第22話

 魔の森近く、山の中。

 そんな最悪のロケーションにも拘わらず、良い温泉があるというたった一つの強みによって成立しているとある村。

 その中の、私がよく利用している宿の一室で。

 私と兄は、洗礼のため神殿へと向かう前に、それぞれの性別に合わせた服装に着替えたところだ。


「お兄ちゃんの男装って初めて見るけど……、う、麗しい~」


 私が率直な感想を漏らすと、兄はなんだかしょっぱい顔で私に尋ねる。


「ルーシー、それ、褒めてる? ちょっと馬鹿にしてない?」


「してない。褒めてる。とっても麗しくてかっこいいよ、お兄ちゃん!」


「そう……。麗しくて、ね。はあ……」


 私が力強く答えると、兄は私からの『かっこいい』は全然信じていない様子で、ため息を吐いた。


 本当に麗しくてかっこいいのに。

 女性騎士みたいな感じで、とは付くけれど。


 正直、兄のたおやかで艶やかな美貌と仕草と雰囲気と、にじみ出る気品と色気のせいで、どうにも女性がパンツスタイルできめているようにしか見えない。

 お姉様とお呼びしたい。本当は男って嘘でしょこの人。

 そんな私の飲み込んだ本音が伝わってしまったのか、兄はしょんぼりとしたまま続ける。


「僕自身、この服、なんだか着こなせていない気がするんだよね……。慣れていないからかな。これが僕本来の姿のはずなのに、どうも落ち着かないというか、服が軽すぎるというか……。こんなに楽で良いのかな、なんて思っちゃう」


「あー、お兄ちゃんの場合、まずそこまでの軽装なんて珍しいもんね。もうちょっとこう、正に貴公子! って感じの重厚な服なら、しっくりくるかも……?」


「そうかな。だと良いけど……」


 私のフォローに弱弱しく同意した兄は、あまりに憂いを帯びた美女だった。


 すごい。逆にすごい。

 うちの兄、兄なのに、あまりに美女の才能が有りすぎる。

 何を着ても美女。男装したって美女を隠しきれていない。すごい。

 ……兄と似た顔をしているはずなのに、同じ格好をするとすんなり男と思ってもらえ、今のところ誰にも疑われていないわが身の事は、振り返らないものとする。

 

「ま、まあとにかく、洗礼に向かいましょう、お兄様!」


 素のルーシーモードからちょびっと路線を変えて兄が演じるルクレシアに寄せてそう誘えば、こちらも私が演じているルクレシアスに似せてか、幾分キリリとした表情で兄は頷く。


「そうだね、神殿に行こうか、ルクレシア」


 うん、お兄ちゃん、そうしているとかなり貴公子な感じ出てるよ! 中性的!

 ……まあ、どうあがいても、雄々しいとまではいかないんだけど。




 そんな若干のモヤモヤはありつつも、兄がアークライト王国所属カーライル侯爵の三男ルクレシアスとして、私が同じく長女ルクレシアとして。

 きちんと本来の性別、身分、姓名を明かして、神殿にて洗礼を受けた。


 すると狙い通り、すぐに神殿に女神様の声が響き渡り、ルクレシアス・カーライル=兄は、新たな聖守護騎士候補と認められた。

 ゲーム通りであれば世界中の女神教神殿でも同時に同様の神託が下りているはずなので、父らにも、ルクレシアスが生きていた事はバレただろう。

 私たち双子が揃って洗礼を受けた情報も、この神殿から広まっていくはず。


 父らとの決別は、もう決定的だ。

 私が今後ルクレシアスとして表に出るならば、命を狙われる可能性が高い。

 ゲームのシナリオは、知っていた所で大して役に立たないだろうし。

 私は、気合を入れ直した。


 当事者のくせに誰よりも先ほどの神託が信じられない様子で呆然としている兄の手を引き、歓喜と興奮であれこれと話しかけている神官さんたちを振り切って、私はすぐに宿に戻る。

 走って、走って、走ったらマズイ所は早歩きで、確実に人目が無い所はちょっとだけ空を飛んじゃったりもしながら、とにかく走って。

 どうにか宿の部屋に戻ってきて、一呼吸。


 と、そこでいきなり兄が、ぎゅう、と私に抱き着いて来た。


「僕が聖守護騎士の候補に選ばれるなんて……! なにもかも君のおかげだよ、ルーシー。ああ、ルーシー、僕の希望、僕の光、僕の天使……! 君は僕にいつも幸福を与えてくれるね……!」


「いや、そんなそんな。お兄ちゃんが頑張ったからだし、お兄ちゃんの才能があってこそだから。わたしは、ちょっと手助けしただけだよ。それにたぶん、聖守護騎士云々に関しては、聖女のアンジェラちゃんとの相性みたいなのが一番重要なんじゃないのかなって……」


 あまりの兄の勢いに宥めにかかってみたけれど、兄はふるふると首を振り、ますます真剣な声音で告げる。


「君がいなければ、アンジェラのことだって知らなかった。どうがんばれば良いのかもわからなかった。そもそも、君が聡い子でなければ、僕は早々に父に殺されていたはずなのだから……。なにもかも、君のおかげだよ、ルーシー。本当にありがとう、僕の最愛」


「うへへっ、いや、そんな、そんなそんな……、どういたしまして!」


 照れのあまり若干挙動不審になりながらも、私はどうにかそう返した。


「……あの、ところで、なんだけど。僕、神託下りたじゃない? このまま僕がルクレシアスに戻って、聖守護騎士候補のルクレシアスとしてアンジェラたちのところに行く……、っていうのは、ダメ、かな?」


「うっ、いやっ、それはどうかな……? となると、ええと、ルクレシアはこのまま行方不明、な感じ?」


 パッと身を離し、うるりと可憐な上目遣いで兄が私にそう問うてきて、私はとっさに返答に悩んだ。

 だって、兄ってば男装している美女にしか見えないんだもの!

 あまりに可憐。あまりに【紅薔薇の姫君】ルクレシア過ぎる。

 ええー、お兄ちゃんに【極炎の貴公子】ルクレシアスができるのー?

 疑いのまなざしの先、実に可憐なわが兄は悩まし気に首を捻る。


「ルクレシアは、うーん、そうだな、例えば父に殺されかけたところを保護して、そのショックで記憶喪失、とかそういう感じで、僕といっしょにあちらに合流、というのは?」


「それは無理。さすがに無理。私が無理だし世界が終わる」


 私が反射的に答えると、兄は戸惑いをあらわにする。


「ええ……、どういうこと……?」


 兄がこのタイミングでルクレシアスになるというのは、確かにこの上なく良い機会なのだろう。

 聖守護騎士の候補に選ばれたというのは、冒険者を辞める理由として自然だし。すんなり極炎の貴公子を辞められるだろう。


 しかし、よく考えてみれば、このタイミングで兄が演じる紅薔薇ルクレシア・カーライル侯爵令嬢が失踪したり記憶喪失になったりというのは、あまりにマズイ。


 紅薔薇に何かあれば、兄以外の聖守護騎士候補及び聖女が、全員絶望して何も手につかなくなるに決まっている。絶望のあまり悪魔の誘いにだって乗りかねない。世界が終わる。

 彼らが世界を救った後でならいつまでも思う様心ゆくまで絶望してくれていてかまわないが、世界が救われる前に彼らを絶望させるわけにはいかない。


 私だって、失踪して身を隠しておくならまだしも、記憶喪失のルクレシアとして彼らの前にノコノコ姿を現すなんて、怖すぎるし。

 偽物だとか悪魔が成り代わっているのではとか言われて殺される可能性すらある気がする。

 双子パワーで奇跡的に私こそがルクレシアだと信じてもらえたところで、そうなれば今度はあのレベルの執着を私に向けられることになるわけで。嫌すぎるし。怖すぎるし。


 最終手段のルクレシアは死にましたも、嫌すぎるし怖すぎるから失踪も、世界が救われる前に世界を救う聖女様御一行を絶望させるわけにはいかないので、不可。


 つまり、兄には、なにがなんでもルクレシア・カーライル侯爵令嬢として、少なくとも世界を救うまでは聖女様御一行の元にいてもらわねばならぬ。ならぬったらならぬ……!

 しかし、兄は自分がどれほど傾国の美女(男)かの自覚がない、というか、妹(私)ならばもっとやれるくらいのつもりだから、率直に今の説明をしても、わかってもらえないだろう。

 よって、騙してでも脅してでも泣き落としてでも、もはや手段は選ばず、私は兄に引き続き紅薔薇ルクレシア嬢役をやってもらうよう説得するしかない……!


 決意を新たにした私は、一度深呼吸をしてから、兄に告げる。


「私が聖女様御一行に合流することは、できないよ。私はまだ、あちらとは別行動でしたいこともしなければならないこともあるから。お兄ちゃんがルクレシアスになるというなら、私はルクレシアとして、改めて冒険者になるしかない」


「君が女の子として冒険者をするのは心配だな……。というか、その場合、ギディオンさんとの相棒関係はどうなるの?」


 私の説明に、兄は疑問を呈してきた。

 ギディオンか……。

 ふむ、と考えながら、私は答える。


「ギディオンがいないのはツライかなぁ……。女として動くなら、危険も増えそうだし。あいつには私の性別と事情を説明して、相棒を続けてもらうかな……?」

「絶対ダメ。ダメったらダメ! お兄ちゃん、絶対そんなの許しませんよ!!」


「え、うん。まあ、女で冒険者は、やっぱり心配だよね。じゃあ、お兄ちゃんがルクレシア、私がルクレシアスでいくしかない……、んじゃない?」


 かなり食い気味で、しかもお兄ちゃんにしては珍しく勢いよく主張してきた兄に、私はそっとそう返した。


 別に、私が冒険者をやる意味は、もう正直そんなにないんだけどね。聖女様御一行に加入したところで、さしたる問題はない気がする。

 ただそれは、兄が紅薔薇ルクレシアとしていてくれた上で、私が極炎の貴公子ルクレシアスとしてならばであって、私に紅薔薇は荷が重い。というか無理。

 紅薔薇じゃなくて家出娘ルクレシアにジョブチェンジしても良いなら私は別にルクレシアに戻っても良いんだけど、兄はなぜかわからないけどそれには猛反対のようだし、たぶんそれをすると世界が危ないのだ。


 つまり。


「そう……、じゃあ、僕が引き続きルクレシア・カーライル侯爵令嬢を演じて、君が引き続き冒険者ルクレシアスを演じるしかないのか……」


 そういうことである。

 兄の言葉に、私はうんうんと頷く。


「それが一番平和じゃないかなって、思うよ。少なくとも、悪魔や悪魔崇拝者たちとの件が片付いて女神様及び聖女アンジェラちゃんサイドが勝利するまでは、そうしないとじゃないかな」


「……でも、それってさ、僕が女の姿でいるうちに、アンジェラのパートナーが他の誰かに決まっちゃわない? ルーシーがアンジェラをルクレシアスとして口説き落とすの? でも、冒険者として別行動の予定なんだよね?」


 兄はおずおずと、そう指摘をしてきた。

 あー。そこかー。

 アンジェラちゃんを男として口説くために、本来の性別に戻って、聖守護騎士候補ルクレシアスとして、聖女ヒロインアンジェラちゃんの傍にいたいのか。


 なぜ兄がいきなりこんな事を言い出したかに、ようやく私は合点がいった。


「一応、原作ゲームだと、全員と友情止まりエンド、というものがあったよ。俺たちの戦いはこれからだ! エンド、というか……」


 きょとんと小首を傾げた兄にどう言えばわかりやすいか考えながら、私は続ける。


「聖女と聖守護騎士二人の愛の力でラスボスに打ち勝つ、というのが本来の筋だけれど、愛が無くともラスボスに打ち勝ちさえすれば、世界は平和になるんだよね。アンジェラちゃんが誰も選ばなければ、全員との友情パワーで勝利を掴むことになるはず」


 聖守護騎士に選ばれると選ばれた人が大幅にパワーアップするので、普通なら聖守護騎士がいなければラスボスに勝てずにバッドエンドとなる。

 しかし、レベルを上げて物理で殴れば、愛など無くともその分のパワーアップなど無くとも、ラスボスは倒せないわけではないのだ。

 そのようにすると、全員と友情止まりエンドとなった記憶がある。

 ラスボス戦だけ私とギディオンも参加すれば良いし、ネイサンとマリリンの助力を願っても良い。

 それなら、敗北バッドエンドの事は考えずに、コレを狙うことができるだろう。


「というか、アンジェラちゃん、攻略対象者に興味なさそうだったし、攻略対象者全員もアンジェラちゃんに興味なさそうだったし、もう、全員と友情止まりエンドしかないんじゃないかな……」


「……つまり、あの人たちとアンジェラの関係を、全て友情止まりでいさせれば良いんだね?」


 私の半分独り言だった言葉を聞くと、兄は傾国の美貌で嫣然と微笑みながらそう呟いた。

 そうだね。お兄ちゃんがその美貌と色気で攻略対象者全員キープしておけば、どうあがいたって友情エンドだよ。

 世界が平和になったその後に、思う存分アンジェラちゃんを口説きにいけば良いよ。


 というか、もしかすると百合のつもりでアンジェラちゃんがお兄ちゃんを選んで、女神様にお兄ちゃんが聖守護騎士認定されるパターンがある……? のでは……? ともほんのり思うけれど。

 まあそれは、狙ってできるようなものではないので。

 とりあえずは友情エンド狙いということでよろしいんじゃなかろうか。


「というわけで、お兄ちゃん、もう少しだけ、悪役令嬢ルクレシア・カーライル役、やってくれる?」


 私が甘えた声を作って改めて兄に頼み込むと、兄はため息交じりに頷いてくれる。


「もう、仕方ないなぁ……。君の頼みを、僕が断れるわけがないじゃないか。わかったよルーシー、お兄ちゃんに任せておきなさい」


 お兄ちゃんってば、妹に甘すぎてちょろすぎて大好き。

 攻略対象者たちなんて、あんなにぶんぶん振り回されていたし、友情エンドを狙う兄によってこれからもぶんっぶんに振り回されるんだろうに。

 天と地ほどの扱いの差に、だいぶ気分が良いな。ふはは。

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