34話

「アイテムを使ったからです」


「そうだとおもいました。悪魔に魂を売ることと変わりないですもんね」


 だから最初に聞いたよなあ?!

 と俺なら言うところだ。山田さん、大人すぎる。


「はい。これは俺が書いたとは言えません。なにか宇宙の意思で、勝手に書かれたような感じでして」


「だから、世に出さないと?」


「そうです、出したくないんです。俺はもう作家を辞めようと思います。やっぱり向いてないんです。山田さんの昔話を聞いて、決心がつきました。どこまでいっても、俺は甘い。自己満足で生きてるんです。次も書きたくありません」


「……すみません、そんなつもりでお話したわけでは」


「わかってますよ。責任を感じてもらいたい訳じゃなくて。心底違うなと思ったんです。俺はきっと、尼崎先生になりたかっただけなんです」


「……」


 山田さんは苛立つ様子も見せず、俺の言葉を待ってくれた。


「つまらない人生だと思っていた当時学生の俺を、たった一冊のフィクションで最高の日々に変えてしまった。今度は俺がそんな影響を誰かに与えたい。でもそれは、俺の力でなんです。つまり、それこそ全部エゴだったんです。誰かのためになれるなら、俺は悪者になってもいいなんてこれっぽっちも思えない。こんな卑怯者が作ってしまった作品なんて、尚更世に出したらいけないんです」


 山田さんは息を呑んだ。そして、ギブスで固定された右手を、左手でさすり、窓の向こう側の遠い景色を見た。


「……甘い夢を見ていたのだ。それは、乾いた大地が聞く雨音の幻聴。死の直前に見る幸福の残像。そう思う他、ないのだ」


山田さんは震える膝で立ち上がった。

それは、俺の大好きな青い閃光の一節だった。


「山田さんも蒼い閃光を覚えるほど読み込んでたんですね。もしかして担当だったんです?」


「いえ、違います」


 違うんかい。皐月の態度からもしかしてそうかもと最近思ってたけど。


「そうだ、この初版! もう一冊あったりします? いや、作品出さないとか言いながら頼むのは心苦しいですが__」


「今葛城先生が感じていることと同じです。俺がアイテムを使い執筆する気持ちを謳った文章です」


 山田さんは俺の言葉を遮り言った。


「え? どういう意味ですか?」


「山田としては説得出来ないと判断しました。そして決心しました。葛城先生の気持ちが誰よりもわかってしまうから」


 ……この人は、作品のためなら人の踏み込んではいけない領域に土足で入り込む人だと言うことを忘れていた。家にも勝手に入るし。さっきの涙でほだされたしまったようだ。


「……その冗談は笑えないです。俺がどれだけ尼崎先生を敬愛しているのか、ご存知ですよね」


 わかってほしかった。それ以上、その嘘は耐えられない。山田さんを嫌いになりたくなった。精一杯の誠意ある本心をぶつけた。山田さんならわかってくれる。そういう信用もある人だった。


「尼崎は俺の本名であり、ペンネームです。山田が偽名なんです。黙っていてすみませんでした」


 それなのに、間髪入れずに山田さんは答えた。


「嘘だ、嘘に決まってる。そういえば俺が納得すると思って……思って……」


山田さんはまっすぐに俺を見据えている。その瞳は潤んでいた。明確に、憐憫と愛に溢れた瞳だった。全身の鳥肌が教えてくれる。直感は先に理解した。それでも、信じられなかった。


「本当、なんですか」


「はい」


 手足が震え出した。ずっと憧れていた人がそばにいて、俺を支えていてくれたなんて。


「俺は、ずっと貴方に会いたくて」


「ええ、聞いてました。居酒屋で何度も」


 優しく笑ってくれた。


「何度も救われて」


「はい。知ってます。書籍化したら本の帯で俺への感謝を伝えたいんですよね。流石に黙っていた時、罪悪感がありました」


 だとしたら、俺は一体誰の右手を、執筆の利き手を万年筆で貫いて……


「ああ……! あああ! 右手、俺を庇って出した右手が」


 俺は手に触れようとして、慌てて引っ込めた。触ったら痛いだろうし、何より簡単に俺が触れて良い人ではない。どうしたらいいかわからなくなった。今すぐに傷を入れ替えたい。


「ああ、これですね。気にしないでください、むしろ感謝しています。俺はあの時、ずっと手放せなかった執着を手放せました。どこかでまた書きたいと思いながら書かない自分を、せめていたんです。なので、書けなくなってホッとしたんです」


「なんで、どうして……」


「ずっと出版したことに罪悪感がありました。高層階のアイテムの効果は葛城先生のソレを大幅に越える代物です。だから蒼い閃光をアイテムなしで超えなくてはと自分を縛って生きて来たんです。俺も葛城先生みたいに出版前に辞められればよかったんですけどね。悪魔の囁きに負けました。……軽蔑しますか?」


俺は黙って首を横に振った。何があったって、俺に尼崎先生が感動をくれたことには変わりはない。ましてやそれが、苦しみを伴った執筆だとしたら、軽蔑は愚か感謝するべきだ。


「安心しました。俺が産み落とした罪によって、葛城先生が救われてくれれば、俺はやっと前を向ける。暁最前戦の読書体験は、ある人には産まれてきた理由に、ある人には死を選ぶことをとどまる理由になる。命の讃歌であり、神なき聖書だ。俺がずっと作りたかったものです」


「やめて……辞めてください」


俺はもう聞いていられなかった。両手で顔を抑えて泣き顔を隠した。誰に向かって今までワガママをいって、軽口を言っていたんだ。尼崎先生が俺がアイテムで作った作品を絶賛するほど、心が砕けそうだった。


「それは俺が作ったものじゃない。やめてくれ。そう思っていますよね。まさしく俺が感じ続けて来た感情です。でも、俺はそれがたった今赦されました。俺の蒼い閃光という罪が、暁最前戦の誕生に貢献できていたというのなら。俺はこの罪を誇りに思います」


「ああ……あああ……」


 声にならない声をあげた。妄想することは愚か、夢に見たいとすら願わなかった願望のその先。奇跡はずっと俺のそばで起き続けていたんだ。


「尼崎に、暁最前戦の推薦文の帯を書かせてください。そして、続きを読ませて下さい。そうしてくれれば、俺はアイテムを総動員して、蒼い閃光を越える新作を執筆出来る確信があります。その経験と原動力は、あなたがくれました。葛城先生」


「でも……手が」


「音声入力なり、タイピングなり、いくらでもやりようはありますよ。左手でアイテムも持てます」


 俺はきっとぐしゃぐしゃの顔だけど、精一杯まっすぐと、見つめ返した。


「俺と、共犯者になって下さい」


 尼崎先生はそう言うと左手を差し出し、微笑んだ。

 この苦しみを、尼崎先生と分かち合えるなんて。俺の執筆が、尼崎先生の免罪符になるなんて。

 まさしく神に祝福される思いだ。

 それ以上の望みを、俺は知らない。

 俺は震える両手で、憧れに触れ、頭を下げた。


「はい……喜んで」

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