため、賢也は熟した実を探しながらまた歩き出した。
すると、賢也の進行方向の少し先から歌声のようなものが聞こえた。
賢也は草陰に隠れて、様子をうかがってみた。そこは開けた場所で、その場所には10歳ぐらいの女の子がいた。その女の子は聞いたこともない歌を歌いながら、落ちているリンゴのような実を拾っていた。そのリンゴは熟しているようだった。
「中世の村娘みた…」
そう言いかけた賢也は固まった。なぜなら、木のせいで若干見えずらいが、その村娘の3m先ぐらいに5mは優に超えるドラゴンが寝ているからだ。村娘は気づいていないのか、りんご取りに夢中のようだった。
「落ち着け、落ち着け、まだドラゴンは寝ているだけだ。大きな音さえ出さなければ大丈夫」
そう言ったのは束の間、村娘はサビなのか分からないが、歌声を上げた。その瞬間、ドラゴンの目はぱっちりと空いた。
「まずい、まずい起きちゃったぞ。いや、でも待て、この世界は村娘でもドラゴンを飼いならせる世界なのかもしれないぞ」
と淡い期待を抱きながら見ていた。正直言って、賢也はあのドラゴンを見た瞬間から蛇に睨まれた蛙のように体が動かなかった。
しかし、どう見てもドラゴンは村娘を食おうとしている。獲物を狙う目であった。そして、ドラゴンは立ち上がった。その大きさは凄まじく、賢也はビビってしまった。ラノベの主人公なら助けに行くのだろうが賢也は
「俺には関係ない関係ない!! あの娘が気が付かないのが悪いんだ」
と自分を正当化していた。クズである。
しかし、その瞬間、クッキーのことを思い出した。
「あのクッキーだってあの後輩が断られるかもって、怖がって渡さなかったら俺は死んでたかもしれない。それでも、彼女が臆することなく渡してくれたから俺は生きれたんだ。だったら俺も、彼女が勇気を出したようにここで勇気を出さなければ、彼女に会わせる顔がない」
と普段の彼なら考えないようなことを言った。
「それにここであの娘が死ねば、誰が俺の冒険譚を聞くんだ」
そんなことを考えている間にドラゴンは大きく口を広げて娘を食べようとしていた。ここまで近づいても村娘はドラゴンに気づいている様子はなかった。
気づいてくれよと思いながらも、賢也はそこらに落ちていた長い木の棒を拾った。
そして、賢也はその棒をドラゴンに向けて槍投げのように投げた。その木の棒はドラゴンの眼に刺さったようだった。賢也が運動神経などなど、何でもできる完璧人間だったのがここで活きた。
ドラゴンが泣き叫ぶ。首を横に振り、木の棒を抜こうとしていた。
村娘もそのうるさい叫び声でようやく自分に危機が訪れていたことに気がついたようだった。そして、娘は泣き叫びながら逃げていった。
それを見て賢也は安心したが、安心したのも束の間、ドラゴンは賢也の方をじっと見つめていた。その眼は刺さった木の棒が抜けたのか赤く充血しており出血もしていたが、眼差しは鋭く怒りに溢れていることが感じ取れた。そして、そのドラゴンは追いかけてきた。それは物凄い速さだった。
「人助けなんてやるもんじゃなかったあぁぁ」
と叫びながら賢也も走り出した。そして、その跡をドラゴンが追ってきた。
追いかけっこが始まって数十分後、彼はこう思うようになった。
どうしてこうなった?
彼は走って、走って、走りながらそんなことを考える。もう何キロ走ったか、分からないぐらい走っている。しかも、ただ走っているのではなく常に全力疾走だ。これが体育の授業の持久走ならとっくに走るのを辞め、木陰で休んでいるだろう...。
しかし、今は休むことは出来ない。何故かって、足を止めてしまった瞬間、彼の命の鼓動も止まってしまうからだ。彼の後ろにはドラゴンと呼ぶのが相応しい怪物が、目から血を流しながら追いかけている。体長は5メートルをゆうに超えている。そんな巨体が近くの木々を押し倒しながら追ってきている。映画顔負けの迫力だ。
その上、その生物の口には鋭い牙が何十本、いやひょっとすると何百本と生えていている。そして、その牙と牙を時折、カチカチと鳴らしている。その音が彼をいっそう恐怖させ、走らせる。
ただ、幸いなことに翼は退化しているのか、飛んで追ってくることはしない。しかし、足がとにかく早い。彼が一瞬でも全力疾走を辞めれば、その瞬間見える景色は汚い爬虫類の口の中であろう。そんなのは御免だと彼は考える。だから走る。一にも二にも走る。走っていれば助かるはず。
彼は一寸の希望を抱きながら走る。
しかし、現実は非情なり。彼は転んでしまった。普段なら転ぶことも無いような木の根っこだが、今の極限状態と疲労困憊のせいで転んでしまった。
彼は全身の血の気がひき、命の終わりを感じた。しかし、まだ死んでいなかった。そのドラゴンはあろうことか獲物を追い詰めたことを祝うかのように、雄叫びを上げていた。そんなうるさい叫び声を背に彼は後ずさりをしていた。普段はカッコつけている彼でも今はとても醜く、ダサく後ずさりをしていた。頭が正常に働いていたら、今すぐにも走り出すのだろうが、彼にそれは出来なかった。とにかく恐怖していた。ほんの数日前まで日本という国でぬくぬく育っていた男だ。死というものを一瞬たりと感じたことはなかった。
しかし、初めて死ということを感じ取った瞬間、身体中をガタガタと震わせてビビっていた。助けを呼ぼうとしても震えのせいで、声にもならない音が鳴っているだけだった。そうすると、それを嘲笑うかのようにドラゴンはニヤリとした。狩人として、獲物が弱っているところを見るのは楽しいのだろうか。はたまた、目を怪我させた張本人を殺せて嬉しいのだろうか。それは定かではないが、狩人もそろそろ獲物を頂こうと近づいてきた。
どしどしとさっきの速さが嘘のようにゆっくりとゆっくりと動いている。まるで、彼を怖がらせることを快感に思っているようだった。口がもう三十センチメートル前まで来ていた。もう臭いなどの感覚なんてものはなく、あるのは絶望だけだった。何か打開策を考えようとする力もなく、ただただ自分の死に方がダサい死に方だなと考えていた。そして、ゆっくりと力強くドラゴンは噛みついた。
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