第8話

「いや、さすがにやりすぎでしょ、お兄ちゃん……」


 残る三人の攻略対象者たちの顛末を聞き終えた私は、力なくそう呟くことしかできなかった。

 本編開始前に乙女ゲームが終わっていた件。最速攻略にも程がある。うちのお兄ちゃんはRTA走者なのかな?


「え。なにかダメ、だった……? あの、確かに、色んな人から色んな申し出があったけど、返事はしてないから! 良さそうなのだけ残して保留にしておいて、ルーシーが好きに選べるようにしたつもり、だったんだけど……」


 うるりと潤んだ瞳でこちらを見つめ、申し訳なさそうにしているわが兄のかわいらしさよ。

 お兄ちゃん、やっぱり性別間違えてないか? いやむしろ付いている方がお得? まあ良いや。

 このかわいい人にこんな表情をさせていることに対する罪悪感に負けて、私は笑顔を作って首を振る。


「ううん、ダメなんて事はないよ。ちょっとびっくりしただけ。お兄ちゃんは私のためにがんばってくれたんだもんね。ありがとう」


「うふふ、どういたしまして。彼ら以外のみんなにも、僕がちゃーんとルクレシア・カーライルの素晴らしさは伝えておいたからね!」


 兄は誇らしげに胸を張った。


 わあ、うちの兄ってば無邪気かわいい。しかしそれだけに、この無邪気に翻弄されているみんながかわいそう過ぎる。

 どこまでも深い妹への愛と果てしなく高すぎる妹に対する評価のせいで、実に無邪気に周囲を翻弄する傾国の悪役令嬢(男)が爆誕してしまった場合、その罪はわたしが背負わなきゃいけないのだろうか。


 そりゃ、お兄ちゃんに悪役令嬢やってくれって頼んだのは、私だけどさぁ!

 攻略対象者達に関するゲーム知識をお兄ちゃんに植え付けたのも、私だけどさぁ!

 彼らとは敵対しないでくれとお願いしたのも私だし、いつかはルクレシア・カーライルに戻るつもりだとも確かに言ったけどさぁ!

 兄が私に甘いことも、私のためならけっこうな無茶もしてくれることも、よーくわかっていたけどさぁ!

 兄が美しすぎることも色気があることも内面まで善良で魅力的なことも十分理解した上で、社交界に令嬢姿の兄を解き放ったのも私だけどさぁ!

 兄が高嶺の花路線で行くことを決めたのは私が兄を美人と言ったせいだし、兄はあくまでも私のために動いてくれたわけだし、ついでに米とか諸々を渇望したのも私だけど……、うん、いい加減己の罪を認めよう。


 こうして並べるとめちゃくちゃ私のせいだわ。


 兄に関しては、強いて言うならその美しさが罪なだけ。

 あと、妹の事が好きすぎるかな? でもそこは、私もお兄ちゃん大好きだからお互い様だし。


 モトキヨの件はね、うん、完全に私が悪かったわ。

 米と味噌と醤油を、誰から得たのかも知らずに大喜びで食べちゃった私が悪い。

 トドメになったお礼状とやらはほぼ私からの手紙の丸写しだったそうだし、これは私が悪い。間違いない。

 モトキヨを足掛かりにしなければハリーファと話すことは難しかっただろうし、兄とハリーファが通じ合ったのは、シスコンとブラコン故にらしいし。その点も私がいなければ、というわけだ。

 そもそもそれ以前、ジェレミーとフローランの二人も、私の入れ知恵がなければ……。

 そして、この四人に被害が無ければ、リンランディアが我が国にやって来る可能性は非常に低かったのだろう。


 誰かのせいにしたいが自分の顔しか思い浮かばない。


 結局のところ、お兄ちゃんが魔性だと薄々わかっていたのに自分の代理をしてくれと悪役令嬢をやらせたのは、私なのだもの。

【悲報】諸悪の根源=私だった。

 悪役令嬢ってこういうこと? 私ってば兄に任せたつもりで陰から立派に悪役令嬢をやっていた?


「そういえば、お兄ちゃん聖女ヒロインのアンジェラちゃんにもルクレシアお姉様とか呼ばれていたよね! 仲良くなったんだね!」


 私はあからさまに話を逸らした。だって考えたくない。己の罪の重さを、自覚したくない。

 とことん妹に甘い兄は、急な話題転換もさほど気にせず話にのってくれ……、おや?


「あ、ああ。アンジェラ、ね。うん、あの子が聖女になるって聞いていたから、気にかけていたんだ。そしたら、あの子ってばなんだか放っておけないんだもの。ついついあれこれ世話を焼いてしまって、いつの間にか、お姉様なんて呼ばれるようになっていたね」


 これまで、誰の話をする時も、どうとも思ってなさそうな涼しい顔で話をしていた兄は、しかしアンジェラちゃんの名前が出た途端にほんのり頬を赤らめてなんだか早口にそう言った。


 おやおやおやぁー?

 そういえば、お兄ちゃん、『私がせめて男であったなら、今夜だけでもと聖女様をダンスにお誘いして、かわいいあなたとの思い出を願いましたわ』とか言っていたな。

 あれ、かなり本気だったの? お兄ちゃん、私のせいで女装を強いられてるけど、男の姿でアンジェラちゃんとダンスしたかったの?


 ヒロインアンジェラちゃん、さすがのヒロイン力!

 無敵の傾国の美女(男)を唯一動揺させる程度のヒロイン力!

 まあ、攻略対象者は全員兄にかっさらわれてるけど。

 かっさらった人の心を射止めたのであれば、それはもうアンジェラちゃんの勝利では? さすが。


「もしかして、お兄ちゃんさぁ、私のためとか言っておいて、アンジェラちゃんに誰も近づけたくなかったのもあって、攻略対象者達を自分の方に引き寄せてたとこあるんじゃないのー?」

「そんなことは……! ない、と、思うんだけど……」


 私がニヤニヤと問いかけると、とっさに否定しようとして、けれど自分でも思い当たる節があるのか、兄はうろうろと視線を泳がせる。


「え、あれ、僕、そうだったのかな……!? た、確かに、あの人たちがルーシーとアンジェラとを両天秤にかけるようなことがあれば腹が立つなとは、思ってたけど……。だから、そんなことが無いように、ちゃんとルーシーの虜にしておかなきゃって……。え、ええ……?」

 ぽぽぽ、と桜色から更に濃い朱に頬を染め、兄は戸惑いを露わにした。


【朗報】お兄ちゃんが攻略対象者をぶんぶん振り回してたのは、私のせいだけじゃなかった!

 よかった……! ありがとうアンジェラちゃん……!

 気になってる女の子のパートナーになる可能性がある男を排除する手段が『自分に夢中にさせる』なのは普通ではないかもしれないけど、お兄ちゃんにも普通に男らしい部分があったんだね……!


 グッと力強いガッツポーズをとってしまったのは、致し方のないことだと思う。


「もう、変な事言わないでよ、ルーシー! そりゃ、アンジェラはかわいいけど、でもいくら彼女に惹かれたって、僕は、悪役、なんだから。聖守護騎士の候補になんて到底なれない身で、だから僕がアンジェラと結ばれる可能性なんて、万に一つもないんだから……」


「え、全然普通にあるけど」


「……へ?」


 怒ったように、それから意気消沈したように、あまりにも切なそうにつらそうに兄が言うから。

 さらりと反論すると、兄はパッと顔を上げて小首を傾げた。

 私は、の胸に手を当てて、はっきりと告げる。


「いや、だってほら、この【人形】、その作り手のネイサンの話はしたよね? 彼含め、二週目以降限定の、中ボスから改心して聖女サイドに寝返るタイプの追加攻略対象者が二人いるって話、したよね?」


「……あ」


「悪役サイドから攻略対象になんて、普通にあるんだよ。条件は、女神様が認めるくらいに高い能力特に戦闘能力、聖女や他の攻略対象者たちとの縁、女神様への信仰心、なによりそれらを揃えた上での、洗礼。これらを満たせば、追加の神託が下りて聖守護騎士の候補に選ばれるイベントが起きた。お兄ちゃんにだって、可能性は十分あるよ」


 呆然としたままの兄に、私はそう断言して聞かせた。

 徐々に希望がその瞳に宿ってきた兄は、とてもかわいい。うん、兄に悲しい顔は似合わない。

 にこりと安心させるように微笑んで、私は続ける。


「聖女や他の攻略対象者たちとの縁は、もう十分どころか十二分にあるでしょ? お兄ちゃん、女神様のこと、信仰してる?」

「もちろん。ルーシーをこの世界に遣わせてくれたのは女神様だと思っているもの。君は奇跡だ。僕の希望で光なんだ。僕は、君のおかげで今も生きている。これだけのものを与えていただいておきながら、女神様を信じないわけがない」


 食い気味に兄は答えた。

 やめて。そのお綺麗な顔面でそんなことそんなに真剣に言われたら、変な扉が開きそうになるから。実の双子の兄にドキドキしちゃう。

 ええい、シスコンめ! 私が前世の記憶を持ってルクレシアに生まれた理由なんて、直接女神様に聞いたわけじゃないんだからわかんないよ!

 まあ、真偽はともかく、女神様の与えてくれた奇跡(だとお兄ちゃんは思っているもの)を体感して、女神様を深く信仰している。うん、ゲームの追加攻略対象者と同条件。

 さっきあげた以外に『女神様が認める程の美形の男』って条件もありそうな気がするけれど、妹までドキドキさせる程の顔面の兄が認められないわけがないし。うん、同条件。


「それでほら、私たち洗礼受けてないじゃん。父親があれだから。ここらの国の人間なら、まして上流階級なら特に力を入れてみーんな子どもの時に受けているのに、洗礼、受けさせてもらえなかったでしょ」


「……僕に足りないのは、あと、戦闘能力、だけ?」


 私の説明を受けての兄の問いかけに、私は改めて考えながら、慎重に頷く。


「だと思う。今洗礼受けてもいけそうな気もするんだけどね。なんかほら、お兄ちゃんが『がんばれー』って言ってあげたら、攻略対象者たちみんなパワーアップしそうじゃん。そういう枠で認められそう。まあでも、念には念を入れてもうちょっと力を付けてから……」


 そこまで言ってから、私は兄を見ながら考える。


「……よし、攫うか」

「え?」


 ぼそり呟いた言葉に、兄は首を傾げた。

 私はニヤリと笑って、高らかに宣言する。


「ほうしんてんかーん!」


「……方針、転換?」


「うん。方針を、変えます。波風を立てないだの原作シナリオからできるだけ外れないよう動いて今後の予想を立てやすくするだのは、もうどうあがいても無理そうだから、諦めるねって話」


 もうシナリオぐっちゃぐちゃだからな。兄のおかげで。

 ついでに攻略対象者たちの性癖(誤用の方)もぐっちゃぐちゃなわけだが。純情弄ばれてるぅ。

 いや本当、もっと無難に普通にご令嬢をしてると思ってたんだけどな……。

 それは、こんなとんでもない御仁に武器(原作知識)だけ与えて半年間も目を離していた私が全面的に悪いんだけどさ。


 まあとにかく、私の原作知識は、もうあまりあてにできない。

 原作シナリオの遵守はもう、諦める。

 となれば、お兄ちゃんに無理してこんな悪魔崇拝者たちが蠢く危ない屋敷にいてもらう理由はもうない。


「だからね、シナリオもなにも無視して、今夜お兄ちゃんを、ルクレシア・カーライル侯爵令嬢を攫います。領地のお母さんもお母さんの侍女たちも、この半年でちょっとずつ頑張って、全員【人形】にすり替えてある。ルクレシアが攫われて、人形が全部砂のように溶けて崩れ落ちたら、さすがにこの家、大混乱になると思うんだよね」


 そうなれば、追手は分散されるはず。

 世間と隔絶するどこかに籠っても、その間にしばらく大混乱するだろう父らがなにか事件を起こせるとも思わない。

 だから、たぶん大丈夫。

 うむ、と頷いてから、説明を続ける。


「その隙に、お兄ちゃんのパワーレベリングをしよう。そこは、私のゲーム知識が活かせるはず。たぶん、二週間……、もうちょっとかな。お兄ちゃんの頑張り次第なところはある。で、お兄ちゃんの力を開花させて、洗礼受けて、聖守護騎士候補になっちゃおう!」


「ふふ、なっちゃおうなんて、ずいぶん気軽に言うけど、聖守護騎士候補なんて、国から一人選ばれるかどうかの、大変な身分なんだよ? でも、ルーシーが言うと、本当にできそうな気がしてきちゃうなぁ。……やっぱり君は、僕の希望で光だね、愛しいルーシー」


 くすくすと上品に笑ったドレス姿の兄の前に、私は片膝をついて左手を胸に当て、右手を兄に差し出した。本体なら男装姿なのに、侍女姿の人形だからイマイチかっこつかないななんて思いながら。


に攫われてくれますか? 美しい人」


 わざと一段低い声で伊達男のように尋ねれば、兄も淑女らしく優美な動きで私の手に手を重ね、艶やかに、カーライル侯爵家の紅薔薇の微笑みで頷いてくれる。


「ええ。あなたとならば、どこまでも共にいきましょう」


 そんな芝居がかったやり取りをして、同時にふっと笑う。

 阿吽の呼吸。こういうことをすると、やはり、私と兄は双子なのだと実感する。


 それから、私は思い切り人形に魔力を込めて出力を増して、兄をお姫様抱っこで抱え上げ、宣言通りに、そのまま兄を攫った。


 この時の私は、せいぜい大混乱してくれよ、カーライル侯爵家! という気持ちしかなかった。

 今一つ自分のやったことのとんでもなさの自覚のなかった兄も、もちろん気が付いていなかった。


 社交界の華、傾国の紅薔薇ルクレシア・カーライル侯爵令嬢の誘拐・失踪。

 そんなの、一家に留めておける程度の問題で済むはずがなかったのに。

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