第24話 天狼の末席

「……犬ですか?」

「犬がこんな山奥にいるわけないだろう?」


 どう見ても犬にしか見えないそれは、私と翔輝を見上げている。傷もすっかり癒えたのか、調子もよさそう。毛玉だったそれは、元気になったようだ。


「……うーん、聞いたことはないけど、犬神とか天狼とかの部類か? でも、それなら東の国の方の話ではないのか?」

「東の国にはそういった魔物がいるのですか?」

「魔物と言うより神だ。山を守っている高位のほうの。そこいらの魔物なんて歯牙にもかけないだろう。それに、深い傷を負わされていたということは……弱くて捨てられたか、他所から流れてきたのかもしれない」

「……そんな。どうしましょう?」


 私はただただ、その子を見つめることしかできない。触れてケガをすれば、翔輝に迷惑が掛かるので、どうしたものかと悩んでいると、ふと頭の中に言葉が聞こえてくる。


「翔輝、今、何か言いましたか?」

「いや、何も。どうかしたの?」

「いえ……声が聞こえたような気がしたので……」


 頭をフルフルと二回振ると、また、声が聞こえてくる。今度はちゃんと聞こえてきた。


 ……そこの女子。手当てをしてくれてありがとう。我に触れてみよ。


 私は周りを見渡して、もう一度翔輝に話しかけようとして辞めた。間違いようがないのだからと私は目の前にいる黒いものの前に向かう。


「ベスっ、危ないから!」

「……大丈夫です。信じてください」


 私を引き戻そうとする翔輝を諫め、その子の前で膝をついた。そっと手を差し伸べると、頭をすりすりと寄せてくる。その仕草を見るだけで、頬が緩んでしまいそうなほど可愛い。


「翔輝、大丈夫そうです」

「……ならいいけど」

「はい。あなたのお名前は?」


 私が問いかけると何も返事がなく、ただ沈黙だけ。その後、頭の中へゆっくり言葉が流れてくる。


 ……我に名はない。天狼の末席であったが、力が弱く捨てられ……そやついうように、東の国から逃げてきた。こちらでも、散々な目に合った。


 傷ついた体のことを考えていたのだろう。その天狼は、少し寂しそうな表情をしているように見えた。私に何かできることはあるだろうか? 考えてみても、私が世話になっている身。翔輝に話して許可がなければ、ここでお別れになるだろう。東の国の出身である翔輝なら……理解してくれるのではないかと期待を込めて話すことにした。


「いい子にしていて。私もお世話になっているのだから聞いてみるわ」


 コクと頷く天狼は行儀よく座り直している。その姿はとても可愛らしい。


「ベス? さっきから大丈夫?」

「えぇ、大丈夫です。頭の中に直接話しかけてくるので、それで……」

「なるほど、念話が使えるのか。何かわかった?」

「先ほど、翔輝が言ったとおり……天狼の末席だと申しています。名はないと」

「そう。それで?」

「……連れて行ってもいいですか? その、ここに置いて行くのは」

「そういうと思った。でも、神になりうる子だからね……力はいつか開花するかもしれない」


 私はどういうことですか? と視線で訴えると、説明をしてくれた。可能性の問題らしいのだが、ないこともないらしい。


「天狼の一族は、邪龍に対抗した一族の末裔でもあるんだ。邪龍復活が目の前に来て、邪龍と対等に渡り合える力のある天狼は未だいないとされている」


 そんなことないです! 親父どのは、邪龍なんかに負けたりしない!


「そうかな? 昔、戦ったことがある。それも生身のままで……それで、勝ったんだ」

「翔輝がですか?」

「そう、俺の魔力は邪龍の神力と言ってもいい。まぁ、ギリギリの戦いではあったけど……幼くして勝った。それが、どういう意味か分かるかい?」


 私は首を横に振る。天狼は意味が分かったようで項垂れていた。天狼の頭を撫でてあげ、私は翔輝に理由を聞く。


「簡単なことだよ。天狼の神力が弱まっているんだ。何百年と生きる彼らは、年々力を弱めて行っている。幼い子どもの俺でも勝てたというのは、そういうこと。年を重ねた俺は、天狼の長に勝った日の比ではないほど強くなっている。ベスに出会って新しい魔法も覚えたというのもあるかな?」

「そんな……それじゃあ、どうしたら?」

「わからない。ただ、史実に基づくなら、天狼の一族が邪龍に対抗したとなっていたが、たぶん違う。邪龍の巫女に付き従った天狼がいたと邪龍の記憶にはある」

「……邪龍の記憶。邪龍の巫女に付き従った天狼……」

「記憶が定かではないが、群れから離れ、巫女に育てられた唯一無二の天狼だな。邪龍と共に封印され命を落としている」


 私は手の温もりを感じながら、当時のことを考えた。『東国伝記』には、詳細は記されていないものの、巫女の話は載っていた。そこには確かに黒い狼と書かれていた一文があったと思う。もしかして……それが? と、天狼を見た。ただ、自身でも弱いというのに、期待はできない。私は、邪龍の巫女を探す手がかりだと内心喜んだが、それほど楽観的な話ではないことに肩を落とす。


「その天狼はなんて言っている? ついてきたい?」

「……どうですか?」


 ……一緒に行く。東の国へ帰るのだろう? 邪龍と共に。


 天狼には何が見えているのだろう。私は翔輝のことを言ったわけではないと思っていたのだが、どうやら見抜いているようだ。


「ついてくるなら、名で縛るくらいはさせてもらいたいな。街中で暴れられても困るし、暴走したときに従う人がいないと処分しないといけなくなるからね」


 ……わかった。それなら、その女子に名をつけてもらいたい。


「私にですか? でも……」

「いいんじゃない? 望んでいることだし。能力は名で縛ったあとわかるから、それで」


 お荷物な私以外にも、翔輝の道連れが出来た。私は少し嬉しく思い、少し申し訳なく思った。

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