第9話
聖女ヒロイン、アンジェラ・コーリン。桃色の髪に空色の瞳の一五歳の少女。
今でこそ聖女と呼ばれ世界中の期待を背負う立場となった彼女だったが、デビュタントしてすぐの頃は、社交界に身の置き場などなかった。
特別裕福という程ではない子爵家の五人姉妹の四女。
娘三人あれば身代が潰れると言われることもあるのに、娘ばかりが五人。
長女に婿を迎え、そのすぐ下の二人をどうにか嫁に出し、ちょうどその頃に一五になったアンジェラ。
コーリン子爵家が、アンジェラのためにデビュタントの白いドレスを新しく仕立てるなど、できるはずもなかった。
九つ上の長姉からのおさがり。流行遅れの型、丁寧に手入れをされていてもどうしたって新品のドレスとは違うくたびれた風合い。長姉の体形に合わせ仕立てられ、すぐ下の妹にも受け継ぐことを考えればそこまで大胆な直しをすることもできない不格好なドレス。
そんなものでデビューを果たした令嬢が、同じドレスに二度は袖を通さないような貴族令嬢ばかり集う中で、どのような扱いを受けるか。
春の王城。デビュタントが集う舞踏会会場。
そこでアンジェラは、はっきりと見下されていた。
侮られ、軽く扱われ、小ばかにされる。
アンジェラがなまじかわいらしい顔立ちをしていたがために、それに嫉妬をした意地の悪い人々も混じって、こぞって彼女のドレスを笑った。
自分の愛人になれば新しいドレスを買ってやると戯けた誘いをかけてくる高位貴族、誉め言葉のように『クラシカル』だの『伝統を大切にしていて素晴らしい』だのと要約すれば『古臭い』と言って馬鹿にしてくる貴族夫人、チラチラとアンジェラを見ては友人とクスクス笑いあう貴族令嬢……。
会場が、そこに集う男女の装いが、華やかであればあるほど、みじめで、つらくて、悲しくて、恥ずかしくて。
アンジェラは会場の隅で背を丸め、うつむくことしかできなくなっていた。
本来ならば持ち前の正義感から彼女を救うはずの【チュートリアルちょろ王子】こと王太子ジェレミーは、なぜかぽやーっと呆けているばかり。時折しあわせそうに思い出し笑いなんてしている。
『あれ、なんか
「あら、アンジェラ・コーリン嬢、そんなにうつむいていてはあなたの愛らしいお顔が見えませんわ」
鈴を転がしたような澄んだ声に自分の名を呼ばれ、アンジェラは反射的に顔をあげ、パッとそちらを見た。
嫣然と微笑み、ピンと背筋を伸ばしその場に立っていたのは、ルクレシア・カーライル侯爵令嬢と呼ばれるその人、ルクス。
「ああ、やっぱりあなた、かわいらしい顔をなさっているわ。隠さず堂々と立ちなさい」
クイ、とアンジェラの顎に丁寧に磨かれた美しい指先を添え、ルクスは満足そうに微笑んだ。
「ひうっ!?」
そのあまりに凄絶な色気、ようやく頭にまで届いた先ほどの褒め言葉、視界に飛び込んできた圧倒的な美。
それらの衝撃で見えないなにかにしめられたようにきゅっと縮んだ喉から奇妙な悲鳴のような物を漏らして、アンジェラはびしりと背筋を伸ばして硬直する。
「そうよ。それで良いわ。ちゃんと背筋を伸ばしておきなさいな。あなたが俯かなくてはいけない理由なんてないもの」
「え、や、で、でも、私なんて……」
パッとアンジェラの顔から手を離してうんうんと頷いたルクスに、アンジェラは卑屈な笑みを浮かべ弱々しく反論しようとした。
ルクスはそれに困ったように眉を下げ、ゆるゆると首を振る。
「ああ、そういうのはよくないわ。そういう表情をずっとしていると、それがいつしか顔に染みついてしまうの。ずっと泣きそうな顔をしていたら情けない顔になってしまうし、あまり意地の悪いことばかりしていたら意地の悪い顔になってしまうわ」
チクリとアンジェラの事を笑っていた貴族令嬢たちに嫌味を放って、ちらりとそちらに視線をやって。
ルクスの視線に促されてそちらを見たアンジェラは、先ほどまで煌びやかで自分よりずっと立派で見るのもつらかったはずの彼女たちが、確かに意地の悪い顔のブスとしか思えなかった。
それはまあ、直前にアンジェラの視界を占めていた比較対象が、傾国レベルのとんでもないルクスの美貌だったせいというのが大きかったのだけれど。
ともかく。
自分は何を恥じていたのか、何を恐れていたのか。アンジェラはこの時、確かにそんな風に考えることができるようになっていた。
落ち着きを取り戻したアンジェラに笑みを深めて、ルクスは彼女に、
「同じように、ずっと美しく微笑んでいれば、美しい顔になれるのよ。ねえあなた、私のドレスのことなんて印象に残ってる? 靴は、ジュエリーは、そんなどうでもいいこと、今日家に帰ってから思い出せそう? それほど気になることかしら?」
「いえ、もう、なんて美しい人だろう、としか……。ああ、そういえばドレスも綺麗ですね。でも、あなた様の美しさしか、印象に残らないでしょう。他は確かに今日寝る前までには忘れてしまいそうです。でも、きっと、あなた様の笑顔は、生涯忘れることができません……」
ルクスの問いかけに、ほわ、と夢見心地で、アンジェラは答えた。
うん、と一つ頷いて、ルクスは続ける。
「ね? ドレスなんてなんだって良いのよ。あなたが着ているそれだって、丁寧に手入れして少しでも良くしようとしてくれた人の愛情が伝わる良いドレスだわ。他ならぬあなたがそう思って堂々と笑っていたら、みんなもそんな気がしてくるものなの。そんな気にさせてしまいなさい。あなたの、笑顔で」
ああ、こんな風になりたい。
そう憧れずにはいられない、凄絶に美しい艶やかな笑顔で囁かれ、アンジェラは、魔法にかけられたようになにかに操られるように勝手に頷いていた。
その日からアンジェラは、どんな場でも、堂々と背筋を伸ばし、朗らかに笑う少女となる。
それからも折に触れ気にかけてくれるルクスの近くにいるうちに、やがて悟った。
大切なのはその人であり、ドレスや宝飾品なんてのはあくまでもその添え物。
ならば、自分自身の魅力を高めることこそが大切で、俯いたり卑屈になったりせずに、紅薔薇のようにいつでも背筋を伸ばし微笑んでいるべきなのだ、と。
ついでに、誰も彼もがカーライル侯爵家の紅薔薇のことしか見ていない社交界において、自分や他の令嬢が古かろうが新しかろうがどんなドレスを着ていたって、誰も見ないしなんの意味も無いのだなとも。
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