第36話

 城に戻って私と兄の部屋にさせてもらっている客間に入ると、どこかそわそわとした様子の兄に早速捕まった。

 ぐいぐいと手を引かれ、ソファに並んで座って、念のため防音の魔法を展開して、一呼吸。


「ねえルーシー、アンジェラとのデートはどうだった?」


 複雑そうな表情で切り出してきた兄は、見た目はあまりに美し過ぎの輝き過ぎで侍女としては不適格なのだろうなという程の美女なのだが、中身は聖女アンジェラちゃんに恋する男の子なわけだからふしぎなものだ。

 ちょっとからかいたい気持ちになった私は、ニヤニヤと笑いながら答える。


「ちょー楽しかった! アンジェラちゃん、すごく良い子だね。もう大好きになっちゃったよ。この子と家族になりたいなーってくらいに」


「それは……っ」


「こんなかわいい子が義姉になってくれたら、とっても嬉しいなーって、思ったよ」


 焦った表情で兄が何か言おうとしたのに重ねて、私はそう続けた。

 家族になりたいっていうのは、『自分の結婚相手にしたい』じゃなくて『お兄ちゃんと結婚してくれたら良いのに』って意味ですよ。もちろん。

 前半は、わざと誤解させるような言い方をしたけど。


 はあ、と疲れたようなため息を、兄は吐き出す。


「……なんだ、ただ僕をからかっただけなのね」


「あはは、ごめんごめん。……ね、実際のところ、お兄ちゃんはどうなの? アンジェラちゃんのこと、どう思っている? 前聞いた時には、もしかしたら、ぐらいの感じっぽかったけど……」


 私は軽く笑って謝罪してから、幾分か真剣なトーンに変えて問いかけた。

 兄はしばらく恥ずかし気に視線をさ迷わせたけれど、やがて諦めたように肩の力を抜いて、ぽつぽつと語る。


「しばらく会わないでいて、再会して、アンジェラが他の聖守護騎士候補たちと仲良くなっているのを見て、あの日俯いていたあの子がすっかり立派な聖女をやっているのには見惚れて……、さすがに、自覚したよ。僕はアンジェラの事が異性として好きなんだって」


「よかったー!」


 私はバンザイまでしながら、安堵交じりの歓声を上げた。

 両想いだ! めでたい! おめでとう!

 ところが兄は、なぜかしゅん、と落ち込んだように表情を曇らせる。


「よかった、のかな。僕は、恋って、思っていたよりも醜い感情なんだなって感じているんだけど。ルーシーが望む何かを、すんなりと君に差し出せない日が来るなんて思わなかった……」


「それ、さっき、私が変な事言ったから? もし私がアンジェラちゃんと付き合いたいとか結婚したいって言っても譲りたくないなって気づいたってこと?」


「そう。君への愛は純粋に君の幸福を祈ることのできる愛なのに、アンジェラに対しての想いは違うみたいだ。あの子の幸福の中に自分がいなければ我慢ならない。あの子を独占してしまいたい。その末にルーシーにまでいじわるをしようとするなんて、自分で自分が嫌になる……」


 私の確認に、ますますずーんと暗く沈んだ表情で、兄はそう打ち明けた。


 わが兄ながら、なんて難儀なシスコンなんだ。

 私が望むならなんだって差し出すつもりっていう前提がまずおかしい。

 しかも、今の段階では、何か具体的に策略とか暴力とかを行使したわけでもなく、ちょっと嫌だなって思っただけなわけで。罪悪感なんて抱く必要みじんもないのに。

 妹だって後から好きな人との間に割り込もうとしてきたら、普通に叱って良いでしょ。むしろ、叱るべき。

 それでお兄ちゃんの私への愛情を疑ったりするわけないし。


「ま、まあまあ。お兄ちゃんだからって妹に何もかも譲らなきゃいけないわけじゃないでしょ。それはそれ、これはこれっていうか。嫉妬とか独占欲だって、別に普通のことだし。ちゃんと、妹として愛されているのはわかってるから!」


 ちょっとひきそうになりつつもなんとか兄を宥めようとしたところ、兄は幾分か気が楽になった様子でしかしまだ弱弱しく微笑む。


「ありがとう、ルーシー。君は本当に優しいね。うん、愛しているよ。君の望みなら、なんだって叶えてあげたいくらいに。もし君が本当に望むなら、どうにかアンジェラのことだって……」


「どうにかしなくていいから! ごめん! ほんっとーにごめん! 変な事言って変な事考えさせて! さっきのはほんの冗談で、私はお兄ちゃんとアンジェラちゃんの間に割り込もうとも割り込みたいとも思ってないんだから、なんの問題もないんだよ!!」


「問題ない……、かなぁ? 僕、他の聖守護騎士候補の人たちにだって、ずいぶんひどいことをしているなと思うよ」


 変な方向に行きかけた兄を慌てて止めたが、今一つ響いていないのか、兄は首を捻った。

 ……まあ、確かに、聖女様御一行の男性陣に関しては、ひどいことをしているのかもしれないけれども。


「いや、そこはライバルだし、蹴落としてなんぼっていうか。その、お兄ちゃんは私のせいで女装を強いられてる分不利なんだし、手段を選ばなくても仕方ないってことで……、その……」

 ごにょごにょ。

 なんとか反論をひねり出したけれど、かなり歯切れ悪くなってしまった。


 だって、攻略対象者五人に関しては、もう全面的に私が悪いのだ。

 兄に女装をさせたのも、本人の意志に反して継続させているのも私なんだから。


 この兄に悪役令嬢なんてやらせたら、とんだ傾国の美女(男)になるって事前に予見できなかった私が悪い。本当に? そんなのどうやって予見しろと。

 いやでも、強いて犯人を捜すとどう考えても私なんだよな……。

 うん、兄の魅力とシスコン度合いを過小評価していた私が悪い。たぶん。


「とにかく、お兄ちゃんは少しも悪くないから! 気にしなくて良いの!」


 雑に強引に私がまとめると、兄はちょっと首をかしげつつもなんとか頷いてくれる。


「そう、かな……? まあ、ルーシーが言うならそう、かも?」


 そうである。

 あとは、これで兄の想いが一方通行だったりすれば、アンジェラちゃんの迷惑になったりするのかもしれないけれど。

 当の彼女が『私はルクレシアお姉様と出会えたことを、自分の人生で一番の幸福だと思っております』とまで言ってくれているのだから、なんの問題もない。

 ただ、これは私から明かすわけにはいかないからなぁ……。


 話がそっちにいかないように、兄がネガティブに戻らないように、私は次の話題に行くことに決めた。


「ねえお兄ちゃん、アンジェラちゃんにだけは、私たちの本当の性別の事を話そうと思うの」


「……良いの?」


 私が切り出すと、兄はぽかんとしつつも、どこか嬉し気に瞳を輝かせて尋ねてきた。

 つまりそれだけ今まで我慢させてきたというわけで、罪悪感でチクリと痛む胃をおさえ、私はしっかりとうなずく。


「うん。お兄ちゃんがそうも想っている子なら、信頼できるからね。それに、私自身も今日アンジェラちゃんと接してみて、そうした方が良いなって」


 明かさなきゃアンジェラちゃんが闇落ちしかねないから。

 というのは、やっぱり私の口からは言えないけれど。


「そっか……。うん、アンジェラは、僕らの秘密を聞いたところでむやみに言いふらすような子ではないよ。……良かった。性別を偽ってあの子に懐かれていることにも、罪悪感があったから」


 兄は、本当にほっとしたようにそう言った。

 いやうちの兄、びっくりするほど善良。

 言われてみれば、性別を偽って好きな子に近寄っているわけなんだけども。

 さっきの、恋して初めて他人にいじわるな感情を抱いたっぽい件も含めて、悪いのは私なんだから、私のせいにしちゃえば良いのに。


「……僕が男だってわかったら、アンジェラに嫌われちゃうかな……」


 そう寂し気に呟いた兄に、むしろ更に愛されるらしいよと言えない私は、ただ兄の背中を慰めるように擦る。

 兄にも、アンジェラちゃんにも、攻略対象者五人にも、非常に申し訳ない事をしてしまったという罪の意識に苛まれながら。


 いやもう、全面的に私が悪いんですよ……。

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