第29話

「女神教の奴らに引き渡されるくらいなら、死んだ方がマシだ。いっそ、ここで殺してくれ」


 地面にうずくまったままの長兄は、悔しさのにじみ出る声音で絞り出すように願い出た。

 嫌だよ、普通に。こいつのプライドと自己満足のために、どうして私が身内殺しの咎を背負わなければならないのか。

 突き放すようにできるだけ淡々と、私は彼に告げる。


「殺しはしません。法の裁きを受けてください。あなた、次兄含め父の邪魔をしようとした人たちを幾人も地下牢に閉じ込めていたんですって? それに加え、脱税だの人身売買だのなんのと、小さなものから大きなものまで色々な罪が明らかになってきているそうです。きちんと捜査を受けるべきかと」


「……私は、何も話さない。お父様を裏切ることはしない。お前の言うことに従ってなどやるものか。殺せ」


 ところが、長兄は頑なな態度で重ねて勝手な事を言ってきた。

 このままでは、私が手を下さなければ、舌でも噛み切ってしまいそうだ。困ったな。

 彼の近くに歩み寄り、足に突き刺さっていた氷の刃を引っこ抜き、あまり得意ではない治癒魔法を精一杯絞り出しどうにか止血だけし、もうそこまで敵意は無いのだと態度で示しながら。


「先にあっちが裏切ってるんだから、さっさと喋れば良いのに……。あなたは、まだそこまでの事はしていないはずです。素直に罪を自白して反省を示した方が良いでしょう。あなたなら、やり直せます」


 そんな私からの説得にも、長兄はどこまでも硬い表情で首を振る。


「私だってお父様の共犯だ。私たちが幾人死なせたと思っている。私は死ぬべきだ」


「結局僕のことすら殺せなかった人が、ずいぶん吹かしますね。僕は知っていますよ、あなたはまだ誰も殺していないって」


 原作ゲームを通してだけど、あえて自信たっぷりにそう断言した。

 とはいえ、紅薔薇の姫君ルクレシアが失踪したために集められた各国の捜査隊が、並行して行った捜査で一つも長兄の殺人罪の証拠は見つけられていない。だから、事実そうなのだろう。たぶん。

 ところが長兄は諦め悪く、私を睨みつけながら、叫ぶ。


「直接手にこそかけなかったが、私は、幾人も見殺しにした! お父様が手にかけた誰も彼もを私は見捨ててきたのだから、同じことだ!」


「同じかどうかは司法が判断することなので、その主張を通したければやっぱりさっさと法の裁きを受けてくださいよ」


「うるさい! わかったような口を利くな!」


 私の呆れをたっぷりと込めた正論にも、長兄の勢いは衰えなかった。


 いや、わかったような、というか、実際わかっていることが多いからなぁ。

 前世の知識を抜きにしても、証言だの証拠だのがけっこう集まっているのだもの。


「次兄の証言がありましたよ。あなたたちがほんの幼い子どもの頃に、父の手で母君が殺されるのを眼の前で見たと。父に逆らえば自分もこうなると刻みつけられたとも、彼は言っていたそうです。あなたも同じでしょう?」


 次兄の証言を持ち出すと、ようやく長兄に動揺が見える。


「そ、れは……」


 とっさに反論の言葉がでなかったらしいところに、畳みかけていく。


「次兄は父に強い恐怖を抱き、仕方なしに従いつつも距離を取ることを望んでいたとのことです。あなたはその恐怖をごまかすために、父は自分の味方だと思い込もうとしたのでしょう」


「違う。あの女が悪かったんだ。父様を裏切った。たちさえも、すてようとした。だから、殺されて当然だったんだ……!」


 ……?

 次兄の証言と、食い違っている。

 この人たちの母親は、確かに夫が危険な悪魔崇拝者だと気づき逃げようとしたらしいのだが、子どもを置いて出て行こうとしたとは聞いていない。むしろ。


「父を裏切ったのは、本当でしょうね。そりゃ裏切りますよ。悪魔崇拝者なんかに従ってられませんもん、普通は。でも、次兄は、『自分たちを連れて逃げようとした』と言ったそうですよ?」


「……そ、そんなはずはない。お父様が言っていた……、言っていたんだ! あの女は、救いようがないほどの悪だったと。だから殺すしかなかったのだと。お父様は私にだけは、嘘を吐かない。だから、だから……」


 長兄は、どうにか反論してきたが、どこまでも弱弱しかった。


 自分以外には嘘を吐きまくっているのを一番近くで見ていたんですね、わかります。

 なぜ、そんな人が自分にだけは嘘を吐かないと考えられるのだろう。


「嘘を吐かない、ねえ。じゃあさっきまであなたが後生大事に握りしめていたあの杖は、どういった説明をされて渡されたんです?」


 私が切り込むと、長兄はうろうろと落ち着きなく視線をさ迷わせながら、絞り出すように答える。


「……『お前を助け、救ってくれる』と」


「救ってくれる、ね……。破滅をもたらすの間違いでしょうよ。あなたにとって救われるとはどういう状況なんですか? あの人は、『死んで悪魔様のお役に立てることこそが救い』とでも言いそうですけど」


「そん、そんな、そんなわけが……」


 心当たりがあるのだろう。

 長兄は何も言い切れないままうつむき、黙ってしまった。


「もう、自分でもわかっていますよね。あの杖は、危険な物だったと。おそらく、悪魔が封じ込められてるとかじゃないかと思いますよ、僕は。気づけばあの杖にすっかり自分を乗っ取られてしまっていた、とか、ありそうじゃないです?」


 最後の問いかけには頷きすらも返って来ないが、反論の言葉もない。

 私は、更に問いかけていく。


「自分の思考が何かに誘導されていたような覚えは? あなたがあの杖を手放したらモンスターたちは正気を取り戻したようですが、あなたはどうです? ねえ、あなたのお母様って、本当にあなたたちのことまで捨てようとしたんですか? よーく思い出してみてください。今」


 そこまで言い聞かせると、長兄は、ただ静かに涙を流しながら膝を抱えうずくまってしまった。


 彼の母に関する次兄の証言は、こうだ。

『お母様は私を抱き上げ、兄さんの手を引き屋敷から抜け出ました。父に見つかってしまい走って逃げたのですが追い付かれ、母は父に背中から斬られ、……最期に、私たちに愛しているとだけ言い残すと……』


 抱き上げられていた次兄からは、悪魔の如き形相で迫る父が、よく見えたのだそうだ。

 だから、ずっとずっとあの人がとても怖かったと。

 母親に手を引かれ走ったらしい長兄は、いきなり地に倒れ伏した彼の母の姿しか印象に残っていないのかもしれない。

 その後父が洗脳でもかけたのかもしれないし、つらい記憶を本人が封じ込めていたのかもしれない。


 過去の事はわからないが、父と彼らの母君のどちらがわが子を愛しているかを考えれば、間違いなく彼らの母君の方がそうだろう。

 そんなことは絶対に無いだろうとは思うが、仮に長兄の言う通りわが身可愛さから彼らの母君が子どもを捨てて行ったのだとしたって、父の方がよほどわが子にひどい仕打ちをしている。

 父は、ほとんどあり得ない可能性どころじゃなく実際に長兄を見捨てて一人この国から脱出し、しかもその命を削るような危険な代物を持たせて去って行ったのだから。

 見捨てたにプラスして加害。最悪を極めている。


 そもそも、次男は地下牢に監禁、三男は殺そうとして、長女は悪魔の花嫁に捧げようとした奴が、長兄にだけ良い親だなんて、まずないだろう。

 それに、愛など悪魔にとっては忌み嫌うような存在。その崇拝者が真っ当な愛など持っているとは思えない。


「うぁっ、うう、うぁああ……!」


 父と離れ杖の支配が抜けてようやく母君の愛を思い出せたのか、父がいかに悪辣な人間かをやっと理解したのか。

 長兄はとうとう声を上げ、子どものように泣きじゃくり始めた。


 その背を、半分血のつながった今は弟本当は妹の立場から、私はそっと撫でる。

 長兄の呼吸が落ち着いて欲しい、少しでも彼の心が癒えてくれれば良いと願いつつ。

 あのクソ親父、いつか絶対に絶対にぜっっったいにぶっ倒してやると、改めて固く心に誓いながら。


 自分を慕うわが子をこんなにも泣かせ、その母の愛と名誉を踏みにじるなんて。

 元々許す気など無かったけれど、ますます殺意が高まったわ。

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