覚醒
9話
俺は自分で産んだクソ小説を一旦は添削し終えた。思いつく限りの修正を重ねて、意図通りに第三者メガネを通しても伝わるように編集した。
でも、まったく理想の状態にならない。15万文字の長編が、添削すると3万文字になった。12万文字も必要ないことを書いていたんだ。それでいて、キャラの感情や動機が全く伝わらない。書き足すとダラダラと蛇足する。
書けば書くほど、キャラクター達を殺しているようだった。
だから俺は、理想の完成を諦め、ひとまず最低限の形を整えた。それを終えてから、無気力が酷い。
家にあった食べ物を適当に食べていたが、三日前に底をついた。
このまま目覚めなくなるまで、寝てしまおう。もう、何もしたくない。
……。
ピンポーン。
インターホンが鳴り目が覚めた。宅配を頼んだりは勿論していない。宗教の勧誘かな。神は死んだことを知らないのだろうか。
ピンポーン。ピンポピンポピンポーン。
「あ、開いてる。待ってこの展開ミステリーだったら__」
「皐月姉、縁起でもないこと言わないで!」
「ご、ごめんつい癖で。葛城くん? いるー?」
皐月と美希の声がする。そういえばスマホの電源も切れたまま放置していた。連絡が来ていたのかもしれない。合わせる顔がないし、このまま寝たふりするか……
「入るよー?」
「お邪魔しまーす。……なんだ、いるじゃん! 心配したんだよー。葛城くん? 寝てる?」
1Rは玄関からリビングに直結している。敷布団もその奥にあるため、すぐにバレてしまった。
寝てます寝てます、帰って下さい。人と会話する元気が残ってないんだ。
「まって皐月姉、この臭い」
「本当だ、くっさ……やだ、まさか死んで腐って__」
「誰が腐乱死体だ」
「「キャーーーーー!!!」」
寝返りぼやくと、2人は肝試しのように体を抱き合って叫んだ。たしかに風呂にだいぶ入ってないが、腐ってはいない。俺は久々に声を出したからか、咽せた。
「ちょっともう、やめてよー! 心臓止まるかと思った」
「でも良かったよ、なんで連絡くれなかったの?」
「……悪いけど帰ってくれ」
もう一度寝返り、背を向けた。話したくない。
「ご飯は? お風呂もいつから入ってないの?」
「食べてない。風呂は多分、二週間くらい」
「……そのままいたら、本当に死んじゃうよ」
「いいよ。何もしたくないんだ」
「一丁前に作家病ね……。美希、ごめん買い出し頼んでもいい?」
「うん! 凌くん、うどんでいい?」
「いらない」
「あーんして食べさせてあげるよ?」
「……いらない」
ちょっと悩んだ。
「美希のあーんを断るなんて重症だね。ウィダーとかも念のため買ってきてくれる?」
「わかった。凌くんのことお願い」
「うん、任せて」
俺のギトギトの頭を少し撫でると、美希はコンビニに向かい出ていった。相変わらず俺は背を向けている。
「まあ、おおかた想像はつくけど。そこまでへこまなくても」
「……」
「編集は終わったの?」
「……終わった。でも全然理想の完成はしなかった」
「そっか。ごめんね、自分でやった方が成長出来るかなと思って。着眼点もよかったし。まさかこんなに傷つくとは」
「……俺は天才でもなんでもなかったんだ」
「そんなことないよ。私が保証する。原稿は?」
俺は背を向けたまま、無言でノートパソコンを指差した。
「読んでいい?」
「いやだ」
「じゃあなんで教えてくれたの、ノートパソコンで読めるって」
「……」
なんで、指差してしまったんだろう。考えるより先に、体が動いていた。
「死んでないんだよ、葛城くんの作家人生は。心のどこかで読んで欲しいと思ってる」
「分かった風なこと言うなよ」
図星だった。だからこそ、今の俺には痛かった。
「ご、ごめん。またやっちゃった。本当良くないよね、これのせいで色んな人に嫌われちゃって」
「……いや、いい」
なんだか逆に傷つけてしまったようだ。けど、人を気遣う精神力がない。罪悪感が募るだけだ。
「読んだら帰ってくれるか?」
とっとと失望して、帰ってもらおう。
「うん。うどんは食べてあげてあげてね、美希がせっかく買ってきてくれるし」
「わかった」
「ありがと。じゃあ、読むね。一ヶ月も我慢したんだ、それなりに面白く__」
皐月は言葉を紡ぐことすら辞めて、集中しているようだ。
読み進められることが怖かった。それと同時に、嬉しかった。もう消えてしまいたい。
「つまらないだろ」
「……」
返事はない。ただただ、次のページへ進む打鍵音が響く。相変わらず読むのが早い。
ケツ毛を丁寧に数えられるような気分だ。
俺は恥ずかしさを誤魔化すために、打って変わってベラベラと言い訳を始めた。
「何度書き直しても、全然思った通りの作品にならないんだ。メガネをかけるとゴミに変わる」
「……」
「俺はインド人顔負けのカレー職人だと思って生きてきたのに、ルーの代わりにクソを煮詰めてたんだ」
「……」
「それを美味い美味いって、自分で食って、最悪なことに人にも食わせてたんだ。バカみたいだろ。俺だけだったんだ、世界中で俺の小説を楽しめるのは」
「……」
「そうだ、2人が帰ったら、データを全部消して、いっそ本当に死んで__」
バタン!
読み終えたノートパソコンを力強く閉じた音がした。バタバタと足音を鳴らしながら近づき、皐月は俺の上に跨った。肩をひかれ、乱暴に仰向けにさせられる。
「何すんだよ急……に」
皐月は泣いていた。号泣だ。鼻水を垂らし、唇を震わせている。白い陶器のような肌が赤く染まっていた。少なくとも、面白いと思ってくれている顔ではない。
俺の顔に大粒の涙がボタボタと落ちる。皐月は相変わらず何も言わず、俺を睨んでくる。
「悪かったな、つまらないもの見せて」
「何が人間描写なら私を越えるかもだ……全敗だよ」
「なんの話__」
「面白いって言ってんの!! 私より何倍も!!」
「はあ!?」
稲妻に打たれたような衝撃が走った。
面白い? それも、月光と踊るの作者様よりも?
「……ありえない。俺がへこんでるからってそんな嘘つくなよ」
「口が裂けても、本心じゃなきゃ言わない。わたしより……面白いなんて」
変わらずに俺の顔にはボタボタと涙が落ちてくる。いや、その勢いは増していくようだ。まさか、悔しくて泣いてるのだろうか?
何も言えずにいると、皐月に胸元を掴まれた。
「続き、書きなさいよ。あんたにはその義務がある」
「いや、でも、っておい、何してんだ」
寝巻きのままだった俺のシャツのボタンを乱暴に脱がし始めた。
「風呂に入れる。その後食事も食べさせる。続きも書かせる」
「やめてくれ、俺は本当に書きたくないんだって」
「黙って」
「お、おい」
マジで無理やり脱がされてスッポンポンにされた。相変わらずめそめそと泣き続けながら、皐月は服を脱ぎ始めた。
「何してんの?!」
「私が洗わないと、自分で洗わないでしょ。着替え持ってきてないから、脱いでんの」
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