第29話 その邪龍はひとつ咆哮した

 翔輝の生まれ故郷まで、今日も険しい山道を歩く。私は身体強化の魔法をかけ続けたおかげで、旅の始まりから考えて、あと少しで元の自分に戻れるくらいになった。


「ベスはやっぱり、綺麗だね?」

「痩せたからですか?」

「違うよ? もちろん、それも申し分ないけど、歩き方とか仕草がだよ。さすが、ご令嬢。ボロの服を纏おうが、気品だけは無くならない」

「……お世辞がうまいこと。翔輝はずいぶん馴染んでますよね?」

「まぁ、処世術ってやつだから」


 笑っているが、正直なところ、翔輝は王族には見えなかった。粗末な服を着ているからなおのこと、その場その場に自然と溶け込むように馴染む。


「ベスは東の国をどう見る?」


 突然の質問を「そうですねぇ……」と考える。


「書物で読んでいたよりずっと好きになりました! 建物は奥ゆかしく、人も主張しすぎず、察する文化ですか?」

「あぁ、そういうところあるよね? もう少し、自己主張はしてもいいと思うんだけどな」

「そうですよね? 私、戸惑いました」

「その点、うちにいるのは……自己主張の塊のようなものばかりだから、別の心配はあっても、大丈夫だろう」

「お屋敷にいる方々ですか?」


「そう」と懐かしそうな目をして、思い出しているようだ。

 穏やかな日差しを受け、たわいもない話をする。翔輝の故郷が近くなればなるほど、翔輝の昔話が増える。


 相当、ワンパクだったようですね。今もその鱗片は見え隠れしますけど……。


 チラッと翔輝の方を見て微笑んでいると、シャドウがうなり始める。翔輝も警戒を強めた。

 私は素早く身構え、いつでも戦えるようにする。


「ベス、この気配はここいらで頭ひとつ分強い魔物だ」

「大丈夫です! 私に任せてください!」


 力を過信していたわけではなかった。姿を現したそれは、大きな口をひらけ、涎を垂らしている。トラによく似たその魔物は、勢いよく、私たちに襲いかかってきた。


「シャドウ!」


 先に駆けて行き、トラの喉元へと飛び込んだ。大きくなったとはいえ、まだ、そのトラに比べれば小さく、ぶら下がって振り回されている。

 私は頃合いを見て最大火力の炎の魔法を放った。シャドウとは意思疎通が取れていたので、タイミングを見てトラが振り払うのを利用して離れた。


「命中したわ!」


 油断していたわけではない。ずっと私は目を離さなかったし、シャドウもそうだ。

 ただ、戦闘経験の少なさが私を死へと誘おうとしていた。


「ベス!」


 翔輝が私を庇うように抱き、トラの爪が背中に食い込んだ。


「そんな、そんな! 翔輝!」


 一瞬の出来事で私は混乱してしまい、頭の中は真っ白になった。「大丈夫。ベスならできるよ」と落ち着いた声の方を見れば、みるみるうちに生気がなくなっていく翔輝。

 ガタガタと震えるしかできない私の手を握り、体温を分けるように魔法を流し込む。最初、反発をしたが私の魔力と体の中で混じっていく。


「……悪、い。倒して、くれ……」


 コクッ頷く。手の震えは消え、翔輝をその場に座らせた。私は与えられた魔力と自分の魔力を最大限に体の中で練り合わせた。パキッと何かが欠けるような音が体から聞こえてきたが、気にしない。今は、私たちが生き残るための戦いだから。


「負けないわ!」


 ガルル……と、未だ火が消えていないトラに最大火力を超えた灼熱の炎をお見舞いした。地獄の業火のような炎がトラを焼きつく。


「翔輝、終わりましたよ! ほら、私もシャドウも元気です!」


 上から覗き込むように翔輝に話しかける。でも、指を動かすことすらできず、虚な瞳に私が写った。

 次の瞬間、翔輝の周りを黒いモヤのようなものが囲い、私は払っても払っても払いきれないそれから翔輝を守るようにしたが、来るべきときがきてしまったようだ。


 ……黒い鱗が! 


 死にかけていた翔輝は息を吹き返しはしたが、龍化が始まった。骨を砕くような音、地面をのたうち回る翔輝を抱えこみ抱きしめる。


「ダメっ! 龍になってしまっては、ダメよ! 翔輝!」


 押さえ込もうにも力が強く、私は弾き飛ばされる。何度も何度も繰り返すうちに体はボロボになり、肋骨も何本か折れているだろう。右足の骨も折れ、それでも這って翔輝に近づいた。


「目を覚まして!」


 私の声に応えることはない。ガルルル……と獣のような声にかわり、もう、体は邪龍に支配されてしまっている。

 再度、翔輝の頬に手を伸ばした。そのとき、太く鋭利になった邪龍の爪が私の心臓を貫いた。

 パリンという音が、その場に響く。


「……しょ、……き……」


 刺さった爪を私の心臓から抜き、天高く登っていく翔輝。私を振り返りもせず、その邪龍はひとつ咆哮した。

 天が割れ青かった空が真っ暗になった。その真ん中で、赤々とした目を爛々とさせたその姿に私は見覚えがあった。


 ……私を変えたのは、あなただったの?


 屋敷を追い出され、辛い思いをした。父に見放され人々に笑われても、手を差し伸べてくれた翔輝だけは信じてみようと旅に出た。

 ……裏切られた。それが真実だ。


 ……信じたくない。あの日、私に魔法をかけたのがあなただったなんて!

 酷い! 私が翔輝に何をしたというの? あの日、初めて出会ったはずよ!


 涙が溢れてくる。この数ヶ月の楽しかった旅、好きだと言ってくれる翔輝、あの日の悔しさや辛さを思い出して。


 ……私も翔輝のことを好きだったのに。


 魔力が急激に上がり、貫かれた心臓だけでなく、身体中が再生していく。元通りの私になったとき、天高く鎮座する邪龍を睨んだ。


「シャドウ!」


 ボロボロになっていたシャドウも私の魔力を吸って全快となっている。呼べば私の元に来て、顔を擦り寄せてくるので、顎を撫でてやる。


「飛べる?」


 単純な話、私は人間だ。風の魔法で飛べる可能性はあっても、今は試している暇はない。

 返事を待ち、シャドウに跨った。


「待っていて、私が翔輝の巫女になってあげますわ! そのあと、存分に詰らせていただきます!」


 私は涙を拭き号令をかけると、シャドウは天をかけた。


 伝承どおり、邪龍の巫女は天狼と共に、邪龍と戦うため対峙した。

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