第17話

 むうう。


 私と相棒のここまでの経緯を聞き終えた兄は、そんな不機嫌さを隠そうともしない不満げな顔で、私を睨みつけている。なのに、それをうるうると潤んだ涙目でやっているものだから、こわいというよりとてもかわいい。

 いったいどうしたのだろう。

 勝手にルクレシアスの相棒なる人物を定めてしまったのがまずかったのかな。

 でも、表情的にはなんだか拗ねているような……?


は、私よりもギディオンさんの方がかわいいと思っていらっしゃるの?」


 いきなりの妹(兄)モードで、兄は不服そうに問いかけてきた。今にも泣いてしまいそうな、うるっうるの瞳でこちらを上目遣いに見ながら。

 そのあまりのかわいさに、ズギャアアアアアン! と心臓を撃ち抜かれた心地になるも、これでのけぞったり動揺を見せたりするのは正直かっこ悪い。

 ぐっとこらえて、こちらも気合で【極炎の貴公子】モードに切り替え、答える。


「まさか。僕にとって世界で一番かわいいのは君に決まっているだろう、僕の最愛の。……本当に、世界中の誰よりも君のことが愛しいよ。ずっとずっといっしょにいた、僕の片割れだもの」


「それなら、けっこうですわ」


 そう言いつつも、つんとすました顔でぷいっとそっぽを向いてしまった妹(兄)のかわいらしさよ。

 いや本当に、あまりにかわいすぎないかこの子。


 そっか。お兄ちゃんは私の相棒を簡単に認めてやりたくないんだね。

 私の一番のかわいいの座を譲りたくなくて、わざわざ妹モードに切り替えてきたんだね……!


 うちの妹(兄)がかわいすぎて困る。さすが傾国の悪役令嬢(男)。


「本当に、私が一番信頼していているのはお兄ちゃんだよ。お兄ちゃんのことが、誰より大好き。信じてよ。私の秘密を全部知っているのは、お兄ちゃんだけだよ? ……そういえば、ギディオンには、素顔こそ見せたけどまだ何もこちらの事情を明かしてないなぁ」


 私が素のルーシーモードに戻ってそう呟くと、兄もふむ、と頷く。


 私が周囲に隠していることはいくつかある。

 第一ラインが『仮面の下の素顔』、第二ラインが『私たちの父親が悪魔崇拝者であり、それと敵対していること』、第三ラインが『私たち双子の本当の性別と本名となぜルクレシアスが隠されて育てられたのかの事情』、第四ラインが『前世の記憶と原作知識』といったところか。


 母やその協力者、及びマリリンは第三ラインまでは知っている。ネイサンには、マリリンの要望を受けて、第二ラインまでしか明かしていない。

 全ての事情、第四ラインまで明かしたのは兄にだけだ。

 ギディオンなんて第一ラインをようやく越えたくらいの親密度と信頼度なんだから、兄が脅威に感じる必要なんて少しもないと思うんだけど。まあ、近い内に、第二ラインまで話す気はするが。

 

「まったくもう、そうまで言われたらいつまでも拗ねてられないじゃないか。ルーシーって、本当に人たらしだよねぇ……」


 ようやく納得がいったらしい兄が、兄モードに戻って、肩の力も抜いた様子で笑ってくれた。でも。


「人たらしだなんて、お兄ちゃんにだけは言われたくないなぁ……。お兄ちゃんなんて、主役の聖女を差し置いて会場中の視線を集めるくらい、社交界のあっちこっちをたらしにたらしていたくせに」


 納得いかずに私がそう返すと、兄はなぜか仕方がない子を見るような目で私を見つつ、苦笑いをする。


「だから、そもそも僕がそこまで必死に老若男女を惚れこませなければって躍起になっていたのは、本物のルーシーこそが人たらしだからなんだってば。まず、双子の兄であるところの僕がここまで妹が好きな理由を、考えてみなよ。……君はすごく魅力的な人なんだよ、かわいいルーシー」


 いや、お兄ちゃんがシスコンなのは、単にお兄ちゃんが家族思いで愛情深い人だからでしょうよ。

 そう反射的に思えど、本家の兄によるお兄様スマイルからのかわいい呼ばわりに、またもズギャアアアアアン! と心臓を撃ち抜かれた心地になった私は、今度こそ負けた。

 ヴッのような、グッのような、よくわからないうめき声を漏らし、胸を押さえてうずくまった私に、兄は更に言う。


「さっき、一階でもずいぶんな騒ぎだったじゃない。街を竜から救った英雄というのを差し引いても、ルーシーはあまりにたくさんの女性を魅了していたよね?」


「いや、それは、お兄ちゃんの名に恥じないように紳士的に、お兄ちゃんのようにかっこよくと過ごしていたら、自然と、というか。だいたい、比較対象が悪いんだよ……! 冒険者に、紳士はあんまりいないから……! お兄ちゃんの方が、もっと上手に貴公子できると思うよ!?」


 と、そこまで言ってから、はてこれとよく似た言い分を最近聞いたような……、という気がして、すぐにそれが兄のそれととても似ていると気づく。

 いやでも、実際さっき、本家の兄によるお兄様スマイルの破壊力エグかったよ……? 私なんてまだまだというか、絶対に兄の方がモテるし……。

 あっあっ。兄と同じようなことを考えてしまっている……!


「違う。待って。私がさっき下で騒がれていたのは、なにも私のふるまいのせいだけじゃない。うちの相棒、ギディオン。ギディオンが悪い。あいつ、この街に住んで長いし見た目も悪くないし実力者だし性格も良いしで、かなり人気があるんだよ! それにあやかっている、というか……」


 私は慌てて、違う切り口で主張してみた。

 事実、ギディオンといっしょにいるときは、レディたちの『きゃー!』が『ぎゃああああ!』になるのだ。


 なんだか複雑な気分なのだけれど、皆さん中々にお腐りになっているに違いない。

 ギディオンは追加攻略対象者になれる程度の美丈夫で、私だってこの兄の双子の妹だ。

 そんな比較的見目の良い男が二人で仲良さげにしていることに、レディたちは胸の高鳴りを感じずにはいられないのだろう。BLの波動を感じる的な。

 片方の正体が本当は女で非常に申し訳ないのだが、たぶんそういうことだなと思っている。で、その勢いで私単独もある程度推している、みたいな。


 なんていうのは、兄に説明しづらい。


 なんと言ったものかと悩んで視線をさまよわせていると、背が高く体格も良いので無駄に目立つその人が、ちょうど食堂に姿を現すのが見える。

 噂をすれば影というやつか。しかし早いな。まあギディオンは呆れるくらい力があるから、受付嬢さんの想定より仕事が終わるのが早かったんだろう。


 私は兄にアイコンタクトを送ってから、防音の魔法を解いた。

 瞬時に頷いて楚々とした令嬢ルクレシアの空気を纏ってくれた兄に安堵しながら、私は相棒に呼び掛ける。ここからは私も、冒険者ルクレシアスモードだ。


「ギディオン、こっち!」


 私の呼びかけに気づいた彼は、飼い主を見つけたワンコのごとく嬉し気な空気を全身に纏って、早足にこちらへとやって来た。


「ルクレシアス、おかえり! 待ってたぜ! うっわ。下で聞いちゃいたが、怖い程の美人だな……」


 兄を見て反射的に感想を漏らしてしまったのだろう。

 ギディオンの言葉のうち『怖い』という部分が不服だったのか、兄が微笑みは崩さないまま静かにピリ……と怒りの空気を纏ったのを察する。

 うちの相棒ほんとバカ……!


「これだけ美人だと、そりゃ色々あるよな。お前さんのことは、お前さんの兄貴と俺とで、絶対に護るからな!」

 兄の怒りにも私の焦りにも気が付いてもいないらしいギディオンは、そのままニカッと爽やかな笑みを浮かべてそう宣った。


 瞬間、兄の怒りが霧散する。毒気を抜かれたのだろう。

 それから、私、ギディオン、私、ギディオンと見比べて「なるほど。二人揃ってお人好しの人たらし……」なんて呟いたかと思うと、ふふ、と上品に、今度はなんの含みもない美しい笑顔を浮かべた。


 なのに。

 ギディオンがすすすと私に近づいて、口に手を当てそれを私の耳元に寄せ、声を潜めてこそこそと内緒話を耳打ちするのを見て、兄の表情がギラリと変わる。


「しかしこうして見ると、お前の妹さん、お前にそっくりだな」


 ああ、うん。ありがとう。これほどの美人にそっくりだなんて、光栄なことだよ。

 私の仮面の下の秘密を守ってくれようとしてくれたのも、ギディオンにしちゃよくやったね。


 でもさあ、うちの兄、重めのシスコンなんだよね。

 妹に近づく男なんか、私が男装していてお前が私の事を男と思っていたって許さないわけ。許さないらしい。

 だって、兄の表情が完全にそう言っている。ビシバシと痛いくらいの殺意と敵意が、兄からギディオンにむかって飛んでいる。

 私に耳打ちなんかしたから、お前、完全にうちのお兄ちゃんに敵とみなされているみたいよ。


 あーもう、それに気づいてもいなさそうなんて、うちの相棒、本当にバカ……。


 うんうんと頷いて雑にギディオンを掌で押しやって距離を取り、私は再び防音の魔法を展開する。


「これで、他の人に僕らの声は聞こえない。だからもう、そんなに近づく必要はないよ、ギディオン」


「ほー、なんでもできるなあ、ルクレシアスは。さすがだな。お前と最初会ったときは、天使様かなにかかと思ったくらいだ」


 私の説明に心底感心したようにそう述べて、ギディオンは向かい合わせで座っていた私たちの真ん中の席に腰掛けた。


「……天使」


 そのキーワードがシスコンの琴線に触れたらしい。

 その単語をぽそりと拾った兄に、得意げな笑みを浮かべながらわが相棒は言う。


「俺がこいつに初めて声をかけた日の話は、もう聞いたか? お前の兄貴が、この街を救ったんだよ。それもたった一人でさ!」


「聞きました。なんでも、火竜がこの街を襲おうとした、とか」


「そうそう。で、その火竜のブレスがな、もう絶望そのものって感じだったわけ。あれは、人間にどうこうできるものじゃないって俺は思ったね。ところが、それを上回る炎を、それも街とそこに住む人間を護るように、放った奴がいたんだぜ? でまた、それをしたのが現実味がない程綺麗な男でさ。正に天の使いに見えたね!」


 兄の相槌にうんうんと頷いて、どこまでも楽し気にギディオンは語った。


は、昔からなんでもできるんですよ。でも能力が高いだけじゃなくて、なにより人柄が良いんですよね。優しくて、思いやりに溢れていて、正義感が強くて、自分の高い能力を、迷わず人のために使う人なんです」


「そうそう。そんでまたちょーっとしたことにもよく気が付いて、さらっと当然みたいな顔で助けてくれるんだよな。火竜の件を抜きにしたって、うちのギルドでこいつに助けてもらったことがない奴なんて、ほぼいないくらいだ」


 シスコンの兄と相棒ギディオンによる、私自慢合戦が止まらない。


 どういう表情でコレを聞けば良いのか。

 そろそろ止めても良いんじゃないのか。

 でもせっかく兄の機嫌が戻っているし、なんか盛り上がっているし。

 下手に否定をしても、相手が二人なだけに勢いで私の方が負けそうだし。


「……ふむ、あなたはなかなか兄の事をわかっているようですね。私はルクレシア。これからよろしくお願いしますね、ギディオンさん」


「ああ、そういや名乗ってもいなかったか。すまねーな。俺はどうも相棒と違って気づかないことが多くて。改めて、俺はギディオン、よろしくな」


 私が悩んでいる間に、ひとしきり私自慢で盛り上がり、何か通じ合ったらしい二人は、友好的に挨拶を交わしていた。

 二人は立ち上がり、握手。


 そこまで至って、私は若干焦る。

 おいギディオン、大丈夫なのか。うちの傾国の美女(男)とそんなことして。

 自分の相棒がうちの兄へ不毛な恋を抱くとか、すごく嫌なんだけど。


「……?」


 ハラハラする私の目の前で、ギディオンは一瞬なにかいぶかし気な表情をして首を傾げ、次になにか浮かんだ疑問を振り払うように首を振った。


 どうした。

 兄の手は侯爵令嬢として丁寧に手入れされた手だから、あまりにすべすべ過ぎて未知の存在過ぎて、なんじゃこりゃとでも思ったのかな。

 あるいは、自分の中に芽生えかけた新しい感情、つまるところ兄への恋心的なサムシングを、なんだろうこれはって思ったのかな。


 後者だと困る。

 いやもう、兄の信奉者なんてもう手の施しようがないくらいにいっぱいいるんだから、今更一人くらい増えても誤差かもしれないけど。

 でも、ギディオンは、ギディオンだけはなんか嫌だ……!

 頼む、前者であれ。


 うちの兄の魔性に負けないでくれ、ギディオン……!

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