30話

 2人の血が渇き、黒く変色している。死体はない。倒されたモンスターのように消えてしまった。

 俺が美希にアイテムを渡せるだなんて、過信したせいだ。

 最初から俺が戦っていれば。いや、もしかすると、今の俺では極意を使わなければ勝てなかったかもしれない。

 となれば、最初から詰んでいたんだ。もうなんのために生きれば良いのか、わからなくなった。

 俺にとって、小説が全てだった。その全てを越えて、2人のことが大切になっていた。書けなくなって逃避していたのもある。

 しかし、それだけじゃない。本当に2人のことが大切だったのに。それなのに……


 命懸けで俺にバトンを繋いでくれた。せめて最後のボスを倒して、生き残らねば。

 わかっている。わかっているが、立ち上がることができない。もうとっくに電撃のダメージは回復している。 

 部屋にはポツンと宝箱が出現している。


「美希、宝箱だよ」


 返事はない。

 当たり前だ、このフロアには俺しかいないんだから。

 そのまま次のフロアに向かって、死んでしまおうと思い、扉に向かった。

 だけど、美希の宝箱をそのままにしておけないと思い、戻った。

 箱を開けると、中には枕が入っていた。


 これはアニメでも見たことがある。

 安眠枕だ。

 作家は睡眠時間すら確保することすら難しい激務だ。それなのに自律神経が乱れ、しっかり眠ることが出来なくなる。だけど、これを使うとすぐ眠れるんだ。それだけ。それだけだ。

 すぐに眠れるためだけに、皐月と美希は死んだ。


 俺は枕を取り、地面に叩きつけようとした。だけど、なぜかそれが美希の姿と重なって、できなかった。

 皐月の様子はダンジョン前からおかしかった。死を予感していたのかもしれない。

 俺だけだ、俺だけが調子にのっていた。のっている自覚なんて勿論なかった。

 結果的に、のっていたと言わざるを得ない。はは、誰に言い訳してるんだ、俺は。もう誰もいないのに。


 俺は片手剣を首に当てがい、手を引__


 "んー、でも私は凌くんの完成が読みたいよ"


 皐月の声が頭で反響する。


 俺は剣を落とした。


 そうか、そうだよな。書かなきゃ。皐月のためだけにも書くって、約束したもんな。

 それで書き終わったら、俺もすぐそっちにいくから、少しだけ待っててくれ。


 枕を持った。2人の血痕を枕に吸わせた。遺体も残らないならこれが遺品だ。せめてご家族にこれを持ち帰ろう。

 暁最前戦を書き終えたら、あなた達の娘は、俺のせいで死にましたと言って、目の前で死んで詫びよう。


 片手剣と片手盾を装備し直し、美希がいた場所からマグナムを受け取り、扉を開けた。


 2mほどのグリズリーが4体いた。体毛は漆黒、爪と牙からは紫色の液が垂れている。

 目は赤く、獰猛な呻き声をあげこちらを威嚇してくる。


 俺はマグナムで顔面を撃ち抜いた。残りの1発で、1匹はチリになった。

 襲いかかってきた1匹を、片手剣で応戦する。別のグリズリーの爪で盾を抉られた。

 俺は盾を捨てて、また剣を突き刺した。何度も何度も突き刺したかったが、5回目で感触がなくなり、消えていった。片手剣は曲がっていたので、これも投げ捨てた。


 ラスト2体が同時に襲いかかってきた。一体の攻撃を避けると、もう一体の爪が俺の背中をえぐった。同時に毒が体内に回り出す。

 グリズリーは下品な笑い声のような鳴き声をあげた。

 俺は一瞬バランスを崩したが、すぐに立ち直り、グリズリーをにらんだ。


「こんな毒じゃ、死ねないんだよ」


 怒り狂った1匹が、勢いよくこちらに突進してきた。俺は構えをとり、呼吸を整える。血液が沸騰するように熱くなり、足元から揺らぎを感じ取った。


「問答無用流極意・6の型一撃バラバラ殺人拳」


 その揺らぎと熱さを暴発させるように拳から発散させる。グリズリーは跡形もなく吹き飛んだ。


 グラグラと視界が揺らぐ。体の力が抜けていく。だけど、それだけだった。

 まだ立てるし、拳も握れるし、意識もしっかりしていた。


「なんだ、さっきも使えたじゃないか」


 もう1匹のグリズリーが突っ込んでくる。俺はもう一度同じ要領で、先生の極意を打ち込んだ。さっきほどではないが、勢いよくグリズリーは爆散していった。 


 俺はグラつき、その場に倒れた。

 死ななかった。本気ではやろうと思ってた。でも、どこかでここで死ねたらいいと思っていた。

 そうしたら、書かなくて済む。2人が死ななくちゃいけない理由を、完成させなくて済んだのに。


「ごめんな……ごめん……ううっ」


 ひとしきり泣いた。

 涙は枯れてはぶり返した。

 感情は波のように揺り返し増幅する。

 思い出ばかり溢れては浮かび、それを俺が殺していく妄想に変わっていく。どうして一緒のフロアに入れたの?どうして書いたの?どうしてとめてくれなかったの?どうして__


 "何泣いてんの?"


 "帰って飲もう"


 2人の声がした気がした。俺の勝手な妄想を切り裂く、リアルな声だった。


 そうだよな。2人が俺を責めることなんてないだろう。俺が責められたいからって、勝手に2人に責めさせてる。最後の最後まで、俺は人間を失格していた。

 扉の横に、いつもより豪華な装飾が施された宝箱があった。


 技の反動はとっくに終わっていた。

 2人のお墓に備えよう。そう思い、立ち上がり中をあけた。万年筆が入っていた。詳細はわからないが、きっと良いものなんだろう。


 手に取り、枕を持って扉をくぐった。

 すると、枕についていた血が消えてしまった。唯一持ち帰れた2人の欠片だったのに。


「ああ! 2人の……血が……」


「お疲れ様でした」


 門の外に出ると、俯く俺を山田さんがいつものように出迎えくれていた。俺は慌てて顔を上げた。


「山田さん、俺のせいで。俺のせいで、2人とも中で__」


 俺の懺悔を遮り、山田さんは興奮気味に言った。


「それ! その万年筆ですよ、自動筆記万年筆です。やりましたね、第三者メガネをかけて、それを使えば、今の葛城先生の100%が全自動で書き出されますよ」


 何を言っているんだこの人は。そうか、事情が飲み込めてないのか。後から出てくると思ってるんだ。言わなきゃ。ちゃんと、言わなきゃ。


「山田さん……2人が、死にました」


「ええ、そのようですね。美希さんまで死んでしまうとは、想定外でしたが」

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