第26話

 一方、彼らが魔の森南の村の神殿へと降り立った翌日の朝、ルーシーらが泊まっていた宿のエントランスで極炎の貴公子組と別れた聖女一行は。


「ものすごく、釘を刺されたな……」

「ああ。力いっぱい、これでもか! と釘を刺されたね……」

「まあ、かなり念入りでしたが、内容は別にさほどおかしなことは言ってなかったでしょう。ルクレシア嬢は高位貴族のお嬢さんなのですから、当然の扱いでは?」

「ええ。身分を抜きにしたって、兄君とすれば、こんな男ばかりの集団に大切な妹様を任せるのですから。むしろあれでも足りないくらいかと」


 ハリーファ、ジェレミー、リンランディア、フローランがそう述べると、モトキヨ含め一同でうんうんと頷き合った。

 極炎の貴公子ルクレシアスことルーシーが、聖女一行に紅薔薇の姫君ルクレシアことルクスを任せるにあたって、あれこれと約束をさせたのである。


『今着ている服以上の肌の露出は厳禁』

『体に関しては、指先から手首までを例外とし、その他の部位には絶対に触れてはならない。顔と頭髪に関しては、本人の許可を得た場合のみ可とする』

『体の輪郭を強調するような恰好をさせてはいけない』

『とにかく脱がすな、触れるな、濡らしもするな』

『女性だろうと一切の例外は認めない』

『自分たちだけではなく他者からのそれらからも、ルクレシアを守るよう心掛けよ』


 これらを全員が諳んじることができるようになるまで、ルーシーは念入りに念入りに釘を刺してから宿を去って行ったのだった。

 男性陣は、高位貴族の令嬢である(ことになっている)ルクスを連れまわすのであればこれも当然かと納得したようなのだが、不満そうな者が一名だけ。


「なんで、どうして。私は同性なのに……。『ルクレシアは身の回りのことくらい自分でできる。例え聖女様だろうと、それが親切心によるものだろうと、妹の体や衣服には触れないように』とまで言われるなんて……! こうもお義兄様に警戒されているのって、絶対男どもの下心のせいでしょ……!」


 うぐぐと悔しそうに呻いて男性陣を恨みの籠った目で睨んだのは、聖女アンジェラ。

 それを見た彼らは、一様にフッと実に小馬鹿にした笑みを浮かべる。


『自分たちは関係ない。お前自身の邪念が伝わっただけだろ、聖女(笑)』


 声には出さなくともそんな思いがこもった視線に、アンジェラはギリリと歯噛みした。

 邪念が無いとは言えないため沈黙した聖女とそれを見下げる男性陣に、ルクスが申し訳なさそうに声をかける。


「うちのが、申し訳ありません。それだけ私の事を大切に思ってくれているのだなと感じて私は嬉しかったのですが、皆さんとすれば、自分たちを信用していないのかという気持ちになってしまうでしょうか……」


「いえ! 全然! お義兄様のおっしゃったことはもっともです! ……まあ、ただ、ルクレシアお姉様をお連れしようかと思っていた場所のうちいくつかは、断念することになりましたが」


 心底残念そうにそう言った聖女アンジェラに、彼女の聖守護騎士候補であるところの男性陣は、『仮にも聖女のくせに、いったいどんなとこに連れて行こうとしていたんだ……』とばかりにひきつった表情を浮かべた。


「アンジェラさんがどこに連れて行こうとしていたかは存じませんが、僕らも次の目的地を決めましょうよ。この前バジリスクを討伐した辺りの山の紅葉は見事でしたね。一応浄化もしましたが、周囲にバジリスクの毒の影響が遅れて出ていないかの確認を兼ねて、また行ってみませんか?」


 フローランの提案に、一同はふむ、と頷き、そのうちのジェレミーが口を開く。


「悪くはないけど、遠くない? 共和国内はによって既にめぼしい問題は解決していて平和が保たれているからって、僕ら来てなかったでしょ。それに、この国は宝飾品でも有名だ。共和国上層部との面通しがてら、まずはこの国の中心の街に行ってルクレシア嬢に相応しい品を探そうよ」


「ああ、宝石を身に宿したモンスターがいるって聞いたことがあるな。山から採ったただの宝石と違って、身に着けた者の能力を引き出すだの傷を癒すだの特別な効果がある、んだっけか?」


「ええ。といっても、気休め程度の微弱な効果です。採って一月もすればその効果すら切れますし、わざわざ求める程の物ではないかと。ルクレシア嬢はこの半月ずっとこの国にいたわけですし、真新しさを求めて、いっそ海とかどうです? ほら、この前悪徳領主ぶっ飛ばした所の。今の時期の海鮮料理、けっこう良いですよ」


 ハリーファが首を捻ると、リンランディアが頷いた。

 それにハリーファがふうんと返す。


「美食ってんなら俺様の国が一番幅広く色々食えるけどな。魚でも肉でも野菜でも穀物でもなんでも、どうか買ってくださいとあちらからやって来る。ああそうだルクレシア、大河を渡る遊覧船とか興味ないか? 兄様がくれた俺様の船があるんだ!」


「遊覧船よりなにより、この僕の魔法による空の旅の方が楽しいに決まってますよ。紅葉だって大河だって海だって、あらゆる美しい景色の場所へこの僕があなたをお連れしましょう。さあルクレシア嬢、どこか興味のある場所はありますか?」


 ハリーファの誘いと、リンランディアの問いかけに、ルクスは困ったように眉を下げる。


「空の旅といえば、お兄様に抱き上げていただいて、キラキラと瞬く星空と月明かりの中を飛んでもらいましたの。美しい景色は、あれでもう十分ですわ。何を見るだの買うだの食べるだのではなく、より深刻な困り事のある場にいくべきではないかと……」


「ごもっとも。でも、ちょっと待ってください。え? ルクレシアスくん、空飛べるんです? それも、人一人連れて? お兄さん、まだ年若い純粋な人間の子ですよね? そりゃ、確かにそうでもなければ説明のつかない部分はありますが……、ええ?」


「お兄様にできないことなどないのです。私の自慢ですわ」


 リンランディアの困惑に、ルクスは得意げに胸を張って返した。

 そんなルクスに、ハリーファがそろりと問いかける。


「……なあ、もしかして、ルクレシアが前に言っていた『とてつもなく美しく愛らしく特別で格別な女神様に愛されたとしか思えない素晴らしく有能なきょうだい』って、ルクレシアスのことか?」


「ええ! お兄様があれほどに聡明で有能でなければ、私も母も、ここまで無事ではいられませんでした。お兄様は私の片割れであると同時に、私の最愛、私の誇り、私の希望、私の光なのです。天よりの御使みつかいとも思える、素晴らしい存在ですわ……」


 ほう、と実に色気溢れる吐息を漏らしながら、この上なくうっとりと、ルクスは認めた。

 それに顔色を悪くした聖女アンジェラが、鋭く叫ぶ。


「野郎ども、会議!!」


 この半月、聖女一行はアンジェラのこの号令に従い、常に話し合ってきた。

 どちらに進むべきか、どうするのが良いか。街での食事処の選択なんていう軽い議題から、誰かの生死に関わるような重たい選択までを。


 急にキビキビと動き出し少し離れた位置に移動してからざざざと円陣を組んだ一同にびっくりしているルクスを置き去りにして、今日もまた聖女と(ルクスを除く)聖守護騎士候補たちによる会議が始まる。

 ルクスに聞こえないよう、囁き声でこそこそと。そして、この上ない緊迫感を持って。


「ねえ、ちょっと、ルクレシアお姉様ってばお義兄様のこと好きすぎない!? あんな恋する乙女みたいな表情、初めて見るんだけど!!」


 まず切り出したのは、聖女アンジェラ。

 それに一同はコクコクと頷いた。


「二人っきりの夜空の旅とか、ロマンチックが過ぎません? しかも、兄君は兄君なので、ルクレシア嬢を抱き上げても問題がない。リードされているどころじゃないですね……」


 フローランが暗い顔で述べた事実に、ハリーファが付け足す。


「なあ、しかもルクレシアスってさ、聖守護騎士の候補ってことは、能力面や条件面で聖女のパートナーに相応しいって女神が認めた奴なわけだろ。このメンバーに引けをとらないっつーか、俺様たちに勝ち得る存在ってことだよな?」


「ええ。少なくとも、魔法使いとしては、この僕に並ぶほどの傑物です。いや、一五、六年しか生きていない人間の子どもがそうだとは認めたくないのですが、感じと、さっき聞いたことを合わせると、そうとしか……」


 はああ、と、実に気落ちした様子でため息を吐きつつ、リンランディアはそう認めた。


「リンランディア卿並みの魔法使いにして、ルクレシア嬢が自分よりも上だと認める美貌の、若き侯爵? なにそれ。そんな、冗談みたいな……。あの人、冒険者としての実績もすごいし。ハリーファあたりは知っているよね?」


 ジェレミーに尋ねられたハリーファは、実に嫌そうに、同時に仕方なさそうにそれを認める。


「ああ。【極炎の貴公子】ルクレシアスって言えば、ここらの国の上層部はみんな目を付けてただろ。そのくらいずば抜けた実力の冒険者だ。家名は伏せてたから知らなかったが、そりゃ、叙爵で誘ってもうちに仕えるとは言わないわけだよ、侯爵令息だもんなぁ!」


 うがーと一度呻いてから、ハリーファは続ける。


「金や名誉じゃ釣れないようだけどどうしてもうちに欲しいからって、なら女かって仕掛けてたよ、うちの兄様が」


「あんたのとこ、そんな事してたの? ……で、結果は?」


 軽蔑の視線を向けつつも、聖女アンジェラは真剣な表情でハリーファに訊いた。

 ふるふると弱弱しく首を振って、ハリーファは答える。


「フリーの冒険者続けていた時点で察しろ。全滅だよ。うちでも選り抜きの手練れたちが、揃って逆に奴に骨抜きにされて戻ってきた。しかも怖いのが、報告を聞けば、擦れ切っていたはずの奴らが恋に恋する乙女かよ、みたいな様子で奴への憧れと恋慕と奴の魅力を語るんだと」


「あまりに紳士的過ぎて、閨に持ち込むことすらできなかったそうです。指一本触れないどころか素顔すら見せないで、何をどうすればそこまで人を魅了できるのか……。まあ、ルクレシア嬢も似たようなものですが」


 モトキヨは、遠い目をしてそう付け足した。


「なんでルクレシア嬢が、この僕や他の子に口説かれても一切動揺しないのかの理由が見えてきましたね。そりゃ、そんなのに日々溺愛されていれば、そうなりますよ」


「確かに溺愛、だったわね。ルクレシアお姉様に対する態度の甘いこと甘いこと。それでまた、あのキザな感じが様になっているのだから……」


 リンランディアと聖女アンジェラの呟きに、ごくり、とフローランは喉を鳴らす。


「つまり、ルクレシア嬢に男として見てもらいたければ、そんなステキなお兄様以上のかっこよさを彼女に見せつけなければいけない……」


「無理でしょ」


「人間にできることじゃないと思います。まあ、この僕はエルフなので諦めませんが」


 即座にジェレミーが、次いでリンランディアがそう言った。


「は?」「やるか?」

 だのと、睨み合いと威嚇のしあいと子どもじみた口喧嘩を始めた男性陣に、聖女アンジェラは呆れつつもまあいつもの事だと放置を決める。


 今までずっと紅薔薇の姫君ルクレシアの寵愛をめぐるライバルだと思っていた彼らは、真のライバルではなかった。

 誰よりも紅薔薇の姫君ルクレシアと親しくしかも愛し愛されている、それ以外の面でもそう簡単に勝てそうにはない、あまりに巨大な存在。新たな聖守護騎士候補、極炎の貴公子ルクレシアス。


 今まではどんな困難も乗り越える道筋が見えたこのメンバーでの会議でも、そんな事実を確かめただけで終わり、ろくな結論は得られなさそうだ。

 それでもどうしても諦められない、諦めるくらいならばいっそ死んでしまいたい程の想いを紅薔薇の姫君ルクレシアへ抱いている聖女アンジェラは、実に憂鬱そうに、深く重いため息を吐いた。

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