第18話

 挨拶が無事(?)済んだところで、兄を鍛えるため、そして兄にかかるだろう追手を撒くために、これからすぐに魔の森に行きたい旨をギディオンに伝えた。

 私が不在の間街から離れることができず体がなまりそうで嫌だったらしい彼は、これを快諾。

 食堂で食事を済ませ、街で多少の買い物をして、私たちは早速魔の森へと出発した。


 街を出て、しばらく歩く。街近くの森はそこまで強いモンスターは出てこないし、ここから先のなので、私が先頭で。

 その後ろに兄と、兄の護衛を引き受けてくれたギディオンが並ぶ。


「私、森というものを歩くこと自体初めてなのですが、お二人に迷惑をかけずについていけるでしょうか……」


 靴と服装は(やはり女装なのだけれども)森を歩くのに不便はない物に整えたが、それだけではまだ少し怖いのだろう。

 兄が不安そうに呟いた。


「まあ不安だよな。妹さんは、野宿なんざしたことないだろうし。でも大丈夫だ。お前の兄貴に常識は通用しないから。これから行くのも森っつーか……、いやうまく説明できる気がしないし説明しても信じてもらえる気がしないな。とにかく大丈夫だ、とだけ」


「常識は通用しないって、ちょっと失礼じゃないかな。……まあ、安心してよ。快適に安全に過ごせるよう、僕が君をエスコートするからさ」


 ギディオンの言い様に軽く反論しつつ、私は兄を安心させるよう軽く後ろを振り返って微笑んだ。

 兄はきょとんとふしぎそうに小首を傾げている(かわいい!)が、彼の傍らのギディオンは、私の言い分を軽く笑う。


「ハッ、お前が非常識なのは確かだろ。だってお前、これからどこを通ってどこに行くつもりだ?」


「そりゃ、妖精の小道を通って宿に行くつもりだけど……」


 私が素直に答えると、どこか得意げにギディオンは返す。


「ほらな。わけのわからないものにわけのわからないものを重ねるつもりの男が、常識的なわけあるかよ」


「妖精の小道? それに、宿……? 、出発前に、これから森の奥に行くとおっしゃっていましたよね?」


 わけのわからないとは失礼な。

 そうギディオンに反論する前に、兄の疑問の声が届いた。

 私はうんうんと頷く。


「そうそう魔の森の最深部まで、行く予定だよ」


「……へ?」


「なんて言っているうちに、そろそろ妖精の小道の入り口に差し掛かるな。さあ、ここから先は僕と手を繋いで行こうか」


 そう言いながら兄を振り返ったが、彼はきょとーんと、心底意味が分からないとばかりに小首を傾げている。

 ちゃんと説明してあげた方が良いんだろうけど、百聞は一見にしかずというか、ギディオンがさっき言った通り『うまく説明できる気がしないし説明しても信じてもらえる気がしない』んだよなー。


「いっそ抱き上げてやれよ。アレ、初めての時は俺ですら立ち眩み起こしかけたんだから。そんな繊細そうなお嬢さん、失神したってふしぎじゃない」


「それもそうかな。……失礼、ルクレシア、少しだけ我慢してね」


 ギディオンの指摘に私は納得し、兄を抱き上げることにした。


「へ、へ、へ?」


 戸惑いつつも、兄は素直に私の促すままにお姫様だっこされてくれる。

 これもだいぶ慣れてきた感じがあるな。さすが紅薔薇の姫君(男)。


「ルクレシアスにそうやって抱き上げてもらえる権利って、売りに出したらいくらで売れるんだろうな?」


「いくらもつかないに決まっているさ。といっても、僕は妹以外にこうするつもりはないけど。それこそ、いくら積まれたって。たとえお前が倒れても僕が運ぶことはないから、そのつもりでいてくれ」


 ギディオンがぼそりと尋ねてきたのに、私はどこまでも冷たく答えた。

 私が男装をした女子だとバレると困るからな。本当にいざというときは、魔法でどうにかして運ぶしかない。

 腕の中の兄をしっかりと抱えながら、私は妖精の小道ショートカットルートを進んでいく。


「俺をお前が運べるとは元々思ってねーって。体格的に。いざというときは遠慮なく見捨ててくれ。……ぐっ。何回通っても慣れねーな、このなんとも気色悪い感じは……」


「きゃあっ!?」


 ぐにゃりと歪んだような感触のするその道を通った瞬間、ギディオンが呻き、兄が可憐な悲鳴を上げた。


「そうかなぁ。僕はなんにも感じないんだけど。……さ、着いたよルクレシア。ここが森の最深部だ」


 私が示したのは、周囲の森。

 先ほどまで通っていた入り口付近と比べると、この辺りは背の高い樹々が鬱蒼と生い茂っているし、明らかに強いモンスターがいるぞというゾクゾクする感じがしている。空気から雰囲気からなにもかもが違う。


「な、なんですの、これ……。今のは、いったい……」


 私の腕の中の兄は、私に更にぎゅっとしがみつきながら戸惑いの声を上げた。

 おや、ずいぶん兄の顔色が悪い。

 さっきのワープ、そんなに衝撃的だったのか……。抱き上げておいて良かった。


「な! な! そうだよな! 意味分かんないよな! ここ、普通に来たら何日もかかるんだぜ!? なのに、さっきのルートを、特定の手順を踏みながら通ると、道中全部省略してなんか一瞬でここに着くんだよ!」


 ギディオンが仲間を見つけた! というかのように喜色満面で告げた事実に、兄は小さな声で「え、え、ええ……?」と呟いている。


「そう、今のが妖精の小道っていう、ショートカットルート。わけがわからないという程ではないと思うんだけれど。同じものが、世界各地にいくつかあるし」


「あるし。じゃないんだよ。初耳だったっつの。六年この森を駆け回っていた俺が。それどころか街の誰も知らねーぞこんなの。そんなものをどうしてお前が知ってるのかって話だよ。いやもう、俺は理解しようとするのを諦めたけどさ。ほら妹さん、あっち見てみろ、あっち。更にわけわかねーもんあるから」


 私の説明にツッコミをいれつつ、ギディオンは一本の大樹の上を指さした。

 兄はそれに従い、そーっとそちらを窺う。


「……ツリーハウス? というものでしょうか。え、ここ、魔の森の最深部なのですよね? どうしてあのような物がここに? まさか、あれがお兄様たちが言っていた宿なのですか?」


「そうそう。あれが宿。【天使】が経営している宿だね。ひとまずあそこで休もうか。あちらにいくつか預けている物もあるし」


「……は?」


 私がさらりと認めると、兄はとうとうぽっかーんと口をあけて呆けてしまった。


「諦めな、妹さん。早めに諦めた方が良い。考えるだけ無駄なんだって、お前の兄貴のやることなすこと全部。『まあルクレシアスだからな』で納得するしかない。俺はもう、『わー、べんりだなー、たすかるなー』って受け入れることにした」


 ギディオンはそんな雑なアドバイスを兄にしながら、宿へと向かう。

 その後ろに、呆然としている兄を抱えたままの私が続いた。


 そこまで言う程のことだろうか。

 長めのダンジョンには、だいたい休憩所とかセーブポイントとか、ショートカットができる隠し通路とかがあるものでしょうが。

 私の原作ゲーム知識の通りに、それらが実際にこの世界にもあったというだけのことだ。

 まあ、セーブだのロードだのはできないけど。そこはさすがに。

 ここ、ラストダンジョンに相応しくとっても道中が長いラストダンジョンだし、逆に、休憩所だのショートカットだのがなかったらとても困る。

 きっと困るだろうなと思って、女神様が聖女のために用意してあげたのだろう。たぶん。


「お兄様。もう大丈夫です。ここからは自分の足で行きますわ」


 もうあと二、三歩で宿の下に着くという頃に、兄はしっかりとした声音でそう言った。

 顔色は良くなったみたいだけど……。


「本当に大丈夫かい? このまま上まで飛んでも良いんだよ?」


 私の問いかけに、兄はきっぱりと首を振る。


「いいえ。中には天使様がいらっしゃるのでしょう? こんな状態でそのような宿に入るわけにいきませんわ」


「ルクレシアスは天使って言うが、実物は謎の謎生物だから、そこまで気にしなくても良いと思うがな。生物? いや生きてるのかもわからん。なんかこう、すっげー無機質で、こっちの言っていることが通じているんだか通じていなんだかもよくわかんない、明らかツクリモノっぽいなにかだ」


 ツリーハウスに繋がる梯子をひょいひょいと登りながら、ギディオンはそう述べた。

 それを聞いた兄は、なんだか疲れたような、実に遠い目をしている。

 やっぱり、兄はこのまま抱いて行った方が良さそうだ。

 私は兄をお姫様抱っこしたままふわりと浮き上がり、上に向かいながら補足する。


「ツクリモノ、確かにネイサンの人形に近い感じがするね。【天使】はつるんと白一色だけど。でも清らかな気配がしているし、回復魔法が使えるし、あれがいる場にはモンスターや悪魔が近づけないようだから、天使なんじゃないかと僕は思っているよ」


 あと、原作ゲームで天使って書かれていたし。

 これは、さすがにギディオンのいる場だったので言わなかった。

 そこでちょうど宿の入り口の前に着いたので、今度こそ兄をそっと降ろしてやる。


「そうなんですか、お兄様。それは、安心して休める宿ですね。とても、とても便利……」


「うん、とっても便利だよ。ここを拠点にして、これからしばらくルクレシアの修行をしようね!」


「はは、助かりますね……」


 私の宣言に、兄は力なく笑った。

 こちらは自力で登ってきたギディオンが、そんな兄に同情的な視線を向けながら告げる。


「さっさと諦めた方が良いぞ。じゃないと、この先もっと疲れることになる」


 ギディオンの言葉を受け、兄は幾度か「便利……、助かる……」と口の中で呟くと、しばらくの後に何もかもを諦めたようないやに爽やかな笑顔を浮かべた。

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