32話

 大号泣で息を切らした皐月が現れ、俺と山田の間に入った。

 同じく大号泣の美希は、俺にしがみついて泣きながら謝り続けている。


 ……え?


「葛城くん、ごめんなさい! 全部私が悪いの!」


 皐月が俺に謝ったかと思うと、しゃがんで山田の手をとり、傷口に手を当てている。


「……どうして来たんですか。約束の反故ですよ」


 山田は謝り倒す美希に向かい、手の痛みから表情を曇らせながら、睨むように言った。


「これ以上葛城くんが苦しむ姿を見ていられませんでした! もういりません、書けなくていいです新作なんて!!」


 首を大きく振り、大声で叫んだ。それを聞くと、山田は打って変わって、赤子を抱く母親のように優しい表情を向けた。


「そう、ですか。やっと手放せましたね、執着を」


「え……?」


「自身の最高傑作を超えるものを書かなくちゃいけないと執着すればするほど、書けなくなるものです。おめでとうございます、皐月先生。これできっと、新作が書けますよ」


 山田さんは膝をつき皐月と目線を揃え、穴の空いた手から血を流しながら言った。


「ああ……ああぁぁあああああ!!」


 皐月は崩れ落ち、大声で慟哭した。山田は倒れそうな皐月の肩を左手で支えて、言葉を続けた。


「俺がついたくらいで、月光と踊るを越えられるわけないじゃないですか。楽しみにしてますよ、新作」


「ちょ、ちょっと待ってくれよ。なんで2人とも、生きて……」


「凌くんごめんなさあああいぃぃ」


 俺はバラバラ殺人拳を使った後よりも力が抜けて、わけもわからずその場にしゃがみ込んだ。美希は5歳児のように泣き続けている。


「やってくれたのう。まあ、山田も覚悟の上か」


「いえ、これは流石に想定外でした」


「問答無用先生?!」


 問答無用先生がどこからか現れ、山田の万年筆で貫通した手に、道着を千切って作ったであろう即席の包帯を巻いている。


「たわけが。やるなら殺す気でやらんと、山田の覚悟の意味がないじゃろ。修行つけ直しじゃ、ボケ」


 何故か俺はこづかれた。そのこづいた手で、頭を撫でられている。

 一体何がおきているのか、まったくわからない。皐月は問答無用先生から包帯を受け取り、過呼吸を起こしながら俺の元へ来た。


「葛城くん、っひ、ご、ごめ、ごめな、っひ、美希は許してっ、あげっ、ひっ」


 俺の顔を見れないまま、包帯を巻き美希の許しをこうている。


 美希をみると言い訳することなく、可愛い顔を鼻水と涙でぐちゃぐちゃにしていた。俺は皐月の背中を撫でたが、より一層過呼吸が酷くなったので触るのをやめた。


「何、説明してくれないとわからないよ」


 しかし、とてもじゃないが説明をできるような状態に2人はなかった。その様子をみて、山田、いや山田さんが口を開いた。


「それは俺から。すみません、一芝居打たせて頂きました。中々動じてくれないので、俺も煽りすぎましたが。お話していたことの殆どは本当です。ただ、ダンジョンの中で死ぬと、現実でも死ぬ。これは葛城先生にのみついていた嘘なんです」


「じゃあ、2人は本当に生きてるってことでいいってことですよね?」


「ええ、勿論。それに、皐月先生にダンジョン内で死んでもらうように頼んだことを、美希先生は知りませんでした。そして、その後の芝居のことも」


「なんでそんなこと__」


「甘いからですよ。何もかもが」


「……俺のため、か」


 段々理解できて来た。つまり、世間知らずで人生経験もなく、他の創作物から勉強もしない俺への粗治療として、みんなで芝居を打ったってことか。


「いえ、全人類のためとも言えます。暁最前戦は、そういう作品になり得る。皐月先生との約束は守って編集にはつくつもりでしたが、きっと失望されたことでしょう。執着を手放せたのは、不幸中の幸いでした」


「だからって、やりすぎだろ!! 2人は本当に恐怖しながら死んでいったんだ。生き返れるって分かってたとしても、一時的に死ぬのは誰だって怖いし痛いのに」


 そう簡単に、ああそうでしたか、ありがとうございましたとなる話ではない。2人の死に際の顔が脳裏に焼き付いて離れないんだ。今目の前にいる2人が、まるで幻のように感じてしまう。


「なんで私たちを庇って……凌くんは私たちのこと、怒ってないの? 黙ってみてたんだよ?」


 美希は信じられないと言ったふうに距離を取ろうとした。俺は美希がそのまま消えてしまうんじゃないかと思い手を伸ばすと、おずおずと手をとり、自らの頬におし当てて、大粒の涙を溢した。暖かい涙が俺の手に当たり、命を実感する。


「そんなことより、生きててよかったよ。……生きてて……よかった……」


 ダムが決壊するように感情と涙が溢れて来た。俺が自責に苦しみ動けない皐月にも手を伸ばし、強張る肩を掴んだ。

 包帯から血が馴染んだが、痛くなんてなかった。そのまま動かずにいる皐月を引き寄せ、無理やり美希と一緒に抱きしめた。段々と観念したのか、皐月も俺の体に体重を預け、3人で赤子のように泣き腫らしたのだった。


⚪︎


 結局、全部俺のためだったんだ。最初は山田さんを恨んだけど、きっとあそこまでしなければ、俺は甘いままだった。

 皐月も、美希も、山田さんも、全力で作品と向き合っている。狂っているのは、そうなんだろう。でも、そうじゃないと傑作は作れないんだろうな、とも思った。


 俺は、自動筆記万年筆を使い続きを書き、第三者メガネをかけて調整をするを繰り返した。

 山田さんの言った通りだった。それはもう、明らかに別質のものが出来上がった。どう考えても、あの3階層での経験と山田さんの芝居がなければこれは書けない。俺が最初に作り感動していた原稿と読み比べると、あまりに陳腐で驚いた。

 あの人たちが作品のために人生を本気で捧げてしまう理由が、少しわかった。


 そして、自己否定をした結果産まれた作品を、世の中に出していいのか、悩んでいた。

 こんなアイテムを使って作り出したものを、まるで自分がうみだしましたーと言わんばかりに世の中に発表することは、恥なんじゃないかと。

 確かにこれは、俺の能力の限界に依存はしている。第三者の著作権を毀損したりもしていない。それに、山田さんの芝居による擬似経験と、皆との死と再会の感情を知らなければ、これは確実に書けなかっただろう。

 みんなが俺に見出してくれていた才能は、俺が思っていた以上のものだった。

 かといって、もう続きを書きたいとは到底思えない苦痛な執筆作業だった。

 責任感と、みんなの苦労を無駄にしたくない一心で、吐きながら完成させたのだ。

 もはや俺は自分で決定する精神力さえ残っていなかった。誰かに苦しみを理解されて、労われて、出さなくていいよと言って欲しかった。


「山田さんに連絡するか……」


 真っ先に思い浮かんだのは山田さんの顔だった。山田さんが世に出さないことに納得してくれれば、俺は解放される気がした。

 この責任を押し付けられるのは、山田さんだけだ。だけど。

 

「万年筆で突き刺したことは謝ります! でも俺は許してないですからね、皐月に死んでくれと命じたこと。それがたとえ俺と皐月のためだとしても!」


 なんて捨て台詞を吐いて以来、会っていなかった。 

 山田さんは言い訳することなく「おっしゃる通りです。申し訳ありません」と、深々と頭を下げた。俺はなにか言い返して欲しかったんだと思う。でも、正論で傷つけただけだった。その時俺は、居た堪れなくなって逃げるように皐月と美希を連れて帰ってしまった。


 本当に都合良いよな。でも、完成したと伝えたら喜んでくれるかなと思い、連絡をいれた。


「この間はすみませんでした。暁最前戦、完成しました。山田さんに読んでいただきたいです。それと、一点ご相談もあります」


 すぐに返事が来た。


「お疲れ様です。待望しておりました、ご連絡ありがとうございます。データ頂けますでしょうか? 相談も俺でよければ是非」


 優しい…!!

 俺の手を守るために自分の右手を差し出したのに!

 俺の傷は浅く、すぐに回復した。自動筆記万年筆は傷ひとつなかった。第三者メガネも一度お尻に敷いてしまったことがあったが、一切歪むことはなかった。ダンジョン産のアイテムは傷がつかないのかもしれない。

 だとしたら、大怪我をしたのは山田さんだ。手の平を貫通してたからな、ペンはもう持てないかもしれない。


「いえ、お会いして謝りたいです。本社にいるようでしたら、伺います」


「謝りたいのは俺の方です。ご足労頂き申し訳ないです。到着したら連絡ください、迎えにあがります」

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