第30話

 四日後。私たちは母国アークライト王国の王城にて、聖女様御一行と合流を果たした。

 ささやかな、けれどそれが返って品の良い印象のガーデンティーパーティの用意がなされた庭園にて。


「ああ、お会いしたかったです……!」

「かわいい、久しぶりだね……!」


 私は聖女様御一行の中からこちらに走り寄って来た兄をしっかりと受け止め、固い抱擁を交わす。


 はぁあ、癒やされるぅ……。

 長兄の件ですっかり荒んだ心が、この上なく可憐な兄ルクスとのハグによって急速に癒されていくのを感じる。

 お兄ちゃんカワイイヤッター!


「お兄様は、ずいぶんお疲れのようですね。一番目のお兄様をお二人で捕らえたとのことでしたが……、そこで何かあったのですか?」


 兄は、ちょっと顔だけを離して、上目遣いに私を見ながらそう尋ねてきた。


「うん、いや、ギディオンもいたし、危険はなかったよ。ギディオンのおかげですんなり彼を見つけることもできたし、その面でも、肉体的にはなにも。ただ、精神的にちょっとね。僕らの父の所業に、呆れかえってしまったというか……」


 私がはあ、とため息を吐くと、兄の大きな瞳が、うるりと涙で濡れる。


「私のいない所で、あまり無茶な事をなさらないでくださいませ、お兄様……!」


 今は紅薔薇の姫君ルクレシアの姿である兄は、そう言ってぎゅうと一際強く私に抱き着いてきた。

 首に縋りつくようなその抱擁によって兄の口元に寄せられた私の耳に、他には聞こえないだろうほんの小さな囁き声が、素の兄ルクスの口調で吹き込まれる。


「でも、よくがんばったね、ルーシー。生きたままあの人を捕えてくれて、ありがとう。君たちでなければ、きっとそんなことはできなかった」


「……うん。こちらこそ、ありがとう」


 よしよし、とさりげなく私の頭を撫でながらの優しいねぎらいの言葉に、ちょっと泣きそうになりながら、私はなんとかそう返した。


 ああ、本当に癒される。

 ようやく一息吐けた心地だ。

 長兄を引き渡すときに、極炎の貴公子ルクレシアスに対して、お褒めや称賛の言葉はたくさんもらった。

 でも、今の一瞬ただの彼の妹として兄が私を扱って褒めてくれたのが、何よりもうれしい。


 対人の戦闘なんて慣れていないし、結末も胸糞悪かった。

 ゲームではわからなかった長兄の背景を知ってしまい、色々と思うところも考えさせられた部分もある。

 要するに、疲れた。

 そんな疲労が、これまでのストレスが、兄からのハグとよしよしで、急速に解けて消えていっている気がする。


 このまま、お兄ちゃんの愛に溺れてしまいたい……。

 もうおうちかえりたい……。


「……そうだ! に渡す物があったんだった!」


 いけない! ルーシーに戻りかけていた! それもだいぶダメな感じに!!

 その事実に気づいた私は、殊更明るい声音でそう叫びつつ、えいやと兄から自分を引きはがした。

 気を取りなおし、懐からマリリンたちから預かった精霊の宿った一対の腕輪を取り出す。


「まあ、ステキ……! お兄様とお揃いの腕輪ですのね……! 嬉しい……!!」


 それを認めた兄は、頬を薔薇色に染め感激した様子で口元を両手で隠し、感嘆と喜びの吐息を漏らした。


 紅薔薇の姫君って、貢ぎ物に顔色変えないって有名らしいのに。

 神聖帝国の皇弟ハリーファが気合を入れて作らせた国宝級のネックレスも、賢者リンランディアご自慢の神話級のサークレットも、少しも興味なさそうに笑顔で受け取り拒否したって聞いてますが……?

 いや、まあ、それは品物の価値が高すぎてカーライル侯爵家からでは十分な返礼ができないからって理由らしいけど。

『返礼なんていらない。ただあなたを飾るにふさわしい品を贈らせて欲しいだけだ』と食い下がっても譲らなかったらしいのに。

 私からの贈り物は、そんなに感激して受け取ってくれるんですね。


 そのせいだろう。

 聖女様御一行の視線が痛い。すごく、痛い。

 い、いやほら……、私は身内だし。返礼とか、関係ないし。

 内心で言い訳をしながら、私は兄の華奢な腕に(おかしなことに、兄の手首の方が私のそれよりちょっと華奢な気がする)腕輪を着けていく。


「ただの腕輪じゃないよ。マリリンから預かったんだ。君を護ってくれていた彼女の契約精霊がいただろう? その子たちが、どうしても君の傍にいたいのだってさ。こちらに水の子が」


 一つの腕輪が兄の腕に収まった途端に、そこに精霊が存在していることを示すように、ふわりと水のミストが広がった。


「そしてこちらに風の子が宿っているそうだよ。この子たちは君の余剰魔力を使って君を自動で護ってくれるし、君が更に魔力を込めて呼びかければ、積極的に力を貸して戦ってもくれるそうだ」


 説明を終えつつもう一つも兄の腕に収めれば、さあっ、と柔らかな風が兄の頬と髪をくすぐっていく。


「まあ、まあ、まあ……! ああ、ありがとう、二人とも。そうまで私を思ってくれるなんて、嬉しいわ。これからまた、よろしくね」


 ちゅ、ちゅ、と、軽く兄が腕輪に感謝のキスを贈ると、カタカタカタッ! と、腕輪が震えた。

 風と水が一緒になって力を使っているのだろう。兄の周囲に虹なんてかけちゃったりして、すごくご機嫌らしい。

 精霊の姿は直接は見えないが、めちゃくちゃ喜んでいる気配だけは、私にも伝わってくる。


「お兄様も、こんなにもステキな腕輪を届けてくださってありがとうございます! マリリンさんとネイサンさんにもなにかお礼をしなければいけませんね」


 こちらもすごく嬉しそうに、はしゃいだ声音で兄が言った。


「一応、腕輪の作成代金は、精霊を奪う形になってしまった迷惑料も乗せて渡してきたよ。最初受け取ろうとしなかったから、けっこう無理矢理に。あとはもう、無事に受け取った報告も兼ねて、感謝の手紙でも送れば良いんじゃないかな」


 私がそう明かしたところで、ぬう、と私の背後からこちらを覗き込みつつギディオンが口を挟んでくる。


「こいつ、いやそれは逆に怖くなるだろ……って金額を置いてきてたから、フォローしておいた方が良いぞ」


「ふふ、お兄様ってば。では、金銭で替えられる物ではないですし、それだけ感謝しているので遠慮せず受け取って欲しいと、私から書いておきますね。ギディオンさんも、ありがとうございます」


「どーいたしまして。……お貴族様の感覚は、よくわかんねーな。身内がそんな大金ポンと他人に渡していても、そうも怒らないものなのか」


 兄がぺこりと頭を下げると、ギディオンは呆れたようにそう呟いて、また元の位置に戻っていく。


 言われてみれば、『そんなに無駄遣いして!』とか怒られてもふしぎじゃなかったのか。

 まあでも、私たちこれでも高位貴族だし。

 身内の事だし受け取れないと申し出たのに各国のプライドの問題なので受け取ってもらわねば困ると押し付けられた長兄の懸賞金、そんなもんじゃないし。

 この一週間で収支大いにプラスっていうか。


 そんなことを考えつつ、私は、兄と離れていた一週間の間の互いについて、話し始めるのだった。

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